心の真ん中にある「寂しさ」について
先日受けた、ジュリアさんの「感情を癒すセミナー」の第1回目の中で、紙に大きくハートマークを書き、その中に自分の中にある感情を全て書き出すというワークがあった。
私は静かに座って直感とつながり、一番初めにハートの真ん中に「さびしい」と書いた。その周りにはネガティブもポジティブもたくさん出てきたが、真ん中の「さびしい」がずっと気になっていた。
私の心の真ん中にはずっと「さびしい」がある。今までも。今も。そのことに気づいた。
セミナの中でどんどん幼いころに遡っていき、自分のインナーチャイルドと出会うワークを行ったが、私のインナーチャイルドは赤ん坊だった。
私が生まれた時、父の転勤で、両親は故郷の広島を離れ、愛知県に住んでいた。1960年代後半から1970年代にかけて。高度経済成長期。第2次ベビーブームと言われた時代。その頃どんどん建てられた「団地」と呼ばれる集合住宅に住んでいた。
ご近所さんはたくさんいたが、神経質で人見知りの激しい母は、親戚も昔からの友人も居ない土地で、初めての子どもを授かり、頼る人もなく、その子供(私)を育てるのに苦労したのだろうと思う。
父は幼いころに両親を亡くしたため、いわゆる「普通」の家族のモデルを知らなかった。母も複雑な家庭で育ったため、テレビの評論家がもっともらしく語る、「抱っこすると抱き癖がついてよろしくない」という、今の常識から考えると真逆の育児論を信じてしまった。
そのせいで、赤ん坊の私が泣いていても、母は抱っこするのを我慢した。抱っこしたいのに抱っこできないのが辛くて、違う部屋に行き、耳をふさいでいたそうだ。
父は、「赤ん坊が泣くのは根性が無いからだ、今のうちに根性を鍛えなければならない」という、よくわからない持論をもち、泣いている赤ん坊の私の太ももが真っ赤になるまでたたいたそうだ。見かねた母が私を抱いて逃げたと聞いた。
今の心理学では、赤ん坊の時に十分な安心感が育てば、「この世は安全だ」と思えるそうだが、その真逆の状態に置かれていたわけだ。
もちろんその記憶は私の中にはないが、私の人格形成に大きな影響を及ぼしたことに間違いはない。
広島に帰省した時に祖母から聞かされた話では、2~3歳の頃の私は、どうしたら良いかわからないといった様子でおどおどしていて「こんな小さな子どもなのにかわいそうに」と思ったそうだ。
物心ついたときの記憶では、翌年、年子で生まれた妹は母にべったりで、いつもうるさいくらいに母に話しかけていたが、私は話しかけたくても話しかけられない状態(その隙が無い)で遠くから見ている記憶と、毎日正座させられて母に怒られている記憶。その時に考えていた事は「はやくお父さん帰ってこないかな」だった。父が帰ってくれば「そのくらいにしとけ」と言ってくれて、母の小言が終わるのが日課だった。
私の中の「さびしい」はかなり根深く、それは「見捨てられ不安」となり、長きにわたり、私自身を傷つけ苦しめてきた。そのことによって結果的に、恋人・友人・家族など大切な人との関係性にも悪影響を及ぼしてきた。
時々、深いところからどうしようもない絶望感が沸き上がり、「生きていても仕方ない」と思う事がある。その絶望感の深さはブラックホールのようで、どこまでも深い闇のように思える。
今、私は、それを克服しようと静かに大切な人との関係性を築こうとしている。
その方法は、「どんな小さな違和感や疑問も、ちゃんと伝え合う」という、とても地味な作業だけど、私にとってはとても意味のある事で、それをし始めた時に、いままでどれだけ自分の色眼鏡で相手を見て、勝手に分かった気になっていたか、という事に気づかされた。
相手の気持ちは相手にしか分からないし、自分の気持ちも話さないと伝わらない。なぜならものの見方感じ方は人によって違うから。
その違いを素直に受け入れ、「そっか、そんな風に感じているんだ」と分かることで、より深く人と繋がることができる気がしている。
「自分の大切な人と深くつながる」という事は、今の自分にとって、とても大事な一歩という気がしている。
私にとっては、大きなチャレンジでもある。
こころの真ん中の「さびしい」が、消えてなくなることはないかもしれないけど、その気持ちが教えてくれた事は大きくて、それがあるからこそ、「心の深いところで人とつながりたい」と思えるのかもしれない。
そう考えると、これは人と深くつながるための「ギフト」なのかもしれない。
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