イマココ

1973年生まれ。人が怖くて49歳で引き籠もりになりました。母から受けた心理的ネグレク…

イマココ

1973年生まれ。人が怖くて49歳で引き籠もりになりました。母から受けた心理的ネグレクトが原因であったと知りこれまでのすべての思い出を上書きしながら新しい居場所を探し中です。2023年2月より虐待について専門的に学んだカウンセラー(公認心理師)からカウンセリングを受けています。

マガジン

  • 抱きしめない母親と地獄行きの宗教

    母は人の気持ちを理解できない人でした。 ある信仰を持っていましたので生きるのが苦しいのは自分に与えれた試練であり、自分の犯した罪のせいだとも思ってきました。49歳で自分が被虐待者であったと知り、これまでの苦しみの原因はわかりましたが、この先をどう生きていくのかを模索中であり、カウンセリングを受けている最中です。

  • 日記

    早く社会復帰をしたいのでリハビリを兼ねて日記を書いていこうと思います。

最近の記事

安心を知るため不安を見つけ出す

僕はヘビースモーカーだった。 喫煙には緊張が和らげる効果があると思っていたのだが、その効果の正体は煙草が生み出す禁断症状を煙草で緩和しているだけ、つまり煙草を吸いニコチンを接種することにより禁断症状の原因を作り、煙草を吸うことでその禁断症状を和らげつつ次の禁断症状が起こる準備をするという循環を繰り返しているのだと知って煙草をやめた。 僕は安心を知らないが安心らしきものなら知っている。 僕は存在しているだけで不安になる。言うなれば何かを接種したわけでもないのに生きているだけで

    • 僕もただそこに静かにいたいだけ

       Yahooニュースのコメント欄を眺めても、SNSでの著名人の投稿に対する返信を遡っていっても、僕を安心させてくれる言葉は見当たらない。アンチだカルトだ信者だヘイトだ差別だ誹謗だ中傷だと騒ぐ人たちを掘っていけば僕もその流れに飛び込んでいけるのではないかと淡い期待を抱いてみても人を罵り罵られる馴れ合いを演じられるだけの人との絆が僕にはやっぱりない。  これもない。あれもない。ないものを確認して行く作業が気持ちいい。ないと気付いたときに以前のような長期にわたる心の抵抗もない。あ

      • 旅しても辿りつけないガンダーラ

        社会でうまくやっていけない僕にも教団内にだけは居場所があると信じてきた。分かり合える仲間が教団内にはいるはずだ。信仰が唯一の拠り所だった。 故郷に戻れば、妻の地元で暮せば、学生時代を過ごした場所に戻れば、今この場所から動けば居場所が見つかるかもしれない。ここではないどこかにある居場所を求めて新たな場所に期待をかけるのが長年の癖になっている。 昔観たテレビドラマの『西遊記』のなかにやっと辿り着いたと思った天竺が実は妖怪が作り出した偽物だったという話があったと記憶している。僕

        • 分らないことが分かって分かりだす

          ドラマを見ても、映画を見ても、人と人との繋がりの様々な形を表現する物語ばかり。そりゃそうだ。本能一発で全ての行動を決定するネアンデルタール人の生活を追っかけて編集してみても、感動する物語にはならないだろう。 僕よりも経済的に恵まれた人の暮らしぶりを目にすると気持ちに波風が立つので、その気持ちを妬みだと思っていたのだけれどもそうではなかったようだ。恵まれてる人の暮らしを見ると、僕にはそんな暮らしを出来るだけの経済を得る能力がないことを嘆く気持ちだった。 仕事上の失敗をみんな

        安心を知るため不安を見つけ出す

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        • 抱きしめない母親と地獄行きの宗教
          79本
        • 日記
          2本

        記事

          いつまでも心のなかにあるように

          小学生の頃から日本史が好きで御多分に洩れず当時は特に戦国時代に興味を持っていた。戦国時代という殺し合いが常の時代にあっても人質という手段が有効だということが子ども心に不思議だった。ある意味では人殺しを生業とする戦国武将が妻子の命と我が領土、部下、命を天秤にかけて悩むというのが理解できなかった。最悪再度妻や妾を迎えて子を成せばいいではないか。 かように僕は愛やら情やら絆やらに対する理解を著しく欠いた人間だった。人を殺せる感覚と愛というものが同じ人の中に存在することを理解できな

          いつまでも心のなかにあるように

          見も知らぬ人に思いを馳せるとき

          世間に一割はいると言われる被虐者の方々の心が癒やされますように。 時々菩薩のような気持ちになって手を合わせる。飽く迄持続性の無い仏心だけど、その瞬間は本心から強く祈っている。 誰かを羨んだり、妬んだりって気持ちがあるのだったら、他人との関係の在り方から自分の気持ちを見つめ直すことも出来るだろうけど、僕には無理だ。関係というのものがないようだ。人との関係が僕にもあると信じてきたのが苦しみの原因の一つだった。 ここじゃないどこかもない。ここもなければどこもない。母と数日を過ご

          見も知らぬ人に思いを馳せるとき

          もしかしてあなたも人が怖いかも

          以前勤めていた職場の女性の話。 社長がその場にいる時は親しみ深い口調で、「分らないことがあったら何でも聞いてね」と僕に言う。二人きりのときその女性から、「ちょっと。これってまだ処理が済んでないじゃん。何やってんのよ。早くやってよ」とこれまでやったことのない仕事を指示されたので、その旨伝えて教えを請うと、「はっ? その仕事、私はやったことがないからわかるわけないじゃん」ときた。 こういう女性はどこの職場にもいて、僕が我慢して仕事を覚えてしまえば、尋ねることも少なくなるからその

          もしかしてあなたも人が怖いかも

          あいつから生まれたからと諦めず

          先日、湊かなえの小説が原作の映画『母性』を観て、歪んで捻じれていようが、全ての人に愛はあるというのを前提としなれば物語は生まれないのだと得心した。 僕の母は人間理解に難のある人で、他者と心の交流が持てない人だった。 そういう人が主人公の物語には誰も感情移入できない。感情移入できないものは見てて辛い。物語は人と人との感情の交流で展開していくから、心の交流が無かったら物語は進まない。 虐待を扱う作品は多々あるけど、結局、どこかしらに愛は隠れているんだよな。そういう場面にぶつか

          あいつから生まれたからと諦めず

          法人に勤めたいまで行ってみたい

          思い出が消えていくと現地点までのベクトルも消えるから自然と未来も見通せなくなり結果として今しかなくなる。今この瞬間だけをアキレスと亀のように継続する痛みも感じないくらいまで細分化して切り取ってしまえば一切の苦しみから解放される。 人は怖くないと言い聞かせれば聞かせるほど人が怖くなる。どういう考え方をすれば人が怖くなくなるのだろうと悩めば悩むほど人への対処の仕方がわからなくなる。人とうまくやる方法なんて生れてこの方教わってないのだから僕が人を恐れるのは当然なのだ。諦めるしかな

          法人に勤めたいまで行ってみたい

          皆空の意味するところは心地良さ

          五十代にもなれば生れてこの方の苦しみは全て解決しており悟りに近い感覚と共に日々を過ごしているはずだと信じ晩生を渇望していた。結果、死の恐怖から解放してくれると信じて念仏していた四歳の頃と相も変わらぬ苦悩の中で生きている。 ただ一つだけ当時と変わったところがある。念仏していた本当の目的は死の恐怖からの解放ではなく、生きる苦しみからの解放だったとわかったことだ。 故郷を離れて新しい生活がはじまる。時々、父母を思い、友を求める。淋しさが込み上げてくるが、懐かしい故郷での思い出があ

          皆空の意味するところは心地良さ

          なぜ生きるのかは毎日考える

          なぜ生きるのか、と考えてみたところで答えは出ない。 なぜ自ら死を選ばないのかには答えがある。死んだことがないから、又は生まれ変わりがあり何度か死を経験していたとしても、その記憶はないので結果として死は未知の体験であり不安だからというのが一つ。もう一つは死に際しての苦痛を想像すると怖いからだ。 なぜ生きるのかとの問いを思春期に考えるのは大変結構なことではあるが、大人になってからもその問いを引きずっているのは只管痛い人なのだろう。 思春期を経なかった僕は五十一歳になり未だなぜ生

          なぜ生きるのかは毎日考える

          素人の宴会芸では繋がれない

          ある女性アーティストを好んで聞いている。 僕の知る限りでの彼女はラブソングをほぼ歌わない。 彼女は歌で誰かと、恐らく自分を、鼓舞している。 先日彼女はXに、「自分は絆という概念を好まない」といった文言を投稿していた。 公に作品を発表しているのだから音楽を通して人と繋がろうとの意図は彼女にもあるのだろう。勝手な解釈かも知れないが、絆という概念ではなく、作成した楽曲の音源化や人前での演奏を以て人との繋がりとする彼女の音楽に対する姿勢に求道的ものを感じる。 素人の宴会芸にもなら

          素人の宴会芸では繋がれない

          あと少し残る無念が晴れたなら

          だいぶと人が怖くなくなってきた。 ちゃんと他人を無視できている。 以前のように怖れから生まれる失礼な態度を他人に取る頻度も少なくなってきた。 そうなってみるとわかる。 あまりにも悔しい。 三十代で今の気持ちになっていたかった。 今、僕が三十代だったら独立した後は一人で作品作りに没頭できる何かを作る職人になるべく動いていただろう。 もしくは農業従事者を目指していたかもしれない。 五十一歳では未経験の世界で職人修行に入るのは無理だし、人手不足といわれる農業の世界でも歓迎され

          あと少し残る無念が晴れたなら

          こんな奴いたら胡散臭いだろ

          忘年会で先輩女子社員に頭を踏みつけられながら土下座するとのパフォーマンスも一切の躊躇なしで行なうことができた。それが十五年前の僕だった。 あの当時の僕の仕事振りを知る人は、僕が今無職である原因が人への恐怖にあるなどとは信じてくれないだろう。僕はうまく演じ過ぎてしまった。自分も騙せるくらいに。そのせいで傷口は大きく深くなった。 土下座パフォーマンスで笑いをとっていた当時の僕にとって知人以外はすべて敵だった。飲食店での接客態度には九割以上の確率で不満を抱いていた。コンビニやスー

          こんな奴いたら胡散臭いだろ

          マニュアルがないと立ち居が分らない

          スーパーの野菜売り場責任者の正社員から、「ブロッコリーを店頭に出してください」と申し付けられたので、その業務に従事したことがない旨を伝え、手順の教授を請うと、「まだそんなこともしてなかったの?」担当者は瞬時にしてタメ口となり、明から様に不機嫌な様子でブロッコリーの入った発泡スチロールの箱を流し台に叩きつけて置くと、「はい、これ」とだけ言いその場から去っていった。 箱の中には氷に覆われたブロッコリー。唖然とした僕は、これをどうしたらいいものか横で作業をしていた女性に尋ねると、「

          マニュアルがないと立ち居が分らない

          教えてもらってないからできなくて当然です

          例えば新しい職場でわからないことがあったとする。そういうとき先輩にどのタイミングで質問すればよいのかが僕にはわからない。「すみません、今、質問してもいいですか?」と聞いて相手の都合を伺うようにすればよいと言われても、その「今、いいですか?」の質問をしていいタイミングが掴めない。 勇気を出して「今、いいですか?」と聞けたとして、先輩が、「今忙しいからあとにしてくれ」と答えたとする。そうすると、その「あと」というのがいつなのかわからない。先輩の方から、「今なら聞いてくれていいよ」

          教えてもらってないからできなくて当然です