映画「オットーという男」 親切さや寛容さがあるのも事実
□死ねなくなってしまった
トム・ハンクス演じるオットーが世を儚んだのは、妻を亡くしたからか。
たぶんそうなんだけれど、それだと妻や愛を持たない自分はさっぱり理解ができない。
だからオットーが死にたいのは「世界は生きるに値しないと呆れたから」ということにさせてもらいたい。
妻に先立たれたオットーにとって世界は色を失った。
しかも世界はつまらない場所になった。
犬の小便がまき散らされ、ゴミは分別されず、みんなが自分を老害扱いする。
くだらねえ、こっちからおさらばしてやるよ。
せっかくそう決意したのに死ねなくなってしまったのは、彼に「家族」ができたからだ。
□ヌートバー選手には狂喜しながら
彼の家族
向かいに越してきたメキシコ系住民
親とうまくいかないトランスジェンダーの若者
勝手につきまとってくる野良猫
オットーのような良識派というか、保守派というか、そんな男が毛嫌いする相手が「家族」になってしまうのが痛快で、その過程をていねいに示すことでこの映画は成功している。
共生や多様性を概念ではなく、どうやって実現するのかストーリーで見せてくれる。
オットーは「古き良きアメリカ」を好み、トヨタ車やワーゲンを否定し、メキシコ系なんて問答無用で煙たがる男。
これって、どこかの誰かに似てないか。
移民は受け入れるべきではない
中国人、朝鮮人とは相いれない
治安が絶対に悪くなる
日本の伝統が壊れる
ヌートバー選手に狂喜しながら、生来の排他性を拭えない。
「みんなちがって、みんないい」のフレーズは好きなのに、異なるものとすり合わせができない。
ちがうって苦手で、怖い。
□自由へのたたかい
だからこそオットーという男の感情の変遷は参考になる。
彼こそ保守的で頑迷なザ・アメリカ白人だったからだ。
そんな彼がどうやってメキシコ出自の隣人に自宅の鍵を預けるまでになったか。
オットー、あなたに電話は貸さないわ
どうして昨日鍵をあけてくれなかったの
私がどれだけあなたを心配してたかわかってる
私はずっとあなたが大丈夫か不安だった
そんな人に電話は貸さない
隣人が本気で怒ったとき、オットーも本気になった。
島国根性があるのは仕方がない。
そもそも島国なんだから。
一方で我々に親切さや寛容さがあるも事実だ。
ただ扉が開くまでに長いプロセス必要だ。
我々はシャイで、なかなかに面倒な性質なのだ。
でもオットーは楽しそうだった。
妻が亡くなっても、守りたい隣人ができたから。
隣人家族が一緒に妻の墓参りに行ってくれた。
彼女の好きだったピンクの花を供えた。
子どもたちはお気に入りのメキシカンレスラーのフィギュアを供えた。
そんなかわいらしさのなかで世界はつまらないものではなくなっていた。
メキシコではプロレスのことを「ルチャ・リブレ」と言う。
スペイン語で「自由へのたたかい」という意味だ。
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