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世界は自分を祝福してくれているって思っいた自分にびっくりした話

母の母国フィンランドでは、名前の日という文化があり、古くからあるフィンランドの名前として認定された名前がガレンダーに記されている。

私の名前も、そちらから付けられた名前なのだけど、2月10日は私の名前の日(nameday)だった。日本にはもちろん、その習慣もないので私も結構忘れてしまうのだけれど、毎年、偶然思い出すような出来事があったりする。

叔母がお祝いのメッセージをくれるので、それで思い出すこともしばしばなのだけど、今年は前日に、たまたま開いた昔の手帳の中に名前の日が記されていて、思い出した。

何でまた昔の手帳を開いたかって?

その手帳はマヤ暦周期で作られているもので、マヤ暦で使われるkin番号なんかの簡単な調べ方などが書いてある。

2年ほどこの手帳を使っていたのに、すっかり忘れているのだから人の記憶なんて全く当てにならない笑

名前の日の前日に会った人とマヤ暦の話になり、少し気になったことを調べてみた結果、手帳を開くということになったのだ。

全ては偶然のようで、こうして繋がっている。

そして名前の日の当日、これもまた偶然に私の大好きなホワイトチョコでコーティングされたハラダのラスクが届いた。

このチョココーティングは冬限定らしく、何となくだけど、勝手にお祝いされている気分になった。そういえば、前日にマヤ暦の話しをした方にもお肉をご馳走になったな〜と。これまた前祝をしてもらった気分になった。

おまけに同じく前日に、花屋の近くに行ったので、自分のために花も買ってきたから更に勝手にお祝い気分♪

メインディッシュに花にお菓子にって、なんてありがたいことなんだろ。

全部がたまたまで偶然だし、誰も何も意図していないけれど、これを偶然で済ませるよりは「祝福されている!」と思ったら、何だか、とても楽しく思える笑

こうやって、自分の何でもない生活をおもしろ可笑しくするのは結構昔から好きだ笑

例えば、以前銀座に行った時にイヤフォンでベートーベンの運命を聞いていたのだけど(そもそもこの曲を聞いてる人もどうなのって話だけれど笑)

銀座シックスの地下通路を抜けて自動ドアがバーンと開いたところで、あの運命の一番盛り上がる曲とぴったりあって、外に出ると都会の風景がいつも以上に大きく見えた。

ただの打ち合わせに向かっているだけなのに、まるで人生の大勝負みたいにスケールが大きく思える!頑張ろう!とか。笑

こんなに簡単に音楽一つで自分の居る世界がいつもと違うように作れるのだから、人間の脳なんて書き換えが簡単なはず。

夕陽や夜景に曲が妙にマッチしているエモい感じを想像してもらえたら分かるかも?あるいは、映画やドラマで盛り上がるいいシーンでバッチリな曲が流れてくるそれの感じ?それの運命バージョン。(お願い誰か分かって)

でも、今回はただ祝福されていると思ったというよりは「世界に」祝福されているって随分スケールが大きくなっていた自分にびっくりした。

いつの間にそんなにスケールが大きくなったんだろ?と考えてみると、やっぱり「魂」を意識し始めてからだ。魂には境界線がないから、そのうち宇宙が祝福してくれているって言い出す日も近いかもしれない!笑

魂やら偶然やらの話をしだすと、スピ系の話か〜と思う人も多いかもしれないけれど、色々知ってみると科学的に証明されていることも本当に多いのだなと思う。

ま、正直なところ話ちゃうと、私のとって証明とかそういうのはどうでも良くて、自分がどう感じるかだけなんだけど。

偶然が自分のために用意されているって考えると楽しくなるし、偶然が必然となるのは結局のところ自分次第なんだってことを本当の意味で理解したからそう思うのかな。

こうやって「楽しめる」ことが生きることの本質だ。

やたらと目的や夢や責任や評価や価値を持つことだったり、大きなものを追いかけるのが良いとされているけれど、それはエゴが作り出した幻想だなって思うのだよ。勝つだの負けるだのって話もそれ同様だ。

私にもそういう「価値」や「自分探し」みたいなものを求めて三千里の旅に出たこともあるし、彷徨ったこともある笑

それを持つことが悪いことや意味のないことだと言っているわけではない。答えを知るために必要なのだから。

結局のところ「楽しい」ことを「楽しい」と思えることができたらいい。一般的とか普通とか豊かさや価値を求めない。

そうだとしたら、世界が私を祝福している!と思って生きることは相当にいい時間の過ごし方なんじゃないかな。

うん、楽しいだけで人生が成り立たないことくらいはもちろん知っている。

でも「苦しいけど頑張るしかない」よりも「頑張ることが楽しいからやる」って方が絶対にうまくいくだろうし、単純に長続きするんだから、そりゃ成果も出やすいよねっ。

うん、そう簡単なことじゃないことも知っている。でも目の前の現実は変わらなくとも、考え方は自分次第でどうにでもなる。

苦しいけど頑張るってことを考えるより、その先に楽しいことがあるから、頑張ることが楽しいって考えた方がいい時間が過ごせるよねってこと。ただひたすら苦しいだけなら、そんなことは速攻辞めた方がいいに決まっている。

努力は報われる報われないの話もそうだけど、焦点は「報われる報われない」のそこじゃなくて、その努力に焦点を当てましょうよって。その努力が結果楽しかったら報われなくても良い時間を過ごしたことになる。

価値があったのか、なかったのかすら決めないことが心から楽しむコツなんじゃないかな。大人になるにつれて、案外こういう肝心なとこを忘れちゃっている気がするのだよ。

人は生きた瞬間から死にむかっていて、何しに地球に来たってただ生きるため。死ぬまでの自分に与えられた時間を過ごすため

つまり「生きている時間」に価値がある。それは、生きているみんなに価値ある時間が渡されているということ。だとしたら楽しい時間が多い方がなんか幸せそうだよね。

楽しいの基準なんてそれこそ、人それぞれで。それこそ人にとやかく言われる必要もなく。「楽しいもんは楽しい」で済む。「楽しい」を誰かに評価される必要はない

それならやっぱり自分に楽しい時間をあげた方がいい。うん。

私は考えるのが楽しいから、よく考えるんだ〜創造的思考の深い人になろう♪
私は大逆転が楽しいから、今どん底にいるんだ〜ここから面白くなる!

やっぱり世界は私を祝福してくれている♡ありがとう!
いや、もはや宇宙が祝福してくれている♡ありがとう!

自作自演劇場は今日も続く♪

実に立派におもしろ可笑しい人だけど、なんか楽しそう!
地に足を着けて生きるなんて散々やってきたし、もう飽きたので、これからは、この精神で生きていこうと思う笑

まさに遊ぶように生きるとはこう言うことだ。

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