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セロニアス文句

セロニアス文句

セロニアスモンク
というジャズピアニストがいましたね。
彼は「ピアノは間違った音は出さない」という名言を残しましたが、彼の美しい速度とその正確な演奏を聴いて、もはや間違わないのはセロニアスモンクさん、あなた自身だったのでは?とも思います。
彼の独特な個性である音のズレというのは、色んなアルバムを聴いていくうちに計算されたものなのか?って思ってしまいますよね。

最近在宅で仕事をしている時に、セロニアスモンクを聴く事もあるのですが、僕はジャズそんな詳しくないのでいい意味で邪魔されず集中できていいんですよね。
「このタスクを1時間くらいで終わらせたい」
なんて時に、セロニアスモンクのアルバムを1枚流してそれを聴き終わるまでに終わらせよう、とかしてるんです。

ただ邪魔されないとは言いつつも、聴き入って夢中になってしまうがあまり、タスクを終わらせる時間、もう少し延長させようかなと思うこともあります。
しかしヘッドホンで音楽を聴いているため、その疲れで首を痛めてしまうこともしばしば。

まあそんな話はさておき、セロニアスモンクのように、間違った音は出さないように生きたいなと思います。
これは音楽面でもそうなのですが、どちらかと言うと実生活面でですね。
つまり間違った言葉は出さないようにしようと。

みなさんもありませんか。
「今の言葉ちょっとアレだったな」
みたいな。
特にそういう場面に出くわす時は、感情に身を任せて言葉を出しちゃう時とか。
文句言う時ですね。
文句を言うなとは言いませんが、せめて正しい文句でありたいものです。

もうとっくに気づいていると思いますが、僕はこれから正しい文句のことをセロニアス文句と言うことにします。

でも正しい文句ってなんでしょう。
これはいきなり難しいですし、そもそも文句そのものが悪ではないかと思う人もいるでしょうが、例えで僕の実話を出してみます。

僕は中学の頃担任の先生にいじめられていました。
名簿から名前をわざと消されたり、クラスの生徒の中で俺のことだけてめー呼ばわりをしたり、学校に行ったら俺の机だけ外に出されたこともありました。
それを母親に言うと三者面談の時に母親は俺を教室の外に出させて先生と中で2人会話をしていました。

母親が教室から出てくると、散々文句を言ってやったわと言っており、何を言ったのかは分かりませんが、その日以来先生からの嫌がらせはなくなりました。
先生も学校を辞めたりはせず、続けていました。
僕はセロニアス文句とはこういう事なのではないかと思います。
前提としてこちらは悪いことなにもしてませんからね。

もうひとつ例を挙げます。
会社で上司に怒られたとします。
向こうの言い分はこうです。

・今日提出する予定の資料がまだ出来ていないとはどういう事だ

しかし、一週間前にこの資料は明日提出と言われていたんですね。
完全なる報告ミスです。今時あまり無いとは思いますが。
「もういい」
と上司が投げ捨てるように言葉を吐いてどっか行ってしまいます。
呆れたこちらも喫煙所へ行ってタバコを吸います。
そこへ同僚がやってきたので
「おいちょっと聞いてくれよ、さっきこんな事があってさ」
と上司の文句を同僚に。

この場合前提条件の、「こちらは何も悪いことはしていない」というのはクリアしてますが、これはセロニアス文句ではありません。
ただの文句です。
その人のいない場所でその人の文句なんてのは、ダサすぎます。
セロニアス文句のセの字もありません。

セロニアス文句を言うならば、それなりの覚悟が必要です。
セロニアス文句は、面と向かって相手に言わなければなりません。
僕の母親だって、息子の教師にセロニアス文句を言うことは覚悟と勇気が必要だったはずです。息子の立場や自分の立場もありますからね。

だから上司にしっかりと
「ちょっと待ってください、自分は明日までと聞いていましたので、明日に間に合うように資料作成をしていました、覚えてないんですか、何で覚えてないんですか、あなたがそう伝えたんですよ、まったく、本当にあなたの頭の中は銀座のキャバ嬢の事しかねーんだなボケナス」と言って初めてセロニアス文句の一歩目となります。

ただお気づきの方もいますが、このセロニアス文句、夢中になりすぎるといよいよ首が飛んでしまうよ。

転校生

僕の話は面白くない
らしいです。
いや、別に自分でもむちゃくちゃ面白いとも
あんま思わないし、芸人志望でもないけども。
ただ何か面白い話をしてなどと無茶振りをされても黙って下を向かないよう、僕かっていくつかネタを仕込んであるつもりです。

その中の1つを今日は紹介しましょう。

僕が中学生の時の話です。
転校生がうちの学校に来たんですけど、すごい真面目で明るい女の子だったんですね。
その性格もあって、あっという間に学校にもクラスにも馴染んで、いつのまにかクラスの中心にいるような子でした。
いつも教室の端っこで1人でいるような僕にも優しい子で、良い子だなーって思ってました。この優しい転校生を以下「Aさん」と呼びます。

ある日プールの授業がありまして、男子だけが着替えている部屋で1人の男子がこんなことを言い始めたんですね。
「俺昨日、Aさんと2人で帰ったんだけど、その時Aさんの胸揉んじゃった」
僕はその時も端っこであたかも聞いてないような顔をしていましたが、もちろんびっくりでした。
しかし別の男子が
「え、俺も先週一緒に帰った時揉んだけど」
って言い出したんですね。
またもや驚きましたが、
「え待って、俺もだわ」
という男子が続出。
結果クラスの男子でAさんの胸を揉んでなかったのはおよそ20人中たった2人でした。
1人が僕。
もう1人が不登校の男の子でした。

という話で、(もちろん口で話す時はもうちょっとテンポ感とか溜めとか意識しますけどね)話終わった後の僕は
どう、なかなか面白いでしょ
と相手の反応を見るのですが、大体の人は悲しそうな顔をしてるんですね。

え、面白くなかった?
と僕が聞くと、
「いや、まあ面白いんだけど、どちらかというと悲しいが勝つ」
と言う訳です。

これでは僕が、ミスIDの面接をしてるみたいではないですか。
しかし決して僕は自分の悲惨な過去を話したつもりではなく、確かに当時は悲しかったけどだからこそもう今では笑えると思って話してるんですね。

確かにこの話は悲しいです、それが分かってないと絶対に笑えません。
ただこれは昔の話で、今は彼女もいるんです。
今も独り身の僕がこの話をしたら本当に悲しすぎますが、そうじゃない僕が笑って話してるんだから、できたら悲しいを通り越して面白いに到達してほしいです。

てか多分僕の仲良し友達なら普通に笑うと思うんだけど。
僕の仲良し友達ってもしかして最低?

でもこういうのって日本人ぽいな〜って思います。本当に優しい人が多い国ですね。

話は少し変わりますが僕の好きな映画監督の1人に北野武という方がいます。
彼はよく自分の映画についてインタビューを受ける時に、
「自分の中で笑えるシーンの時に海外ではちゃんと笑ってくれるんだけど、日本人は笑わずじっと見てることがある」
と言っていました。

ちなみに僕もソナチネという映画を初めて観た時に、面白いより少しだけ怖いが勝った気がします。
その怖いと感じた理由は、映画の中で自ら演じている北野武のセリフの中で、自殺を暗示させるようなのが出てくるんですが、どこまでか本当でどこから演技なのか分からないような気がしたからです。

ただソナチネ公開は1993年。
僕が生まれたのは1998年。
ソナチネ初めて観たのは20歳とかだったから、北野武が結局自殺とかしなくて何なら今も普通に生きて現役なんてことは知ってます。
なのに怖いが勝ってしまうんですね、これが日本人なのでしょうか。
これが僕の話を悲しいと感じた人の気持ちなのでしょうか。
だとしたらごめん。

そう考えたら、僕は面白いと思える場面をこれまで幾つも落としてきていたのでしょうか。
そう考えたらちょっと恐ろしいような気がしてきました。
でも待って、
何だかんだ1番恐ろしいのは、
隠れビッチをやってたのに結局卒業まで俺の前で優等生を演じ続けたAさんだから。

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