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嶺育てに関する考察① 嶺への要求の伝え方と基本的態度

うちの長男は嶺という。我ながらいい名前である。

この嶺と3年くらい親として関わってみて(一般的にはこれは「育てる」という表現が適切だと思うが、この方が自分にとってはフィットする)、いろいろ試行錯誤する中で、自分はこういう風に関わろう、というスタイルのようなものができてきた。これまでちゃんと言語化していなかったので、ここでちゃんと書いてみようと思う。

ちなみに、これを読む、僕を知らない誰か(そんな人がいることはあまり想定できないが)のために書く前に三つほど前提を置いておこう。

一つ目。僕は一人で旅をしたり、一人で本を読んだり、一人で山に登ったり、一人で楽器を練習したり、一人で映画をみたりするのが好きな人間である。つまり一人が好きである。家族と家にいても一人の時間を作れないかとあれこれ画策するような人間で、家族や子ども大好きなイクメンとは程遠い存在である。僕のような人間と結婚している妻という女性の存在が不思議でならない、そんな人間である。その認識で読んでほしい。

二つ目。この文章を書くにあたって「いい子に育てるためにはかくあるべし」とは微塵も思っていない。これから僕が書くのは「嶺との関わり方としての僕なりの現在の個別最適解(だったらいいな)」である。僕には、嶺を育てるための高い最適解が手元にあればよくて、他人の子どもまで範囲を広げてどう育てるのがいいかを考える余裕と興味がない。みんな好きに育てればいいと思う(どうせそんな親の思いとは関係なくこどもは好きに育つとも思うし)。なので、ここで書くのは「子育て」ではなく「嶺育て」についての個別限定的な話である。

三つ目。この文章は長い。長くなるはず。なぜならば、短くするつもりがないからである。世の人にとっては、短く、簡潔に言いたいことを書いたほうがわかりやすいし、読まれやすいのかもしれないが、そんなことは知ったことではないのだ。僕は文章を書くのがそれなりに好きなので、長く書きたいのである。ということで、長くなる(はず)なのだ。

では、そんな感じで書いてみることにする。さて、何から書くべきか。

嶺との暮らしの中で、よく困るというか、難しいと感じるのは「こちらの要求を受け入れてほしいのに受け入れてくれない」という状況をどういった方法で乗り切るか、という点である。

保育園に行く準備をしてほしい。散らかしたおもちゃの後片付けをしてほしい。ご飯を残さずに食べてほしい。ご飯の前にお菓子を食べないでほしい。いつまでもiPadで動画を見ないでほしい。基本的に自分が世界の中心だと思っている嶺と暮らしている以上、いわゆる「こちらの言うことを聞いてほしい」状況は際限なく生まれる。そして、ここでのコミュニケーションのやりようで喧嘩や揉め事に発展するので、結構どう接するかが大事だと思っている。

さて、こうしたときにどうしたものか。もちろん正解は知らないし、興味もない。なので、自分はどう考えているか、について書いてみよう。

昔、糸井重里さんが(僕の誕生日に)こんなことを言っていた。

この話、本当にその通りだと思う。断る理由を明かす必要はないし、別に嫌だとか気に食わないとか、そういう理由で断ってもいい。極論、理由がなくてもいい。だから、依頼する側は自由に断る権利を持つ相手に対してどうやって引き受けてもらうかを考える必要がある、ということだ。とてもとてもとても妥当な話であり、仕事をしている人にとっては日常的な話であると思う。

で、僕は嶺に対して何か要求を伝えるときは上述のように考えて接するようにしている、ということである。別に、特に新しい話でもなくて申し訳ないのだが(これは嘘。特に申し訳なくは思っていない。)、ただそれだけの話である。

と書くと終わってしまうので、「ただそれだけの話」についてもうちょっと書いてみよう。

まず、僕の認識について。僕にとって嶺は「未成熟な大人」ではなく「自分より才能と吸収力と成長性のある30歳下の後輩」である。

僕はたまたま先に生まれて、たまたま作った家族の中で父親という役割を果たしているにすぎない。僕が嶺より先に長く生きていることについて、彼が「敬意」を払う対象にはなりうるが(あと30年くらいならないと思うが)、「権威」や「権力」の根拠になってはいけないと思っている。別の言い方をすると、親と子という立場の違い、年齢による経験の違いはあるが、僕と嶺の間で上下関係があるわけではない。先輩というだけで、後輩に対して従わせる権利/権限を持っているわけではないのだ。

なので、彼に対して要望や要求がある場合、その関係性に基づき、僕は命令ではなく依頼や提案をすべきである、と考える。そして、それに対して、彼は拒否する権利を持っており、前述の通り、その理由を説明する必要もない。こちらがその理由を否定することもできない。拒否は拒否で、そこで終わり。ザッツ・オールである。

では、「朝、保育園に連れて行かないといけないのに、断固として行かないと言い張る」というような、どうしてもこちらの要望を通したい状況でどうするか。こちらの要求の通し方としては、怒る、命令する、脅す、騙す、おだてる、いろいろな手段が世の中にはあるが、僕は「こちらの要求を飲みたくなるように彼の心を動かすセンスのよい提案をする」が適切だと思っている。つまり、拒否しないような提案をする、というシンプルなことをちゃんとやる、ということである。

嶺と僕が対等な立場である、という前提を踏まえると、怒る、命令する、脅す、騙す、おだてるというのは、あまりいい打ち手には感じられないのだ。なぜならば、自分が同僚や友人に対して要求を通したいときに、こうしたアプローチはとらないからである。子どもだから、嶺だから、あるいは大人だから、親だから、そういったことがこうしたアプローチをとっていい理由になるのであれば、それは大人/親という権威に基づいた上下の関係性を肯定するということなのではないかと思う。僕は、嶺とそういう関係にはなりたくない。あくまで、人生のある時期を共に過ごす30歳離れた先輩、後輩関係でいたいのだ。

長々書いてきたことが、僕の嶺に対する基本的な態度である。こんな文章をダラダラを書いて何の意味があるのだろうか、という問いが一瞬頭をよぎった気もするが、まあいいことにしよう。

つづく。



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