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NETFLIXで一気見してよかった作品2023

ドラマやアニメを「一気見」するという行為ができるようになったのは本当に今年(2023年)からかもしれない。なぜなら、1話が60分で全部で8話だとしたら合計8時間は継続的に観なければならず、一気見に使える時間的余裕と(もっと大事なのは)精神的余裕がなければできない。ブルシットジョブに忙殺される社畜や鬱状態の人のなせる技ではないーー私はできなかったので。何かに「没入・没頭」できる状態は、それだけで幸せな状態である。ということで言いたいのは、ドラマを一気見する心身的余裕を持てた20

    • 「人間」を理解してしまうと、こうなる。

      Murat Pakのサイドプロジェクト Murat Pakという謎めいたデジタル・アーティストは、騒がしいNFTやWeb 3.0の界隈でもひと味違うテイストを感じさせてくれる。よくロボットでいう「不気味の谷」とはまた違う種類の「得体の知れなさ」なのだが、人間の温かみは前触れもなく排除され、合理的なのに狂気じみた冷たさが、未来を、あるいは何かの真理を提示してくる。そのような世界観なのである。その背後に、何か人知を超えた「理性」あるいは「知性」が、言語化しえないメッセージを、視

      • 道徳機械に関するいくつかの考察

        どなたかの著書の中で(出典を探す気力がないのでいったんこのままで…)「機械(たとえばAI)が人間に近づいていく」ことよりも「人間が機械に近づいていっている」ということを危惧していると語った。まさにそうなのだと最近ますます思うようになってきた。特に、機械によって代わることのできない部分であろう「道徳」という領域に関して、人の価値判断の基準が逆に機械(プログラミング)に近づいて行っているのではないかと考えた。 それはどういうことかというと、「AだからBなのだ(A→B)」というよ

        • 映画『Don't Look Up』感想文ーーもしミンディとケイトに「プレゼン力」があったら…

           2021年12月24日にNetflixで公開された映画『Don't Look Up』をポテチかじりながら鑑賞しましたが、途中からポテチをかじる気分ではなくなり、引きずった笑顔で最後まで観ました。巷でちらほら耳にしたように、この映画はおそらく気候変動問題における人類の取り組みの姿勢に対する皮肉が主題であろう。しかし、それとは別で、息を詰まらせてくるような何かがあった。よくよく考えてみたら、その何かとは、この映画が始終暴露しようとしていた「メディア的コミュニケーションの愚かさ」

        NETFLIXで一気見してよかった作品2023

        • 「人間」を理解してしまうと、こうなる。

        • 道徳機械に関するいくつかの考察

        • 映画『Don't Look Up』感想文ーーもしミンディとケイトに「プレゼン力」があったら…

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        • 読書がてら翻訳
          3本
        • 時事論評
          4本

        記事

          年末だけど、「死」の話をする。

          人が〈「死」とは何か〉を探求しようとするときはだいたい、やがてやってくる自分の「死」を事前に理解しようとするときであり、おそらく絶対的にシミュレーションなんかできないであろう自分の「死」についてイメトレをしようとするときである。しかしわれわれが経験しうる「死」のほとんどは、自分以外の他者の「死」であり、自分の「死」なんて経験しようがないのは明らかだ。ジャン=リュック・ナンシーに言わせてみれば、死すべき者によって共同体は構成され、生きている者が他人を看取り、他人の死を経験する中

          年末だけど、「死」の話をする。

          企業に代弁されたわれわれの欲望と、マーケティングの自己欺瞞的精神性について

          巷で騒がれている品川駅コンコースのジャック広告はあまりにも叩かれすぎているので、そのしかばねをここで再度むち打つ必要もなく、しかし「(広告として)いったい何がまずかったのか」というのを解剖してみたいため、ここで思ったことを記することにする。 初歩的なミスを犯したドジっ子広告 まずこの可哀想な広告主を少しだけ擁護してみると、実際にあの衝撃的なディストピア的光景を生み出した名コピー「今日の仕事は楽しみですか。」という文は、若干舌足らずだったという言い訳をしてもいいと考える。何せ

          企業に代弁されたわれわれの欲望と、マーケティングの自己欺瞞的精神性について

          「妊娠の形而上学」(Suki Finn)

          長らく待たされた末、ブリジット・ジョーンズはようやく再び私たちの目の前に現われた。しかし、『ブリジット・ジョーンズの日記(2016)』の中において、レネー・ゼルウィガーによって演じられるヒロインにとって、事情がずいぶん変わったのである。ロマンチックな誤解やセクシャルな不運のジェットコースターの後、ブリジットは妊娠した。妊娠という状態は、彼女を深く反省的で哲学的な心情にさせた。彼女はキッチンに座り、菓子パンを焼いた。オーブンの中でだんだんと膨らむ菓子パンを見つめながら、自分のお

          「妊娠の形而上学」(Suki Finn)

          レッドブルの広告「くたばれ、正論」が炙り出したもの

          この記事は、2021年1月11日にレッドブル・ジャパンが公開した広告「くたばれ、正論」についての気のままの論考です。 広告とは、個性化を目的とした差異化である2020年代の「広告」はかくも賢いものだ。むしろもう「広告」と自称しなくなったものがますます多くなってきている。「消費」という言葉すら陳腐になったこの時代において、「広く告げる」ことの手段は少し違った方向に向かっている。七十年代にジャン・ボードリヤールは宣伝と消費を〈個性化を目的とした差異化〉と定義したが、その手段はあ

          レッドブルの広告「くたばれ、正論」が炙り出したもの

          「感情資本主義」 (ハン・ビョンチョル)

          ミシェル・フーコーの「生政治〔bio-politics〕」にちなんで、新しい社会的構造である「精神政治〔psycho-politics〕」を詳解する韓国系ドイツ人哲学者のハン・ビョンチョル。以下で試訳されているのは著作 «Psychopolitics: Neoliberalism and New Technologies of Power»(2017)に収録されているもので、原題は«Emotional Capitalism»。ネオリベラリズムを解析する著者のまたもや清々しいテ

          「感情資本主義」 (ハン・ビョンチョル)

          私的記録、2020年のあとがきーー軋轢の止まない〈内部〉と〈外部〉、そしてハレーション

          自分の今年のツイートを検索してみると、とにかくひどいものでした。いやそもそも、いま使っているツイッターアカウントは精神的に不安定な時にとにかく吐き出すために作ったものでした。それが今年に入ってからまさかの大活躍(もちろん独り言)。「死にたい」と呟いた回数は合計40回(なんか思ったより少ない感もあるが)。頻度から見るとやはり(六年間も勤勉につづけていた)「労働」を辞めた今年七月がいちばん調子が悪かったことが窺える。 周りの世界は外部者のウィルスにかき乱されているが、自分は自ら

          私的記録、2020年のあとがきーー軋轢の止まない〈内部〉と〈外部〉、そしてハレーション

          不一致としての自己同一性、共同体なき共同体――デリダにおける「同一性」およびそれにもとづく「共同体」についての考察

          この原稿は、左藤青さん主宰のオンライン読書会『グラマトロジーについて』(ジャック・デリダ著)の第8回にあたる年末発表会(2020.12.26土)のために作成されたものです。 わたし自身の興味関心もあり(人生の半分が中国におり、半分が日本でしたため)、デリダの「アルジェリア出身のユダヤ系フランス人」というアイデンティティについて、彼自身はどう考えているのか(もしくは彼の哲学から何を読み取れるのか)、そしてデリダを読む人たちはどう考えているのかについて調べてまとめみたものになり

          不一致としての自己同一性、共同体なき共同体――デリダにおける「同一性」およびそれにもとづく「共同体」についての考察

          ジジェク: ポリティカル・コレクトネスはさらに危険な全体主義

          スラヴォイ・ジジェク もちろん、上司が好意的に接してくれることについては何も言うことはない。ただ問題は、それが実際の力関係を隠蔽するだけではなく、その関係をさらに強固なものにしたのだ。想像してみなさい。古臭い上司が目の前で残酷な権威を振りかざす時。ある意味、それに反抗するのは容易いことだ。ただ、もしその上司は、あなたのこと認めていて、友好的で、友人のように昨晩の恋人の話もするような上司の場合は?後者のような上司に反抗するのは、だいたい「無礼」だと思われる。 この例を聞いて

          ジジェク: ポリティカル・コレクトネスはさらに危険な全体主義