旅しても辿りつけないガンダーラ
社会でうまくやっていけない僕にも教団内にだけは居場所があると信じてきた。分かり合える仲間が教団内にはいるはずだ。信仰が唯一の拠り所だった。
故郷に戻れば、妻の地元で暮せば、学生時代を過ごした場所に戻れば、今この場所から動けば居場所が見つかるかもしれない。ここではないどこかにある居場所を求めて新たな場所に期待をかけるのが長年の癖になっている。
昔観たテレビドラマの『西遊記』のなかにやっと辿り着いたと思った天竺が実は妖怪が作り出した偽物だったという話があったと記憶している。僕が求めてる居場所も、この偽物天竺なのではないか。誰かに騙されているのではなく僕自身が作り出した。
西遊記のエンディングテーマであるゴダイゴの『ガンダーラ』が流れはじめると、今まであった居場所が消えて無くなってしまうようで、幼心に悲しかった。思い返せば、ずっとガンダーラを求めてきたのだろう。エンディングに映るガンダーラは遺跡だった。
夜中に目が覚めて窓に目をやると青白い街灯の灯りがカーテンの隙間から見える。外は暗く物音もしない。核戦争後の世界で僕はたった一人であるかのような孤独に襲われる。人を感じたい。布団の中で眠れないまま耐えているとしばらくして新聞配達と思われるバイクのエンジン音が聞こえてくる。この世には人がいた。少しの安堵。目を閉じてあとしばらくの眠りに入る。
下の部屋では両親が眠っており、隣の部屋には兄がいる。それでも僕は見も知らない新聞配達員の存在に暫時の安やぎを得ていた。
物語の型として、安心安全な日常から旅立ち、目的地を目指す過程で様々な困難を乗り越え成長し、改めて日常に戻るというのがある。ガンダーラという目的地も、家族という日常もない僕が人生という物語を持てようはずがない。
とはいえ物語なしでは生きていけない。だから人生に意味を求めた。宗教の教えを背景に、世のため人のために凡人がする以上の何かができる人にならなければならないとの目標を設定した。残念ながら人との繋がりを持てない僕が目標に向かい努力し続けるのは不可能だった。無理した結果引きこもりの今に至る。
引きこもりから脱するための最後の一手は見えている。ガンダーラがないのが分かったのであればガンダーラに向かうのを止めるのだ。つまり僕の人生に生きる意味などないと認めてしまうことだ。それができたら最後、愈々人生が反転する。
ー 終わり ー
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