見出し画像

引退します。

22年間続けてきた体操競技をやめることにした。

先日の全日本選手権決勝でのあん馬の演技が終わった後に決めた。

全日本選手権で引退することをずっと前から決めていたわけではなく、試合の数日前まではどんな結果であれ、その後も競技人生を歩むことに前向きだった。

でも会場入りして、ホテルでひとりいろんなことを考えた。一度ゼロから考えてみようと。

W杯の派遣得点(15.433)を超えたら環境は変えずもちろん続ける、でも簡単に取れる得点ではない。取れなかったら現役として続けて環境を変え、新しくチャレンジする?それとももうすっぱりやめる?など延々と考えた末に出した答えは「この大会が終わった後の気持ちを尊重する」という結論だった。

この大会を終えた時に自分が何を感じ、どういう気持ちになるのか。それは本当に終わってみないとわからなかったし、ある意味、演技内容や結果次第でもあった。

そんな思いとは裏腹に現地での調整が思わしくなかった。特に本会場のあん馬には全く合わせることができず、練習時間制限もあったため、満足にできないまま本番を迎えることになってしまった。そのため予選の前日に1番の不安箇所であるブスナリを回避することを決めた。

だからこそ予選からめちゃくちゃ緊張した。変な試合をしたくない。予選なんかで落ちたくない。Dスコアを下げた分、しっかりと演技を通しきらないと。

そんな思いが強くなればなるほど、勝手に自分にプレッシャーがかかった。前日の夜はほとんど眠れなかった。

試合直前のサブ会場にいる時から震えていた。心臓が太鼓を叩いているのではないかと思うほどドンドンと鳴っていた。2019年の種目別W杯の選考ぶりに胃も痛くなった。

「こんな状態でできるか!!!」

そんな気持ちだったけど、試合は待ってくれない。
こんなメンタルじゃわけのわからない失敗も出てしまう!と思いながら、自分の順番がきて手をあげると、あんなに緊張してたのに不思議と落ち着いた。

「あ、もう試合か。」
「今から演技するのか。」

変に冷静になる感覚。緊張が一周回ったのかも知れない。
演技中のことはあんまり覚えてないけど、「とにかく落ち着いて!冷静に!」みたいなことを頭でずっと反芻していた気がする。

気づいたら演技は終わっていた。そこそこの演技だった。
得点は14.566。
決勝残れるかなと思われる点数だったけど、なんとか4位で通過した。

予選の翌日、つまり決勝前日の練習でこの試合会場に来てからほとんど出来ていなかったブスナリを念入りに確認した。
見たら誰もが「君はブスナリが不安なんだね。」と思うくらい確認した。
感覚が掴めたところで自信を取り戻し、練習を終えた。

明日の決勝は思い切ってやるだけだ。

決勝当日。
夜は意外と眠れて、すっきりした朝を迎えた。
落ち着いているけど、やる気に満ち溢れている。そんな気持ちだった。

予定していた時間にホテルを出てサブ会場について、関係者に一通りあいさつをして、いつも通りの柔軟や準備体操を開始する。この辺りから少しソワソワしてきた。

サブ会場のあん馬でアップを開始する。いつも通りのアップ。
1本目にセア倒立、Eコンバイン、縦向きの開脚旋回。
2本目にミクラック、トンフェイ、ウグォニアン、ブスナリ。
3本目に開脚マジャール、開脚シバド、ロス、Eフロップ、下り。
一通りやってみて、身体の調子は上々。

あとは入場まで待つのみ。

入場の時間が来て、本会場に向かった。
コロナの影響で会場は静かながらも、試合特有の緊張感と熱気を肌で感じた。

入場しているとき、心を落ち着かせるためにイヤホンで聴いていた曲は

大好きなKing Gnuの「三文小説」

この世界の誰もが君を忘れ去っても
随分老けたねって今日も隣で笑うから

上手く言えないけど、この歌詞で心が軽くなった。
思い切ってやろうと改めて思えた。

整列の時に会場を見渡して、多くのお客さんが観戦に来ているのを見て、こんな空間で演技ができる幸せを感じた。純粋に楽しもうと思った。緊張感も含めて。

3分アップで初めて本会場のあん馬を触った。
ミクラック、ブスナリをさっと確認して終わる。

問題ない。調子もいい。

演技順は2番目。3分アップが終わって息を整える。
目を瞑って呼吸に集中する。これで緊張も心拍数も落ち着く。
5回くらいゆっくり腹式呼吸をしたところでイメージトレーニング。
頭の中で演技を通す。無駄なことは考えない。淡々と成功していくリズムを思い返す。
演技のイメージが終わったら後は何も考えない。

前の演技者が終わって自分の順番が回ってきた。
タンマをつけて、とにかく何も考えない。

主審の緑の旗が上がり、液晶のGOサインがつく。
手をあげてあいさつをしたときは予選と同じく、もう本番なのかといった感覚だった。

ルーティンを行う。
左手をぶらぶらさせながら左足の爪先をマットに立てる。
左手をギュッと握った後、右手右足でも同じことを繰り返す。
両手を前で揃えた後、後ろに腕を振り一歩踏み出してポーズをとる。

あん馬に触れ、一度大きく息をついた後、もう一度吸って
肩を落とすと同時に息吐いたタイミングで演技を開始する。

演技中はとにかく今まで身体に染み付いた技の動きに身をまかせながら、

「ひとつひとつの技を落ち着いて、かつ思い切って、絶対に逃げない」

これだけを考えていた。
最後の下りは絶対1回ひねってやると決めていた。
半分で下りそうな重心になりながら無理やりひねって下りた。

着地をした瞬間、達成感でいっぱいだった。

「自分に勝てた」

そう感じた。
喜びが込み上げると同時にここ数日間の緊張から解放された気持ちでもあった。

得点は「15.200」

派遣得点には届かない点数が表示されたが、自分ではやり切ったという気持ちだった。多くの人に見てもらいながら演技ができた幸せとここまで頑張った自分に対する誇らしさでいっぱいだった。

「これで引退しよう」

気持ちよくそう思えた。

試合から数日後、今までお世話になった多くの方々に電話で引退の報告をした。
突然の報告に驚く人もいたが、みな一様に僕の決断を尊重し、労いの言葉をかけてくれた。電話をする度にそれぞれの思い出が蘇ってきて、懐かしくも名残り惜しくも感じた。

正直、今はまだ完全に引退したという実感はあまりないのだが、ふと日常の中で感じる瞬間はある。

爪を切る時、もう力が入らないことを気にせず、根本から全部切っていいのかと思ったり。

衣装ケースにTシャツをしまう時、もうセントラルTシャツやジャパンTシャツは取り出しやすい位置に仕舞わなくてもいいのかと思ったり。

薬やサプリメントを飲む時、これはドーピングに引っかからないだろうかと気にしなくてもよかったり。

そんな日常のちょっとした瞬間に引退を実感することがある。
体操人生に後悔も未練もないが、そんなことが寂しかったりする。

この長い体操人生でいろんなことを経験した。
いろんな国に行った、いろんな人と出会った、あん馬で何回も落ちた、鉄棒で吹っ飛んだ、つり輪のプロテが切れた、手術をした、ヘルニアになった、あん馬で日本一になった、コバチを首で持った、柔軟で泣いた、握手を求められた、悔しくて泣いた、ナショナルに入った、指が折れた、緊張で眠れなかった、手のひらが剥けた、表彰台の上で君が代を聞いた…

悔しかったことも、嬉しかったことも、苦しかったことも、楽しかったことも。

その全てが僕の財産で、かけがえのない宝物だ。
これからの人生もその経験たちが支えになってくれることだろう。

そして何より、そんな貴重な経験がたくさんできたのも支えとなってくれた多くの人たちのおかげだ。

本当に僕は出会う人に恵まれている。
どんな時も手を差し伸べてくれる人がいた。

周りの人たちのおかげで今の自分がいることを忘れずに、
いつか僕自身が誰かに手を差し伸べる存在となりたい。

そしてこれから先は体操競技から離れ、新たな人生のスタートを切る。

いつまでも体操をやっていた頃の思い出話を延々としているような人生にはしたくない。

体操選手だった頃よりももっと濃い人生を、「開人」の名に恥じぬよう切り開いていきたい。

今林 開人

読んでいただきありがとうございます!