見出し画像

【読書記】「横浜中華街」とベトナムのチャイナタウン

今回は久々に読んで考えたこと、今回読んだ本は「横浜中華街 世界に誇るチャイナタウンの地理・歴史」です。在ベトナムの華人の人たちに関心を持っている中、この春に一時帰国した機会に「そうだ、中華街に行こう!」という心構えでいたところ、書店でばったり出会ったこの本を読んでみました。ベトナム華人社会との比較の視点でも、とても勉強になりました。

「世界に誇るチャイナタウン」横浜中華街

言わずと知れた横浜・中華街、でも時折帰国時にご飯食べに行ったり、肉まん買いに行ったりという以外、自分自身驚くほどその歴史的経緯を知りませんでした。今までこれだけ中華世界に関心を持っていながら、その無知さには恥ずかしさを覚えるくらい。本著を通じて、各地の華人社会、チャイナタウンを研究する地理学者の山下清海先生の1970年代からのフィールドワークにどっぷりつかりました。ぶらぶら歩いた「ブラタモリ」の様子は以下ツイートからご覧ください。

その成り立ちからコロナ禍を経ての現在に至るまでの横浜中華街の変遷で、一貫して強調されているのは「日本人と共に作られ、日本人に愛されている中華街」としての横浜中華街という点。もちろん、今のような平和で賑やかな中華街になるまでは紆余曲折もあり、戦前・戦中・戦後を通じて、差別や偏見が無いわけでは決してありません。関東大震災時にデマが流布して朝鮮人虐殺が起きたことは知られていますが、横浜中華街では当時の華僑に対する同様の流言飛語が飛び、数百人の華僑が殺害されたことなどは、恥ずかしながら今まで知りませんでした。日中戦争中は敵国民として辛い生活を送った華僑も多かったそう。戦後も治安が悪くなった時期もあったよう。

また、中台関係の緊張に左右され、異なる地域から来た華人・華僑の人たちの間で対立があったことはよく知られています。それも、大陸派・台湾派共同での関帝廟再建をきっかけに、関係が改善されたとあり、その経緯も非常に興味深かったです。そして現在、地元・横浜で受け入れられ、山下先生をして「現地の人々から最も愛されているチャイナタウン」と評される横浜中華街があります。

ベトナムのチャイナタウン、チョロンとの違いは?

詳細は是非本を手に取って頂くとして、現在ベトナムの華人社会に注目している自分が、それとの比較から興味深いと思う点を幾つかメモしていきたいと思います。

1.広東人が最多だが、潮州人が少なく、台湾出身者が多い
世界の多くのチャイナタウンでも観られるように、横浜中華街でも最多勢力は広東人、特に孫文の出身地でもある現在の中山市を中心とした珠江デルタ出身者が多い。一方、「広東省東部の潮州地方出身である潮州人は、南京町(注:現在の横浜中華街)のみならず、日本の華僑社会ではほとんどみられないのも重要な特色の一つ」と著者も記しています。この背景には深入りされていませんが、潮州出身者が多くを占める東南アジア華人との比較は興味深いです。また、台湾出身者が多いのも、勿論日本が台湾を支配していたという歴史が故ですが、大きな特徴の一つです。

2.ホスト国地元住民との関係
上述のように巨大災害時、或いは戦時には地元住民・日本人と敵対関係になり、この地を離れざるを得なかった人たちもいる歴史はあるものの、その度に支援してくれる日本人との協力もあり、横浜中華街が復興・発展を続けてきたことは特筆に値します。ベトナムに関してはここでは多くは語りませんが、不幸にしてベトナムにいられなくなってしまった華人も数知れず…。

3.観光地化の成功
ここが最大の違いとも言えるかもしれませんが、ベトナムのチャイナタウン(主にホーチミン市チョロン)が主に地元華人の生活圏・商圏なのに対して、横浜中華街が横浜の代表的な観光地となっていることがあります。これには中華街の努力や、みなとみらい線の「元町・中華街駅」までの延伸など色々な要素が関わっていますが、中華文化をポジティブに喧伝できない国の事情もあるでしょう。ただ日本もそういう「反中」要素はある中で「中華街は例外」と割り切って考えてもらえるのは、やはりその土着化の進み度合いと関係があるのでしょうか。

ただ観光地化はチョロンが格別うまくいっていないわけではなく、世界の中でも最も観光地化に成功し地元の人たち(=日本人)が足を運んでいるチャイナタウンが横浜中華街である、ということなのかもしれません。

変化の兆しと今後

そんな横浜中華街も、日本経済が体験している苦境の中で、そしてコロナ禍を経た今はまた新しい課題に直面していると言います。ただ、震災、日中戦争、空襲、戦後の大陸・台湾間の対立など、幾多の苦境を乗り越えて来た横浜中華街に、著者は楽観的な未来を託しています。

ベトナムの中華街、チョロンにも変化の兆しはあります。華人による旧正月15日の元宵節パレード(上記ツイート参照)はホーチミン市内でもすっかり名物となっているようですし、華人文化を発信しようとする華人の若者のFacebookページも市民権を得ているようです。

ハノイには中華街と呼べる地域がかつては旧市街にあったものの、今はほぼその姿を消しています(わずかに残るその名残については以下note記事をご参照ください)。国境を接する両国の厳しい対立の歴史が、ベトナムの中華街には大きな影響・影を残しています。その一方、日中の激動の歴史を越えて生命力を保つ横浜中華街、その違いをよりよく理解するため、今後帰国の機会ある度にもっと触れてみたいなあと思います。

この記事が参加している募集

この街がすき

11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。