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メンヘラと戦いながら抑うつしながら就活した記録

 ドイツ留学中に親しくなった現地男性に好意を持たれ、不本意ながら付き合うことになった。というのも私はその時も日本に彼氏がいて、彼と別れたくはなかったからである。じゃあ二股かけるなよという話だが、彼のメンヘラ気質はその時から滲んでいたのに、私が愚かにも平和的に断ろう、諦めてもらおうという、誤った方策を取って案の定失敗してなしくずしに交際が始まってしまった。それから終わらない自己嫌悪と鬱が始まるのだが、そうした記憶も遠くから見ればエンタメだと思うのでこうして自虐的に書いてみる。

 2023年8月
 私が日本に帰国する月で、ドイツの彼に遠距離恋愛を続けたくはないと伝えるがあまり理解を得られないまま帰国し、電話やらLINEやらで再度伝える。この過程で彼は別れることを受け入れてくれるのだけど、同時に私が日本の彼氏とも別れることを強制しようとし、自傷をほのめかす。取り合わない選択もできただろうが、彼は過去に一度左手首に傷を作っているので無視できなかった。こんな扱いは不当だと思いながらもとにかく彼氏とは別れると伝える。自分を脅すような人間とももう本当の友達に戻ることはできないと分かっていたので、深い関係を持った人間が自分の周りから一気に2人消えることが確定し、絶望的な気分になる。
 自分のせいで(完全にそうではないことは分かっていたが、とにかく)一人の人間がここまで傷ついたという事実に愕然とする。この時から顕著に眠れなくなったし、一度寝たらまた起きて人生を再開するのがとても億劫で、朝は動けなかった。寝ている間が一番幸せで、祖母宅に住んでいたので人と会話する機会はあったが、とにかくアハアハ笑って心はどこにもなかった。朝起きられないのを改善したくて、アドレナリンを出すために筋トレをしたりしていた。

2023年9月
 日本の彼氏と距離を取りつつも、帰国後に友達と集まる機会があったので数回は会っていた。私が撮った写真に彼の車が映っていたのが分かったようで、別れていなかったのかと詰められる。そうしたやり取りを電話でする中で、きっかけが何だったのかよく思い出せないが、彼がスマホをどこかに叩きつけた音が聞こえて通話が途絶える。こんなドラマみたいな行動をとる人が本当に存在するんだなとぼんやり考えつつも素直に恐怖を覚えた。
 ネガティブな考えに取りつかれたり、入眠に時間がかかったりというのはこの時も続いていたが、夏休みが終わり学期が始まったので生活リズムがマシになった。何か課題や時間割に間に合わせるように動くために思考を割くので、無意味に自分を苛む時間が減ったのは良かった。就活も考え始めて何度かオンラインの企業説明会を受ける。こんな精神状態の時に自己分析をしなければいけないのがグロテスクすぎる。

2023年10月
 ドイツの彼とは別れて友達として連絡をとるということでやっと落ち着いた。しかしそれでうまくいくわけもなく、私が1日に1回くらい返信を返すのが少なすぎると詰められる。親友であるならばもっと密に連絡をとりあい、たまには電話もしたいと要求された。冗談じゃない。相手が自分の思い通りにならなければ自傷すると言って従わせようとする人間を、まだ友達として扱おうとしている時点で私はいっぱいいっぱいなのに。
 就活の予定が増えてきて、スケジュール帳を見たら週に最低2回は何らかの説明会に参加していた。当時の私からしたらこれでも就活の欺瞞くさい部分にあてられて充分げっそりしていたのだが、今考えればまだ何の受け答えもESの準備も必要なかったので楽だった。寝る前は涙が勝手に出たり、耳鳴りがうるさくて止まらない。

2023年11月
 ドイツの元彼との共通の友人である女の子とLINEが続いていたが、この時ちょうど彼の話題になる。彼女も最近の彼の様子がおかしいと言っていて、私も連絡の頻度について何度も口論になったことを話し、少し気持ちが楽になる。自分が極端に薄情な行動をとっているわけではないと分かっていても、ずっと責められていると何が正常なのか分からなくなりそうな時があるので、第三者の意見はありがたかった。勇気を出して彼にもう限界だと告げ、LINEをブロック。ずいぶん心が楽になる。日本の彼氏との交際を徐々に再開する。
 このあたりで気付き始めるのだが、就活説明会、および座談会でこれまでの経験を話してくれる社員の割合が、大きく男性に偏っている。働き方やキャリアに対するイメージを持ってほしいという名目でこうしたイベントが開催されると思うのだが、女性社員の方が割合が多かったことは一度もない。妊娠出産が少なからずキャリアに関わる女性にとって、転勤2回を経験した男性の出世人生を見せられても現実感が湧かない。初めての一次面接に落ちる。今思えば散々な受け答えをしていた。

2023年12月
彼との関係は終わっているので特に変わりはない。就活の予定が週に3回ほどあり、面接対策などもしていた。
 精神の不安定さは続いていて、付き合っている間の嫌だった出来事や、自傷をほのめかされたときの全身の体温が下がったような感覚を寝る前にぐるぐると思いだす。寝る前だけだといい方で、授業の合間など、ちょっと気を抜くと涙が出てくる。深く悲しんでいるというよりは、トラウマの記憶に対する反射のような涙だった。こういうのをパニックっていうのかな。

2024年1月
 時間が立てばそうした症状?も消えるかと思っていたがあまりよくならない。気分の良い日や、彼氏と一緒に居て安心できる日には軽くて、それでも夜は呼吸が浅くなる。そろそろ専門的なサポートを受けようかと考え始める。2月1日にカウンセリングを予約した形跡がある。
 私が夜中にグズっていると慰めてくれる彼氏がいたたまれなくてならない。どこにも存在していたくないが、このようなクソのためにこの私の人生が停滞するのは許せない。お前なんかのために死んでやらない。

2024年2月
 カウンセリングを受けて、市内の精神科のリストや眠れないときの対処法を書いた紙をもらう。カウンセリングの内容自体で具体的に助かったことはないのだが、公認心理士から心療内科もパンクしていると聞いたのが、自分でなんとか立ち上がろうと思うきっかけになった。なんというか、そんなにもたくさんの人が精神に問題を抱えながらも大丈夫そうにして生きていて、すれ違っていることに感動した。それを知っただけで少し救われて、精神科の予約を入れるのは考え直した。眠剤は正直欲しかったけど。
 と、頑張ろうという心持になったところで、実家の父母が別居を始めた。私が思春期を過ごした部屋が引き払われて、近日中に母に会いに長野に行くことになった。父から説明が一切なかった。

2024年3月
 最初の内定が出る。正直それどころじゃない状態で就活を始めたけれど、自分で一生懸命自分をケアしたりカウンセリングに行く決断をしたりしてここまでたどり着いたので感慨深い。畜生、幸せになってやる、と思う。人が自分をどう扱うかとか、他人同士がどう関わるかとかは私の努力ではほとんど変わらないけれど、自分の選択肢は自分で選べる。
 献血を趣味にしているので定期的に体重を測る必要がある。パニックっぽい症状は大分頻度が減っていて、経過は好調だと思っていたが、体重が妙に減っていることに気が付く。鬱傾向のせいか、就活のストレスか、筋トレのせいかはよく分からない。食べる量を増やしても戻らない。6月現在に至るまで戻っておらず、19くらいで安定していたBMIが17を切った。低体重に突入。スナイデルのsでもウエストが緩すぎる。すぐ汗をかき、すぐ寒くなり、手足が冷えると動けない。

 ここからは就活にしかあまり動きがないので、この記事に書く内容としてはここまでにする。実は5月あたりに勇気を出してもう一回メンヘラと戦ったけど、それを書くための精神的な体力はまだない。自分を苦しめた人間の行為を不特定多数の目の下にさらしたいという、恥ずべき後ろ暗い攻撃性が私を動かしているので、この衝動が消えないうちに何かしらを書きたいとは思っているけれど。活字中毒というのは、こうやって自分の醜悪な部分まで文字にしないと気が済まないところがあるから厄介だ。一つ弁解しておきたいけれど、こうした俗悪な部分がわたしの本性だとかは思わないでほしい。七つの大罪と同じくらい強く、私には善く生きたいと願う気持ちもあり、どちらも本性である。



 

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