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ここからが面白いのに、そのチャンネル変えちゃうの?

私は基本的にはアナログな物はとても好きだ。

例えば「本」にしてもやっぱり紙が好き。ページをめくる音、本の表紙を見ること、しおりを選ぶ楽しさ。

そして何より「これ良かったよ」と手から手へ手渡しできる。そんなところが好き。でも実際に自分が作る側で考えてみたりするとやっぱり本の出版はハードルが高い。

ネットで有料記事として書く方がやっぱり手軽だ(まさにこのnoteなんかもそれだし)買う側もそちらの方がお得なのかもしれない。

どっちにも結局のところ良さはあって、アナログは残っているし、デジタルは進化している。

本は一例だけど、同じようなことが結構あちこちであるはず。

ただ…今地点の令和ではデジタル時代のバランスが絶妙に気持ち悪い。違和感がある?進化しているはずなのに退化していっているような?なんていうのかな?

アナログな時間と一緒に何か大切なものが削られている気がする。これはアナログ世代だからなのかとも思うけど、割とみんなもうデジタルの中で生きているよね笑

多分この気持ち悪い感じは侵略されている感覚からだ。

昨年末に3週間ほどデジタルデトックスして感じたのだけど、SNSのない時間は確実に色んな意味での流れが変わる。

SNSはたったの数秒で自分の中に言葉と感情が飛び込んで来る。それはこちら側の気持ちはお構いなし。

笑えるものもあれば、学びになるものあるし、時には良い出会いもある。

一方で、持たなくていい感情を持たされるものもある。怒りや虚しさのような、それは違うんじゃないかと眉間にシワがよるもの。そして、切なく苦しくなる自分の感情を呼び起こす。

見たくないと思ってもスルーできなくなる。一方的に入ってくるから。刷り込まれていくのだ。言葉が情報が、どんどん追いかけてきて、どんどん迫ってくる。

誰かが誰かを攻撃し、攻撃を辞めようというその人も気づかず誰かを攻撃をしている。「正義」が武器となって、白か黒かをつけにやってくる。

全員が見えないものに追われて、何かに侵略されているからだ。そうやって、やってくるマウント合戦。借り物競争。

人のチャンネルを見ているなかで『比較』や生づらさが自分の中に起こってきたら、それは自分のSOSだと気づいた方がいい。一旦ストップのサイン。

辞めればいい。見なければいい。それがなかなかできない。うん、知っている笑

もうそれは生活の中に大いに、そしてあまりにも自然に侵食してきているから、いつの間にか依存に姿を変えていて、いきなり辞めるなんて無理な話だ。
  
習慣になっているのだ。朝起きたら布団の中で、スマホチェックする人も少なからずいるはずだし。ビジネスとして使用する人、情報源として必須だと思っている人も、もちろんいるだろう。

スマホが手から、イヤホンが耳から生えているかのような若者も多い。否定したいわけではない。それを今すぐ辞めるなんて、反動がどこかで大きく出る。

じゃぁ、どうしたらいいの?って簡単な方法の一つとしては、例えばSNSだとしたらアプリを消しちゃえばいい。辞める(アカウントを消す)わけではなく、一時停止してチャンネルを変えてみる感覚だ。

リアルの自分チャンネルに変える。もっと言えば自分が主役のチャンネルだ。比較は必要ない。批判コメントもアンチもいらない。

どうしても自分の中から「つまんな」「時間無駄にした」「あの人の方が面白い」なんて声が聞こえてきたら、返信で「ここから面白くなるよ!」「逆転するから待ってて!」など対話をしてみたらいい。

ドラマは展開があるから面白くなるのだから、つまんないところやどん底なスタートは最高だと思っていい。

リアルから逃げたくてSNSを使用している人は自分が主役の理想チャンネルでもいい。もはや妄想でもいい笑 その方が遥かに創造的思考が働く。

私は先日tiktokを消し、threadsも昨年末に消した。(アカウントはまだある)そしたら、なんとよく眠れた(多分、これは関係ない笑)

デジタルは便利にこれからも使わせてもらうし、古臭く生きようとは決して思わないけど、自分の中に侵食はされたくない。

そのために一度止めてみる。必要なのかのお試し期間だ(サブスクCMにもよくあるやつ)お試し期間というのは継続したくなるように出来ている…多分ね笑

これは何でもそうで、何かから離れる時はおすすめの方法の一つ。

手放すという言葉があまり好きじゃないので離れるという言葉を使ったけれど、きたる2/10はどうやらこの手放しをすると大きな変化が起こるんだって。チャンスだと思う人は乗っかるのもありだよね。

もう一生離れるんだと、極端になる必要はない。それは下手したら病むことになるから。

「緩いとこから始めて調整する」それがバランスを取る最大のコツである。バランスをはかる天秤だって最初にネジで微調整して平にするのと同じ(確かネジあったよね…あれ?今でも天秤て使う?)

最初からビシッとなんて合わない。つまり、そのくらい曖昧でいいのだよ笑 アナログ時代の良さって、まさにそんなグレーが許された時代だった気がする。(あくまでいい意味の方でね。悪のグレーもある笑)

自分が主役のチャンネルを見る視点でいると、客観的にもなれるし、不思議なほどに集中力が高まってくる。この展開がきたら、こうしたらいいかも?とか思考が湧いてくる。

つまりそれは、自分の時間や言葉や感情を丁寧に扱ってあげられることに繋がる。もちろんそれは人に対しても。

ピントが合う感じ。それこそが今を生きるってことだからだよね。自由を奪われるような侵略を許して麻痺させないよう気をつけたい。

つまりはデジタルタイムを少し止めて、ネジを回してアナログタイムを動かしてみよう‼︎それが言いたかったらしい♪

以下インスタに載せているメッセージ

たった数秒で気持ちを
持っていかれる世界に
侵略されないで

時間を潰すつもりで
合わせたチャンネルに
時間と感情を奪われる

見れば見るほどに
自分の世界が霞んで見える

何故だか分からないけど
何かに追われる気持ちになる

ピントがずれまくった
その世界の中で
恐怖を感じながら
自分を滅ぼしていく

違うよ それは
自分のチャンネルじゃない

誰かと比べて見えている
チャンネルは誰かのもので
自分のものではない

誰かの言葉を借りて
語っているその世界は
自分のものではない

自分が主役のチャンネルに
ピントをしっかりと合わせて

自分と対話をしながら
自分のチャンネルを創り出そう

見たくないシーンも出てくる
でもそれこそが始まり

ここからが面白いのに
チャンネル変えちゃうの?


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