イマココ

49歳で自分が心理的ネグレクトを受けて育ったことを知り、公認心理師からカウンセリングを…

イマココ

49歳で自分が心理的ネグレクトを受けて育ったことを知り、公認心理師からカウンセリングを受けながら、社会復帰ではなく新たな生きる場所を見つけるために模索中の無職既婚男性です。

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  • 抱きしめない母親と地獄行きの宗教

    母は人の気持ちを理解できない人でした。 ある信仰を持っていましたので生きるのが苦しいのは自分に与えれた試練であり、自分の犯した罪のせいだとも思ってきました。49歳で自分が被虐待者であったと知り、これまでの苦しみの原因はわかりましたが、この先をどう生きていくのかを模索中であり、カウンセリングを受けている最中です。

最近の記事

本当の気持ちを見つけたいのなら誰かのでなく自分の言葉で

「本当の気持ちを出すのを抑えているのかもしれませんね」 二年前のカウンセリング初日にカウンセラーから言われた。ピンとこなかった。どちらかというと感情的に生きている人間だと思っていた。好き嫌いもはっきりしていたし常に怒っていたから。 やっとわかった! やっと気づけた! 過去のブログを読み返してみるとそんな言葉が頻出する。「私はここから変わるのだ」という宣言なのだろう。今だからわかるのだけれどもまだその時は本当のところはわかっていなかった。気づけてなかった。だからどこか上滑りを

    • 傷ついた心を守るためにつく嘘が嘘だとわからなくなる

      「チンチンをこすりつけないでよ」 一瞬、何をいわれたの意味がわからなかった。母の嫌悪感だけは伝わってきた。私は急いで母から離れた。 「子どもらしく『お母さ〜ん』と言いながら抱きついたら、他の子がお母さんにしてもらってるみたいに、僕もお母さんに抱きしめてもらえるかもしれない」 いくつの時なのかは忘れた。ただその時の気持ちは、はっきり覚えている。勇気をふり絞った。結果、待っていたのは予想外の言葉で告げられた予想通りの拒絶だった。 アメリカの心理学者ハーロウがアカゲザルの子どもを

      • みんながみんなを感じる幸せ

        街には沢山の人がいた。右にも左にも、前にも後ろにも、あちこちに人がいた。こんな沢山の人の一人一人に意志があり、感情がある。それって、すごい、と思った。不思議だと思った。 次の瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。街中で一人泣いているおっさんなんて気持ち悪い。泣いているがバレないように下を向いて歩いた。 泣きながら歩きながら思う。これだけ沢山の人の意思や感情を一体誰が受け止めるのだろう。それはつまりこれだけ沢山の人の気持ちを受け止めてくれる存在がいて欲しいとの願いでもあった。

        • 飲み会は断ってみても大丈夫だけどあの世のことは知らない

          「お母さん、これ、おいしいよ」 「あ、そう。よかったね」 「お母さん、見て、見て、これ作ったよ」 「あ、そう。すごいね」 無視されてきたわけではない。私の言葉に母は反応するだけで気持ちは共有してくれなかった。「イマココは、やればできる子なんだから」母からよく言われた。私は母の言葉の裏に、「やればできるのにやっていない」というメッセージを読みとる。 母と感情の交流が持てなかった。そのため感情のラベリングが不十分なまま育った。自分の抱える感情が何なのか、自分が何者なのかもわか

        本当の気持ちを見つけたいのなら誰かのでなく自分の言葉で

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        • 抱きしめない母親と地獄行きの宗教
          44本

        記事

          人生をかけられる時間つぶしを探そう

          就職活動が怖い。就職活動の先にいる人間が怖い。もし仕事が見つかったとしても、そこで出会う人間との関係がいつものようにうまく行かないのではないか、うまく行くはずがない、と思ってしまう。 世間では生きるためには働かなくてはならないという。生きることにさほど喜びを見いだせない私にとって「生きるため」という理由は労働への意欲を高めない。 「少しでもいいから稼ごうとしないのはなぜなの。それに腹が立つ」「ずっと家にいられると嫌になる」妻のいうことは間違ってはいない。私が確実に非常識な

          人生をかけられる時間つぶしを探そう

          感情がわからないから言葉しか頼れないので常につまずく

          目標を持って生きる。私にはまったくわからない。私にとって生きるとは死ぬまでの時間つぶしだ。人生は全て運で決まる。努力したって運が悪ければ報われないまま終わる。逆に努力しなくても運がよければうまくいく。努力が報われたと実感した試しがない私は本当にそう信じている。 昨日のことだ。サンダルを洗ってベランダに干しておいたら、履いたとき足の裏に接するゴムの部分が高温によって縮んでしまい接着剤が剥がれてしまった。近所の商店街に腕も気もいい靴の修理屋がある。そこに持っていくことにした。

          感情がわからないから言葉しか頼れないので常につまずく

          自家発電について妄想してみる

          山籠り生活に向けた妄想の一環として自家発電について調べている。 文系だから初歩的なことしか理解できない。うちの扇風機には44/49Wと記載されており、その意味が「この扇風機を1秒間動かすのに必要な電力は44/49(この/表記の意味がわからない)ワットである」というのを自家発電について調べる過程で初めて知った。 さて、調べてわかったのは二つ。 ひとつはマンション生活で自家発電は無理ということ。 マンションでは発電装置の設置場所の確保ができないのだ。ベランダに太陽光パネルを置

          自家発電について妄想してみる

          百の仕事をこなすのに、じっとなんてしていられない

          仕事もせずにじっとしていると自分が社会にとって有害な人間のように思え精神的に参ってきたので二ヶ月前にランニングをはじめた。考えない時間を作りたかったのだ。 初ランの翌日腰方形筋に痛みを感じた。筋肉痛だろうくらいに思い休むことなく走り続けていたらギックリ腰並の痛みに達し、寝返りも打てない状態になってしまった。 そこから二週間ほどウォーキングさえできない痛みが続いた。 今もまだ痛い。腹筋と腕に力を入れ腰を養護しながらでないと横になれない。起き上がる際にも一度横臥の姿勢になって

          百の仕事をこなすのに、じっとなんてしていられない

          実現可能性は超低いがやりたいこと

          人が怖いから社会で生きていけそうにないということばかり掘り下げていくと、本当にやばいところに行ってしまいそうな昨今なので、今日は将来のことについて考えてみた。 自分で育てた農産物の販売・加工を生業にしたい。 経験といえるほどのものではないかもしれないが以前一年弱ほど小さな畑で野菜を育てたことがある。仕事を終えてから畑に行った。休みの日は朝早く起きて畑仕事をした。 畑仕事をしているあいだは穏やかな気持ちでいられた。生まれてこのかた五〇年間ずっと死を恐れ続けていた私が農作業中

          実現可能性は超低いがやりたいこと

          盲信による痛い勘違い

          近所の商店街で信号待ちをしながら横断歩道を挟んだ向こう側で同じように信号待ちをしている人たちを眺めていた。いろんな人がいて、みんな違う。当たり前だけど同じ人は二人といない。 たくさんの人がいて、一人一人に個性があって、人とつながっていて、そこから各々のオリジナルな物語が生まれて、その物語を生きる一人一人は掛け替えのない存在だ。 厄介だなと思った。 この複雑さは理解できないと思った。 私は人とうまくやれなかった。人の視線が怖かった。人の考えていることがわからず、人の取る行

          盲信による痛い勘違い

          よくわからない方向に進んでいる

          緊張や恐怖を感じることなく人とうまく付き合えるようになる。 カウンセリングを受けはじめた当初に私が持っていた回復のイメージだ。 カウンセリング開始から一年四ヶ月が過ぎた。どうなれば回復といえるのか、今はわらかなくなってしまった。 人とうまく付き合えるようになりたいという欲求が弱まっている。緊張や恐怖を感じることなく人と関われるようになるのが最も望ましい回復の姿だと今でも思ってはいるが、そのために努力が必要なら、その努力をする気力がない。 他人と感情を共有できなくても自分

          よくわからない方向に進んでいる

          みんな土に還るんだ

          死んではいないだけだった。 過去への悔いと将来への憂いばかりの毎日。今ここではない場所で生きたいと願っていた。今はなかった。今を生きない五〇年間。時間だけが過ぎていた。 物語がなければ人生に意味を見出せない。人生が物語として成り立つために必要なものは人とのつながりだ。人とのつながりから生まれる喜怒哀楽によって起こる様々な出来事が人生を物語にしてくる。人生に意味が生まれる。 私の人生には物語がない。全てが虚しい。義務感のみで生きている。 宗教の教えを生きる支えてとしてきた

          みんな土に還るんだ

          小さな人間だという大きな幸せ

          私は何のために生きているのだろう。 五〇歳。積み上げてきたものは何もない。 人が怖くて仕事もできず、就職活動もままならない。 私は常に自分の存在に疑問を持っている。自分がいるのかいないのか。自分が意識する自分は存在しているが、他者から認識されている自分、他者に働きかける自分というものへの自覚が薄い。 簡単に言えば、常に不安であり、孤独であり、様々が曖昧だ。 人とつながっていない。他人と場を共有していても心は通じ合っていない。通じ合っているふりをするために生きる術として学ん

          小さな人間だという大きな幸せ

          せめて歌でもうまければ

          水が半分入っているコップを見て、もう半分しかないと捉えるのか、まだ半分も残っていると捉えるのか。 同じ物事でも受け取り方によって意味が変わってくることを説明するために使われるよく聞く例え話しだ。 まだ半分もある。そう思える人になりたかった。だから自分に言い聞かせた。まだ半分もある、まだ半分も、まだ、まだ、、、どれだけ言い聞かせてみても、まだ半分もあるなんて思えない。どうしたってもう半分しかないという気持ちになる。 少しでも楽になりたくて、いろいろやってみた。 「ありがと

          せめて歌でもうまければ

          こんなにも豊かな世界の中にいて孤独を感じるアンビバレント

          昨日はひどい二日酔いだった。気分はすぐれず自責の念にかられるだけの一日を過ごした。一昨日夜、消化できない憤りに付き合いきれず酒に逃げた。酒に逃げるのは毎日のことだが二日酔いになるまで飲む酒は完全に悪い酒だ。俺の飲酒は現実逃避のためにある。その自覚は持っている。 現在、自分史上最悪の自暴自棄期だ。人という人がめんどくさい。目的もなく生きている自分に苛つく。達成感のない人生に意味を見出せない。五〇歳にもなって自分の感情の面倒もみられないとはどういうことだ。 無職でやることもな

          こんなにも豊かな世界の中にいて孤独を感じるアンビバレント

          誰といて何をしてても俺は俺だと確信を持つための意地

          俺のこれまでの人生はいったいなんだったんだろう。記憶はあるが思い出はない。努力によって勝ち得たもの。達成感。満足感。積み重ねてきたものが何もない。 過去と無縁の今。未来を変えない今。今だけが点として存在する。どれだけ今を繰り返しても点と点はつながらない。時間だけが過ぎていく。 根気がない。忍耐がない。俺という人間を世間の人はそう解釈するのだろう。 「こんな履歴書じゃ、あなたという人間がまったくわからない」 「うまくいかない人生というのは、あなた自身に原因があるのではない

          誰といて何をしてても俺は俺だと確信を持つための意地