美術展は刹那的。だから…
美術展プロデュースをしていていつも思うのは、展覧会とは実に刹那的であるということ。今回は2024 年 6月に開幕した「ロートレック展 時をつかむ線」の現場から、カタログ制作の実際についてです。
▶美術展は刹那的
展覧会を作る・・・それは何年も前から準備をして、作品の所蔵館(者)を口説いてコンテンツを作り上げ、様々なアクシデントを乗り越え(予定していた作品が急に借りられなくなる、なんていうのはよくある話)、予算とにらめっこしながら調整をして、会場設営をして、作品を展示して、一人でも多くの方に観てもらえるよう広報宣伝に注力して、毎日の入場者数に一喜一憂して・・・ 70 日程度の会期を無我夢中で駆け抜けた後は撤収作業。作品を壁から下ろして梱包し、解説パネルや装飾をはずして壁を取り壊すーーこれが実にあっけない。。。何年もかけて作り上げた展覧会という”作品“は 1 週間程度で影も形もなくなり、展示室は元の空っぽの空間に戻ります。
そして展覧会閉幕後、唯一形に残るのがカタログなのです。
▶カタログは閉幕後に残る唯一の「証」
展覧会カタログは展覧会が開催されたことの「証」。展覧会終了後にはこれしか残るものがないーーとなれば作り手としては否が応でも気合と愛情を注ぐことになります。「ロートレック展」では開幕約 1 年前からカタログ制作に取りかかりました。
①原稿は開催館学芸員が本領発揮
原稿は各開催館の担当学芸員が執筆しました。論文は 8,000~10,000 字、章解説は 800 ~1000 字、作品解説は 300~400 字程度。作品が生まれた背景や見どころなど、読み物として面白く、専門的になり過ぎず、締め切り厳守です。
原稿の文末には「S.K」などと執筆者のイニシャルを記し、「凡例」に名前を明記します。おそらくほとんどの人が気にかけない「凡例」のページって意外と大切なのです。
この時、開幕まで約半年というタイミングです。
②表紙はこだわりの手触り
同時並行でカタログの装丁やデザインを決めます。最近は小型軽量がトレンド。縦22cmのほぼ正方形で、表紙は《キャバレのアリスティド・ブリュアン》と迷いに迷った挙句、《ディヴァン・ジャポネ》に。手触りにもこだわって、モデルのドレスのようなベルベット調に仕上げ、展覧会のテーマである「線」の魅力を表現すべく、図版の輪郭を厚盛にして凹凸をつけました。
サイズ感が決まったところでページレイアウトを始めます。展示スペースの都合で会場では見ることができない作品なども漏れなく収録し、総点数約300点、総ページ数290 ページというボリュームです。所蔵者から作品の高精細画像を取り寄せ、場合によっては撮りおろしをしてレイアウトに落とし込みます。
このレイアウト稿の入校時点で開幕まで約2か月半です。
③用語統一:「街」か「通り」か「大通り」か
1週間ほどで初校があがってくると、校正作業が始まります。ここから約5週間、何人もの目と手を使って初校戻し、再校、再校戻し・・・と続きます。
校正作業では読むたび、見るたびに主語の位置やてにをはなど修正箇所が見つかり、もはや無限地獄のような感覚に陥ります。用語、用法統一も重要なポイント。「主に」は漢字にするのか、ひらがなで「おもに」にするのか。「一つ、二つ」か「1 つ、2 つ」か「ひとつ、ふたつ」か。書き手によって癖も違うので、漏らさずチェックして執筆者に確認、訂正をしてもらいながら統一をはかります。
またフランス語で通りを意味するリュー(rue)、アヴェニュー(avenue)、ブルヴァール(boulevard)は、リューとアヴェニューは「通り」、ブルヴァールは「大通り」で統一。サン=トノレ通り(rue Saint-Honoré)、オペラ通り(avenue de l’Opéra)、クリシー大通り(boulevard de Clichy)などです。
(ちなみにニューヨーク・マンハッタンではアヴェニュー(avenue) は「番街」(Fifth avenue=五番街)、ストリート(street)は「丁目」(42nd street=42 丁目)というのが一般的です)
④校正さん、プリンティング・ディレクターは偉大な職人!
カタログ制作でなくてはならないのが校正さんとプリンティング・ディレクターの存在。前者は文字の、後者は画像のマイスター(職人)です。
何度も何度も見直して、もうこれで大丈夫!と思ったページも校正さんの目を通すとさらに指摘が…。半角アケと全角アケの統一、ピリオド、カンマのうち忘れ、過去の展覧会の主催者名…。脚注の小さな文字まで、ありとあらゆる文字という文字を確認してもらいます。
そしてカタログの命とも言える画像の調整をするのがプリンティング・ディレクターです。作品をただ美しく見せるのではなく、色味や紙の質感、時には劣化した部分まで、より実際の作品に近づけるよう、約300点もの画像を一つずつ調整します。
書籍は一度印刷されると簡単には訂正できないので、緊張もひとしお。ロートレック展では作品点数の多さも相まって、約5週間、ひたすら原稿と画像と格闘しました。カタログはこうして時間をかけて何人もの人の目を通して完成するのだと身をもって思い知らされます。
そして迎える校了、下版。もはや訂正はできません。その後印刷、製本に約4週間、開幕3日前にようやく納品です。
▶展覧会カタログは基本、展覧会会場でしか手に入らない
日本では展覧会カタログは展覧会会場でしか買えないというのが一般的です。これは、ISBN(International Standard Book Number=国際標準図書番号)をとらないことが多く書店の流通ルートにのらないため、書店で取り扱われることが稀なためです。(そもそも所蔵者との契約でカタログの販売は展覧会会場で会期中に限る、と決められていることも多いです)。つまり展覧会カタログの多くは展覧会が終了すると古書店などからでないと手に入らない、ということになります。
学芸員の探求心、デザイナーのこだわり、校正の職人技、プリンティング・ディレクターのプロ意識・・・携わった人たちの膨大な時間と目を通してカタログは完成します。カタログを通じて、展覧会が観に来てくださった方の記憶の中に生き続けることを願って。