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【読書記】国家の「余白」メコンデルタ 生き残りの社会史

久々のこの読書ノートシリーズ、今回は更に久々に本格的な学術研究書、「国家の「余白」メコンデルタ 生き残りの社会史」(京都大学学術出版会)を読んでみましたので、ここにご紹介したいと思います。

実は大学院時代には人類学を学び、人類学研究の世界に憧れも持つ中で読んだ本著。最初は「こんな500頁以上の大著、読み切れるかなあ?」と思いつつ、読んでみるとかなりすいすい読めました。加えて、インフルエンザになってしまい短いながらもステイホームの時間ができ(てしまっ)たので、更に読書は加速し、無事完読することができました。

メコンデルタの村に1年間住み込み調査!

何よりもまず感服したのは、その調査方法。著者がメコンデルタ・ソクチャン省のフータン社(xã:ベトナム農村部における基礎自治体)に1年以上住み込んで、人類学でいう参与観察を行ったということです。ベトナムは都市部で旅行・生活している限りにおいては一見自由にも見えますが、外国人の管理、ましてや地方への調査滞在などは非常に厳しく制限・管理されています。なので、学術機関などのバックアップはあったと思いますが、研究者個人がこれだけの長期間にわたるフィールドワークを実施できた、それだけで本当にすごいなあと尊敬するところです。

そういった長期滞在、参与観察だからこそ「時折村に帰ってきて少し滞在し、またすぐ去っていくような人がいることに気が付いた」といった、地元民だからわかるような、気づくような事象も把握できるんだろうなあと、とても感心するところです。こういった出来事は、時折村を訪れるような調査方法では、抜けてしまうこともあるでしょうね。

ハノイからは見えない南部、メコンデルタのベトナム

また、そもそも論としてベトナム在住15年ながら、ハノイ在住が15年である自分にはなかなか見えない「南ベトナム」「メコンデルタ」視点がとても刺激的です。更にソクチャン省のこの地域はクメール人が多く、いわゆるベトナム主要民族であるキン族(著書内では「ベト人」)、そして私も常に大注目の「華人」が昔から混ざり合って住む「Lai・混血」が当然のエリア。同地の人々による、国家に絡み取られない独自の生き残り策から、メコンデルタの社会史を紐解きます。

上座部仏教信仰が強く、国境から100km程離れているのに、「クメール人」「仏教」「パーリ語」などの共通項からカンボジアにひょいひょい移動してしまうこの地域の流動性、混淆性は、同じベトナムと言ってもハノイからは全く得られない視点だなあと感じます。

クメール人にとって留学先、出稼ぎ先、移住先として近い存在のカンボジア。そこは「1990年代末まではホーチミンよりもプノンペンへの出稼ぎが多かった」「UNCTAD支援下でドルが流通する、ある種の自由な経済活動が魅力だったプノンペン」という記述もあり、それほど前の歴史ではないのに改めて、そういう時代もあったのだなあという現代史の変遷にも気付かされます。

「戦わない」ベトナム戦争

また、本著内で作者が示されている、激動の時代の中で市民が選んだ数々の生き残り策、その一つは「徴兵忌避」です。その舞台としては越境移民と並んで「出家」が挙げられています。上座部仏教が大きな意味と権威を持っていたフータン社において、仏教寺院は色々な政治的主張を持ちつつ、人々が逃げ込む、正に「駆け込み寺」的な存在を果たすことがありました。南ベトナム政府のためでも、解放戦線のためでもなく、「出家」して生き残るという選択肢がとられ、それが地元政府役人も含め半ば黙認されていたという当時の雰囲気は、「アメリカを退けて勝ったベトナム!」のような「大きな歴史」からだけは出てこない歴史です。

実はそれを読んで思い出したのは、最近観てハマった、作曲家チンコンソンを描く映画「Em và Trịnh」の幾つかのシーン。全然関係ないように思いますが、劇中にはチンコンソンが南ベトナム側での兵役を拒否し、反戦平和を訴えた歌などに対しては南ベトナム政府警官に「反戦=共産側だ!」と彼が詰め寄られるシーンがありました。また戦争が始まる中、彼の友人の中には「オレは人を殺したくない!」と涙ながらに出家するというシーンも出てきます。

仏教僧が南ベトナム政府を揺るがすほどの権威を(南)ベトナムで持っていたことは聞いていました。ただ、当時の人たちの「生き延びたい」という当然・自然な思いを護る役割を、仏教寺院が担っていたんだなあということを、期せずして映画と本から感じたところです。

作者の声もご一緒に♬

本著は第38回大平正芳記念賞、第43回アジア経済研究所発展途上国研究奨励賞を受賞するなど、高い評価を得ています。また作者の下條尚志さんがこの著書について語っているこちらブックトークオンアジアも聞かれると、更に理解が深まると思いまし、こうやって著者の方の声で解説してもらえると、より親近感が湧きますね。色々勉強になりました!


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読書感想文

11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。