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ベトナムの新型コロナウイルスについて書いてるうちに自分が隔離されてしまってました、の巻

最近は時節柄もあり、このnoteでもベトナムにおける新型コロナウイルスについて多くを書いてきました。書きつつも、それ程病気自体を恐れているわけではなく、正しい予防行動に努めていれば大丈夫、と思っていたら、何と突然自分が「隔離」されることになってしまいました・・・。

突然伯母さんが病院での集中隔離に・・・

そもそも、住んでいる集合住宅の中で新型コロナウイルス感染者が出たらしいとして、急に周りがバタバタし出したのですが、こちらも「ありゃ、それは大変、買い出しに行かなきゃいけないかなあ」なんて言っているその内に、ベトナム人妻の親戚で同居している伯母さんが、その患者さんと「エレベーターで居合わせた」ということで、病院で集中隔離されることとなってしまいました。「えぇっ?知人でもないし、話もしてないのに、それだけで!?」と思いましたが、それだけで隔離だそうです。密閉空間、だからでしょうか…。まあ何とも厳格な…。

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そして突然伯母さんは病院に連れていかれることになります。「なんで私が!」と納得できない伯母さん、まあその気持ちはよくわかります、ですが医療関係者もそれこそ大変で、ただ政府方針を実行するのみですから、伯母さんもやむを得ずと救急車に乗ることになりました。でも、その隔離先での生活は食べ物もきちんと出してくれて落ち着いたもののようで、今は心も落ち着いて(観念して)期間が過ぎるのを待っているようです。

そして我が家も「隔離」・・・

伯母さんが感染者と「接触した」ということで、伯母さんは「F1」、そして我が家全員が「F2」となり、2週間家から出てはいけないことになりました…。以下のような誓約書にサインし「隔離中のルールに従います」ということになりました。それから朝夕に毎日体温を測りに来るとのこと。家に来た防護服装備完璧な方々は「坊」(Phường;ベトナム都市部の一番小さな行政単位)の医療センターの人だそう。多分、今は多くの人がこうやって隔離されているのでしょうが、土日もなく体温測りに来るのもさぞ大変でしょう、お疲れ様です。と思っていましたが、初日の朝しか来ず(苦笑)、体温は自己申告になりました。隔離者が増えている中でそれはそうですよね。

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そして、我が家には以下のような食料がとりあえず支給されました(家族5人分)。その後も定期的に野菜など配給があり、まあかなり手厚い待遇だなとそこは感謝。移動の制限こそありますが、とりあえずの生活の心配はなさそうです。もしかしたら、外国人だからかなあか、と思ったらそうではなかったみたいで、感染者の発生により突然隔離される人たちにはこういった食料が配られるそう。海外渡航などの結果での「自宅待機要請」による自宅隔離の場合は支援が必ずしもないようで、そちらの方が大変かもしれません。

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ただふと気づくと、塩素消毒の強いにおいがドアの隙間から漂います。ドアを開けてみると、外は消毒液で真っ白、いわゆる「公営プール」の臭いがプンプン。これはたまらないと、ドアの隙間をガムテープで埋めました。何だかバイ菌扱いされている感じがヒシヒシとして、「感染症(疑い)で偏見持たれるってこういうところから始まるんだろうなあ」と、色々考えさせられる思いです。ベトナム強い措置は予防にはある程度必要とは思いますが、感染者を「社会問題」しないようにはして欲しいと願うところ。

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ハノイの空の下で武漢やイタリアを思う

青天の霹靂で突然に2週間「出禁」を指示された当初は、何でまた自分が…、という気持ちにはなりましたが、急に武漢の人に思いを寄せることになりました。思いを寄せつつも理解はできなかった「都市封鎖」に立ち向かう武漢の人たちは、もっと緊迫した状態で、更に厳しい状況で長い時間を過ごしているんだろうなあと。

そしてイタリアでは自宅で隔離されつつも、ベランダに出て歌っている人たちの映像もありました。まあ気の持ちようではあるし、食料を確保してくれるのだから、既に在宅勤務にはなっていたので仕事も制限は出るものの何とかはなる、普通の生活のありがたみを感謝する、そんな2週間にしていこうと思います。

11年間ベトナム(ハノイ)、6年間中国(北京、広州、香港)に滞在。ハノイ在住の目線から、時に中国との比較も加えながら、ベトナムの今を、過去を、そして未来を伝えていきたいと思います。