イラク戦争20年
「たった今、地上戦が始まりました」
2003年3月20日夜8時。私は漆黒の闇に包まれたクウェートの砂漠に立っていました。隣には戦車の砲身を太くしたような「M109 155ミリ自走榴弾砲」。耳をつんざくような轟音とともに砲弾が闇を切り裂き、イラクに向けて放たれる様子をカメラに向かってリポートしていました。
イラク戦争開戦の一報でした。
「イラクが大量破壊兵器を隠し持っている」ということを理由に、アメリカがイギリスなどとの有志連合でイラクに侵攻したイラク戦争から20年。最終的に大量破壊兵器は見つからず、この戦争が間違いだったということはもはや世界の論調が一致するところです。
私があの時伝えたかったのは、戦場に立つ兵士たちが何を考えてそこに立っているのか、ということ。それは「戦争報道」という巨大なジグソーパズルの1ピースに過ぎないかもしれないけれど、現場から日本人が日本語で生身の兵士の姿を伝えることで、日本人にとって物理的にも精神的にも遠い「イラク」という国で起きている「戦争」という現実を少しでも身近に感じてもらえれば、という思いでした。
現場にいたからこそ知りえた、伝えることができたいくつかの言葉をあらためて振り返ります。
「イラク侵攻はRoad to Home」
ー陸軍第3歩兵師団の兵士
従軍取材をした部隊は前年の9月以来、ルーティンの訓練としてクウェートに駐留していた部隊。誰もが3月には家に帰る予定で、その日を指折り数えて待っていました。そこに降って沸いたイラク侵攻。「誰のためにこんなことをしなきゃならないのか。でもこれをやらなきゃ家に帰れない」。兵士たちが異口同音に言っていた「Road to Home (=家路)」という言葉には、せつない響きがありました。
「これはイラクの人々を解放する戦争。我々がこれから行うことをイラクの人々もきっと喜んでくれるに違いない」
―出陣直前、中隊長が隊員に向けた訓示
「凱旋パレードみたいだ」
―米兵が、米軍の車列を歓迎するイラクの人々を見て
「敵はそこら中にいる。もはや明確な前線はない」
-中隊長が、部隊後方に被弾したことについて
「あなた方はイラクで神から与えられた任務を果たさなければなりません」
―従軍牧師が、戦場で行われるミサにて
従軍牧師は言った。「兵士が政府から与えられた任務は神の思し召しとして許される行為。悪との闘いにおいて殺人は正当化されるのです」
「自分は一兵士として言われたことをやるだけ。外交の力を信じているし、自分たちの存在が抑止力になることを願っている」
―砲兵大隊の大隊長
「着弾点のことを考えたらこんなことやっていられない」
―砲撃をした兵士
155ミリ砲の射程は30km。誤差15m。砲撃をする兵士は「前線の仲間を助けるため」という意識が強い。
「自分たち(=アメリカ軍)が動くたびに死人が出る」
―湾岸戦争にも従軍したベテラン軍曹
「He is gone・・・」
―負傷したイラク民兵を救護しようとした米軍衛生兵
「フセインなんかのために命を捨てようと思っているやつは一人もいない。イラク人であることを誇りに思う」
―バグダッドで出会った、捕虜となった元イラク兵
「この戦争で自分が変わった気がする。家族と一緒に暮らすという、今までなんとも思っていなかった小さなことが、本当にかけがえのないことだと思えるようになった。人の命も・・・」
―バグダッド陥落後、アメリカ兵
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