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レコードの針

平成以降の若者には
おそらく想像できないであろう
レコード針のお話

レコード針もさることながら
数年、平成生まれであろう若者に「缶切り」を見せられ
「これ…なんですか?」
「どうやって使うんですか?」と
真顔できかれ質問に驚く!?

缶切り…要らないですよね
ほぼほぼひっぱったら
開くタイプの缶がほとんどだし
知らない者にとって
缶切りの謎の形状って
…たしかに想像絶するなぁ⁉︎と
昭和とのギャップを自覚した瞬間であった

そして缶切りさながら
今では無名になった
本題の
「レコードの針」のお話でございます…

そもそも「レコード」知ってます?て話
レコードのことLPと呼んでましたよね(→昭和の方へ^^;)

レコードをセットして
慎重に針を下ろして聴く
緊張感とデジタル音質とは違う
ノスタルジックな音質
あれはあれで
風化するには勿体無い文化で
今でも一定のファンがおられる事と思います

我が家はクラシック好きの父親が数々のLPの名盤を集め
宝物のように扱っていました

短気な父親の機嫌と
レコードの針を下ろす瞬間の
緊張感と
失敗した時の耐え難い不興な音質
が忘れられません

そして
いくら気をつけていても
いつのまにやら傷がつき
傷で音が飛んだり
繰り返すストレス

失敗した時の音のストレスに加え
傷をつけた時の父の怒りと
傷をつけるのではないかという緊張感…

幼児期から父の怒りがこの世で最も苦手だった自分には
「レコードの針」には
複雑なトラウマがあります

しかし
高校生の思春期に
この世に自分の居場所がないと
勝手に思い絶望した頃…
ふと手にとり
父のLPをかけてみた

チャイコフスキーか
ドボルザークか
シベリウスだったか
記憶は定かではないけれど

父の愛する交響曲の一つをかける

こんな美しい世界が存在するのか
…と

現実の世界だけではないことに
気付かされた瞬間であった

今までは自分の意思とは関係なく嫌になるほど何度も父のレコードを聴かされ
レコード針へのストレスと嫌悪感と重なり
心から感動するに至っていなかった

しかしこの時に
自分のみている世界の狭さに
音楽によって
気付かされたのだった👀

レコード針…
実の父親でありながら
性質が真逆で
世界で最も理解しがたく
遠い存在であり、
表には出さなかったものの
心の中で確執があった

しかし本当に美しいものを
教えてくれたのも
父親のレコードであり
言葉にしなかったものの
芸術に価値があることを
教えてくれたのも父であった

「レコード針」という響きに
正負を含めた想いが
甦らされる

デジタル世代には
まったく想像できないであろうけれども

それはそれで
趣があり
面倒はあるものの
面倒な中にも
感動とその時代の流れを
悠久の時としてくれる
昭和の宝物を
知ってもらうのもよいのかも
とふと想う…🌱



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