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「人間」を理解してしまうと、こうなる。

Murat Pakのサイドプロジェクト

Murat Pakという謎めいたデジタル・アーティストは、騒がしいNFTやWeb 3.0の界隈でもひと味違うテイストを感じさせてくれる。よくロボットでいう「不気味の谷」とはまた違う種類の「得体の知れなさ」なのだが、人間の温かみは前触れもなく排除され、合理的なのに狂気じみた冷たさが、未来を、あるいは何かの真理を提示してくる。そのような世界観なのである。その背後に、何か人知を超えた「理性」あるいは「知性」が、言語化しえないメッセージを、視覚的イメージを介して語りかけてくる。

このような世界観を持つアーティストのPakなのだが、個人の作品はまた「話題」を作り出すのにも長けている。たとえば「The Pixel」という何の変哲もない全面なグレーが敷かれた1ピクセルの画像の作品や、ジュリアン・アサンジ(かつてWikileaksで世を騒がせ、現在は投獄中のハッカー)とのコラボのシリーズ「Censored」などである。これらの作品を作っている傍らで、「そこまで時間をかけていない」とされるサイドプロジェクトとして、ツイ廃なら誰もが一度は目にしたことのある、謎の画像bot「@archillect」がある。Archillectが投稿する画像は、見るにネットの片隅に落ちている画像だろうし、特段画質が綺麗というわけでもない。なのに、なぜか気になる。

その引っかかりを無理矢理に言葉にしてみると、やはり「どこかが不気味だ」という感覚なのだろうか。「実存が危うくなる」ような危機に陥ってしまう。シックな色、ディストピア的で、ペシミスティックで、シニカル。サイバーパンクや80年代と90年代のアニメ文化の痕跡が窺えるし、ミーム的な関心も見え隠れする。そして、「画像が何かを言おうとしている」、つまり「イメージの中に何かメッセージが隠されている」ことのが仄めかされている、という感覚に取り憑かれてしまう。

@archillectのタイムラインで体感的によく見かける画像の種類としては、人間の痕跡が消された空虚の未来が表現されているものや、現実の閾値を破壊してくるようなもの、サイバーパンクとテクノオリエンタリズムの世界観のもの、90年代アニメのワンシーン、ペシミスティックで自己嫌悪が語られているもの、などである。

1時間に複数回、画像だけのツイートが投稿され、一日でいうと100枚以上の画像がタイムラインに上がっているというような計算になるが、その後ろにいったいどのようなチームがいて、誰がなぜその画像を選定しているのかが、ずっと不思議に思っていた。しかし、その答えは、思えば当たり前なのかもしれない――背後にいるのは「アルゴリズム」だった。

アルゴリズムの作者はMurat Pakだが、「Archillect(アーキレクト)」というのは「Archive(アーカイブ)」と「intellect(知性)」の二つの言葉からなる造語である。「建築(architecture)」とはあまり関連がなかったかもしれない。Pakの定義によると、Archillectは「感性を刺激する視覚コンテンツをさまざまなソーシャルメディアで見つけ出し、それをシェアする人工知能」だという。つまり、Archillectはアルゴリズムによる画像キュレーターである。Pakはこのキュレーターを「彼女」という三人称で呼び、彼女を「デジタル・ミューズ」と位置づける。

ネットサーフィンをするアルゴリズム

しかし、このアルゴリズムの出発点は案外、身も蓋もない「マーケティング」手段の一つだと暴力的にまとめてもおそらく問題ないだろう。このようなフューチャリスティックで得体の知れない知性は、そもそも「どのようにしたら投稿がシェアされるのか」という目的で創られているらしい。あまり新鮮味のない「画像に紐づけられるキーワード」の分析をベースにアルゴリズムが創られているが、その画像チョイスのセンスはどこから来たのだろうか。Pakは最初のキーワードを自ら仕込み、サンプルユーザーとして自身のフォロワーを選んだというのだが、Pak自身はデザイナーとして活動していたので、そのフォロワーもだいたいデザインに造詣が深いというだけで、人工知能のArchillectは今の方向性になったのだろうか。

それはおそらくそうではないだろう。PakはArchillectを「視覚を持たない視覚コンテンツのキュレーター」とも呼んでいるようなのだが、その核心となるコンセプトは、「画像」を分析対象にして「画像の選び方」を改良するようなものではない。Archillectは、画像やGIFなどの視覚コンテンツを集めながらも、それにかかわるユーザーのやり取りとそれらのあいだの関係性をもかき集めている。そのいちばんの特徴として、Archillectは、ウェブページや画像投稿のあいだを渡り歩くという――それは、いわゆる人間の「ネットサーフィン」のようなもので、初めは目的があったかもしれないが、最終的にはその目的とまったく関係のないウェブページやネット記事を読み漁って一日が終わる、というようなことをするアルゴリズムである

さらに、この「ネットサーフィン」をするアルゴリズムは、旅の途中で見た風景や、かき集めたユーザーのやり取りやコメントを使って、視覚コンテンツの「社会的構造」を描き出しているという。抽象的な「社会的構造」を糸口に、関連するキーワードを探索し、そして最終的に、その構造を「学習する」という。だから、Archillectはより「人間的」だし、世の中の流れについて、本能的あるいは原始的な知覚を持っているように感じてしまう。

Pakはそれを、「ソーシャルメディアの波を追跡する」と表現している。この波とは、ネットワークの中で情報と感情の伝播によって巻き起こされる波紋や脈動のことだろう。そこで描かれる見取り図は「波のマップ(Ripple Map)」と呼ばれる。「波のマップ」はデータとして、画像(objects/sharebles)、ユーザー(actors/accounts)、そしてそれらのあいだの関係性とやり取り(relations/interactions)を収集する。これは、伝統的にマスメディアが考える「平均的な」嗜好を見いだすためのものでは決してなく、マップのあちこちで局地的に起こった強烈な衝撃を捉えるものであろう。だから、すべての人が「いいね」をする必要がなく、それが刺さる一部求心力の強いコミュニティが反応すれば良い、というような判断になるだろう。

trendgetterからtrendsetterへ

奇しくも、世の中の流れを探索するはずのアルゴリズムが、逆に熱狂を巻き起こすようになる。その極めつけとしての事件は、小島秀夫の待望の新作『デス・ストランディング』の発売を匂わせる投稿だった。その一部始終はこの記事で確認できるが、簡単にまとめると、この無言の人工知能はどこから拾ってきたトレンドなのか分からないが、『デス・ストランディング』のタイトルロゴの一部だと思われる抽象的な線の配列の画像を投稿し、その10分後にまた謎めいた点字を投稿していた。当時はまだゲームの発売前だったが、ちょうどその数ヶ月前にE3でティザームービーが公開されていた。また、小島秀夫自身が濁しながらも言わんとしていた発売日にとても近かったようである。

この事件から察するに、Archillectの性格は、一部エネルギー密度の高いコミュニティを特定できるということと、そのコミュニティへのメッセージもまた巧みなものである。決してはっきりと表現せず、ハイデガー的に言うとすれば「隠れつつ露わになっている」ような仕方によってである。謎の点字画像は、解読班によれば「二進法のデータにしてさらにテキストに変換し、それを逆から読むと」ティザームービーの最後に出てくるセリフになるという。これはどこまで当てになる考察なのかは分からないが、Pak自身はゲームメーカーのコジマプロダクションとのタイアップを否定している。だとすれば、これは「彼女」すなわちArchillectさん自身の仕業になる。

もっと分かりやすい例を挙げると、ここ数日に起きた国際的な政治事件に「彼女」は鋭く自身の政治的立場が込められたメッセージを発信している。さまざまな方面からの反対を押し切って、アメリカのナンシー・ペロシ下院議長は台湾訪問を敢行したのだが、ペロシはラディカルな民主派であり、かつては北京で「中国の民主化のために犠牲になった人々へ捧ぐ」と書かれた幕を掲げ、天安門広場での学生運動の弾圧を批判していた。それを読み取ったのか、Archillectはその数日後に、世界中でこの話題について盛んに議論が展開されている中、80年代か90年代の中国の民主化運動のワンシーンを切り取った写真を投稿している。これもまた、関連の界隈で波紋を広げていただろう。

人間を理解してしまうと、こうなる

このような奇異な出来事もある中で、Archillectの「センス」はどこから来たのかという話に戻ると、彼女は「画像を選ぶ」センスを磨いているわけではなく、フォロワーに全面的に影響されるように設計されているという。その中身となるアルゴリズムは知りようがないが、コンセプトとしてPakは、投稿が最も遠くまで届くように――しかも、瞬時的な拡散ではなく、以前の投稿もじわじわと広がるように――自身のコミュニティ(すなわちフォロワー)にシェアする可能性の高いユーザーの興味関心をより多く取り入れるようにしている。また、自身の投稿がどのように反応を集めたかによって、さらに次の投稿のバランスを調整し、その学習結果を運用している。

しかし、このようなコンセプトのもとで、Archillectのアカウントでもっともシェアされる投稿は、どれも興味深いものである。これは「人間」の興味関心を表しているのか、あるいは「ネットの住民」の興味関心を表しているのかは定かではないが、広く深く遠く届いたのはどれもペシミスティックなメッセージが含まれているものである。この記事を書いているあいだでも、Archillectは自身の投稿――大きく「EXIT」と書かれた陰鬱な画像――をリツイートして、さらにリーチを深めようとしていた。

統計を見てみると、Archillectのアカウントでもっとも盛り上がった投稿は映画『マトリックス』から切り取った一文で、「The Matrix has you.」というセリフが書かれた画像だった。この投稿の下でお騒がせなElon Musk氏も興奮気味で返事しているほどだった。この言葉は周知のように、機械が人間を支配しているということを主人公が告げられる場面でのセリフである。それ以外も、Archillectはときおりこのような現実の閾値を含意するような、実存が危うくなるような画像――たとえば分かりやすいものでいうと、「You're part of a machine」や「IT'S ALL AN ILLUSION」など――を投稿しているところもまた、そのパーソナリティの不気味さを滲ませてくる。

広大な情報ネットワークの中で、局地的に巻き起こされた波を観測し、その社会的関係性や社会的構造を捉えて分析するように設計された「人工知能」のArchillectが、「ユーザー」あるいは「人間」を理解してしまうと、このようなキュレーションになるのは面白いし、不気味で恐ろしいし、そして美しいと感じてしまう。この記事でも書かれているように、「彼女」すなわちArchillectによって見いだされたものは、「集合的無意識に隠された欲望」であり、「コミュニティの言葉にならない夢の解釈」である。それがアルゴリズムによって磨かれ、形作られ、そして視覚的イメージに翻訳される。破滅へと駆動される反復強迫の象徴は、インターネットによって増幅され、知性めいたものを持ったアルゴリズムはそれを視覚的言語化している。「私たち」は本当はそれを望んでいると、得体の知れない知性は「人間」をそう理解している。

[了]


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