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映画「同じ下着を着るふたりの女」 愛を嗤う母


□卓越した人間観

髪を赤く染め娘に手をあげる母

それを毒親としてしまえばわかりやすいかもしれない

おそらくキム・セイン監督の分身的な存在は
娘の方であったに違いない

しかし監督はこの母娘の善悪について
絶妙な均衡で描き続けた

だから観客は母娘どちらの気持ちも
おもんぱかる時間が終始つづくことになった

ここにキム・セイン監督の
卓越した人間観のようなものを感じる

□舞台挨拶:文化圏の違い 

長編デビュー作にして痛烈な作品を紡いだ監督が
福岡KBCシネマで1時間の舞台挨拶をおこなった

スラリとした彼女はカジュアルな服装
自分を大きく見せようといった素振りはない
優しい口調で作品について語ってくれた

・どんな観客をイメージしていたか

 一番の観客像は自分自身だったかもしれない
 この作品の感情的な部分は自分が投影されている

・映画祭などでの反応はどうか

 韓国では娘のイジョンに感情移入した
 という感想を聞いた

 東京では母のスギョンに感情移入した
 という感想も聞いた

 一方でヨーロッパでは
 こんな人たちがいるわけがない
 過激なブラックコメディだろと言われた

 母娘の贖罪をめぐる場面で
 笑いすら起きて驚いた
 文化圏の違いを感じた

・作品やシナリオの着想

 まず映画にしたい出来事のいくつかを
 書いていたがあまりしっくりこなかった
 そこで母役を自分の本当の母の名前に変えてみた
 それから筆がどんどん進んでいった

・作品に共通するもの

 人物が他者と出会って近づいていき
 そしてやぶれて変化していくということ
 
 私は人間関係をやや悲観的に考えている
 他者との適正な距離感が大切だと思う
 他者に頼る以前に自身が成長することが必要

・母娘関係について

 昨今の韓国映画では仲良し母娘や
 和解する母娘が描かれることも多い

 しかしそればかりではない多様なモデルを
 示したいという考えがあった


□舞台挨拶:愛を嗤う母

・停電場面での母スギョンの表情

 台本には乾いた笑いを浮かべるとあった

 スギョンは生きるに精一杯で愛なんてことを
 考えてはこなかった
 
 だから娘から愛を乞われて戸惑う

 母役ヤン・マルボクさんの演技は
 現場の空気の中で「役を生きた」ものだ

 あの彼女の表情によってスタッフみんなで
 探していたものに辿りついたという思いがした
 
・結末について

 結末の場面が多すぎるのではとの指摘も受けた
 
 それでもふたりそれぞれの結末を描くことに
 したかったのでこのような構成になった

・バックグランドの説明がないこと

 当初予定は3時間40分の長尺ということもあり
 ふたりの間になにがあったかは描かなかった
 
 過去よりもこれからの未来が大事であり
 だから現在のことを最優先して描いた

・唯一の回想シーンについて

 卒業式の回想は娘イジョンが
 可哀そうだと観客は感じるかもしれない
 
 しかし「どうしていいかわからない」という
 母スギョンを表したくて描いたシーンだ

・衣裳や小道具

 この映画のエピソードは私の実体験ではない
 しかし私自身の母への愛憎は反映されている

 一部の衣裳や小道具は本当の母のものを使った

赤い車がスクラップされるのを
私たち観客も娘イジョンと同じ気持ちで見届ける
メリメリと潰れる車に母を見る

劇場で鑑賞したらぜひ感想をお聞かせください

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