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不一致としての自己同一性、共同体なき共同体――デリダにおける「同一性」およびそれにもとづく「共同体」についての考察

この原稿は、左藤青さん主宰のオンライン読書会『グラマトロジーについて』(ジャック・デリダ著)の第8回にあたる年末発表会(2020.12.26土)のために作成されたものです。

わたし自身の興味関心もあり(人生の半分が中国におり、半分が日本でしたため)、デリダの「アルジェリア出身のユダヤ系フランス人」というアイデンティティについて、彼自身はどう考えているのか(もしくは彼の哲学から何を読み取れるのか)、そしてデリダを読む人たちはどう考えているのかについて調べてまとめみたものになります。

30分の発表の尺なのに「めちゃ内容薄くて早く終わったらどうしよう」という恐怖心から内容を詰め込みすぎたかもしれません(時間を押してしまった張本人でございましたスミマセン)…ですが、後半はかなりエモいです。正確かどうかはもう確認しようがないかもしれませんが、デリダのジャベス読解、井筒のデリダ読解、カプートのデリダ読解はかなり好きです。

ということでnoteで読みやすいように少し整えましたが、内容をほぼそのまま載せますので、ご笑覧ください。

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0. はじめに

本稿は、ジャック・デリダその人物自身のアイデンティティに焦点を当て、それがいかにして彼の哲学に影響を与えているのか、さらに、その中からわれわれは何を見いだせるのかを考察したものである。

自分は何者なのか。自分は何者であって、何者であるはずで、何者であるべきなのか。通常、誰しもが迷わずに自らが帰属する不変的な地域もしくは血縁にもとづく共同体の呼び名を答えに挙げるだろう。

しかし、そうはいかない者たちがいる。古来の「民族離散(ディアスポラ)」によって世界各地に散らばったユダヤ人は言わずもがな、グローバル資本主義が進むなかで旧来の地縁や血縁から自然的に発生する「ゲマインシャフト」という種類の共同体が、利益や機能を追求する「ゲゼルシャフト」という共同体の社会に移りつつあるなかで、複雑な出自を持つ人々はますます多くなってきているだろう。さらに、通信技術の発達で、実際に数千キロ以外の文化にも深く影響されることも可能になった時代において、個人における文化的自己同一性もまた錯綜化していっているのは明らかである。

ジャック・デリダは周知のように「アルジェリア出身のユダヤ系フランス人」である。出身地のアルジェリアではアラビア語もヘブライ語も話さず(もしくは話せず)、所有している国籍のフランスでは血縁的にも地域的にも隔たれていた。デリダは、上述のような複雑な出自と遊離する文化的同一性を持っている者として格好な例なのである。彼の人生に纏わりつく「自分は何者なのか」という問いに対して、彼の哲学思想からどのような糸口を見いだせるのだろうか。

1. 不一致としての同一性をもつ者

「わたしはヨーロッパ人である」、と彼は言う。「だが、すみからすみまで、つまり徹頭徹尾ヨーロッパ人というわけではないし、そう感じてもいない」。彼はヨーロッパ人「でも」あるのだ。つまり、自己と同一でない文化的ならびにヨーロッパ的同一性によって構成された者である。(『デリダとの対話』 p.171−172 ジョン・D・カプート)

ジャック・デリダをアメリカに招き、「円卓会議」を行なったジョン・D・カプートは上記のようにデリダの「アイデンティティ」に関する感覚を描写している。

「同一性(アイデンティティ)」という言葉は、「自己同一性」「存在証明」と訳されるが、この言葉はおおむね「変化の中にあって変わらないもの」を意味している。

個人において、さまざまな自己を取りまとめる、より上位の自己というのが「アイデンティティ」であり、エリク・H・エリクソン はそれを「自己の斉一性と連続性」および「他者による自己の中核部分の共有と承認」という二つの項で定義している。

もっと言えば、個人においてのみではなく、国という共同体もまた「同一性」の原理によって構成されているのは明らかである。国民、領土、国境、主権、それらの概念はすべて同一律と排中律 によって規定されている。近代国民国家は、一国語・一民族・一国家の神話によってまとめられていることがほとんどである 。

かくして、自己自身という個人における「同一性」と、自らが所属する共同体における「同一性」は、すべての人が持てるとされるものである。しかし、世界のどこかでこれらを持たざる者たちが存在する。

アルジェリア、ユダヤ、フランス。何層もの文化的同一性を持つデリダ。彼はユダヤ系フランス人の詩人のエドモン・ジャベス について書く際に、自らを映すかのようにジャベスの自己同一性と共同体における同一性について、以下のように分析している。

ジャベスはユダヤ共同体――この概念がここでひとつの意味すなわち古典的な意味をもつと仮定して――から別離もする。彼はドグマ的なもののみによってユダヤ共同体から離れるのではない。なおもっと深いところからである。自分がユダヤ教に或る意味で属していることにずっとのちになって気づいたジャベスにとっては、ユダヤ人とは苦悩にみちた寓意(アレゴリー)にすぎない。[…]ユダヤ人の自分自身との一致はおそらく存在しないだろう。ユダヤ人とは、この自己になることの不可能性の別名であろう。ユダヤ人は引き裂かれている。寓意(アレゴリー)と文字性という二つの文字の領域に引き裂かれている。ユダヤの歴史は、もしそれが差異と文字性のなかで定められたものとなり、国家のものとなっていたら、他の歴史同様経験主義的歴史にすぎなかっただろう。[…](『エクリチュールと差異 上』 p.143−144 ジャック・デリダ)

デリダが傾倒する詩人のエドモン・ジャベスは、エジプト・カイロで生まれ、イタリア国籍であるにもかかわらず、父親のフランスでの就学によってフランス語教育を受けはじめる。家はカイロの富裕な銀行家であったのだが、ユダヤ人であるということで財産を没収され、1957年にナセル政権の登場でエジプト退去を余儀なくされ、家族とともに無一文でパリに移住し、最終的にそこで居を定める。1967年、ジャベスは55歳にして、フランス国籍を選択する 。

デリダもまた複雑な出自を持っている。彼は1930年に当時フランス植民地下のアルジェリアの首都アルジェ近郊にあるエル・ビアールという町で、ピエ・ノワール(*注:アルジェリアで暮らすヨーロッパからの入植者への呼称)と呼ばれるユダヤ系フランス人家庭に生まれ、1949年、19歳の時にフランス・パリへ出て、高等中学校入学する。デリダ一家の祖先は、ディアスポラ(民族離散)によって南欧諸国や、トルコ、北アフリカなどの地域に15世紀前後に定住した「セファルディム」というユダヤ人家系 であり、「セファルディム」たちは19世紀後半にフランス国市民権を取得している。

このように何層もの異なるアイデンティティの要素を持つデリダの出自を、ジョン・D・カプートは《「対岸」から来た者であり、レヴィナス流の「他者」のイメージそのもの》とし、デリダ自身も《過剰に文化変容を受け入れ(over-acculturated)、過剰に植民地化された(over-colonized)ヨーロッパ人の雑種》であると語っている。彼は「アラブ世界から言語的に截断され、フランスから地理的に切断され、ユダヤ的伝統からも切断され」、《完全にはヨーロッパ人でないヨーロッパ人であり、フランス人でないフランス人、ユダヤ人でないユダヤ人、アルジェリア人でないアルジェリア人》である。

したがってデリダは、「自己の斉一性と連続性」と「他者によって共有と承認される自己の中核部分」をいかにして認識し、ひいては「ユダヤ性」というものを含めた、「共同体」と「共同体のアイデンティティ」についてどのように考えているだろうか。

2. 絶えまなく他者に成りゆく自己の運動としての〈差延〉

西洋の思想史は、徹底的にロゴス中心主義に支配されていると、デリダは主張する。プラトン以来のヨーロッパ哲学の長い伝統は、ロゴス中心主義の歴史である。デリダの哲学は「脱構築」(déconstruction)と呼ばれるが、それはヨーロッパ伝統的な形而上学に対する挑戦であり、「現前の形而上学」(métaphysique de la présence)への否定でもある。

ロゴスとは何であろうか。それは、永遠不変の超越的な実在を意味するものであり、流動して止まぬ経験世界と現象界の事物の背後に、それらを超越して存在する不変不動な者における措定である。「dé-construction」は「脱構築」と訳されることが多いが、その言葉自体は「解−体」を意味し、つまり、存在のロゴス的構造の「解−体」にほかならない 。

デリダが主張するのは、ロゴスなるものは絶対に現前しないことである。今、ここに、何かを捉えたと思った瞬間、見ればそのものはもう手の中にはない。いわゆる現実とは、流動する記号の戯れの現象であり、いわゆる事物とは、現前することのないものの「痕跡」に過ぎないのである 。

したがって、デリダはこのようにまとめる。《痕跡はなんらかの現前性ではない。痕跡はみずからを脱臼させ、みずからの場所をずらし、みずからを送り返すような、本来的=固有的に場を持たない(=生起しない)ような、そのような現前性の見せかけ(シミュラクル)である》 。もののこのような痕跡は、場所を持たずに流離し、自分自身から逃れようとする。われわれが捉えようとして捉えられないものは、果てしない流動性のなかにある。この「捉えそこない」ことだけ、ものの痕跡だけが、無限に続いていく。痕跡、すなわち、差異(différence)を作りながら先送りする(différer)過程が、差延(différance)なのである。

時間的経験の最小単位における過去把持や他者を同一者における他者として保有する痕跡なしには、いかなる差異も生じないだろうし、いかなる意味も現れないだろう。だからこの場合問題なのは、構成された差異ではなく、あらゆる内容規定に先立って差異を生む純粋な運動である。(純粋な)痕跡は差延である 。(『グラマトロジーについて 上』 p.124−125 ジャック・デリダ)

つまり、自己は不断に他者になっていき、他者はたさらにまた別の他者になっていく。このように他者を「同一者における他者」としてもの痕跡は保有し、微分された時間の経験的最小単位において絶え間なく「差異」を生み出す。この差異を生み出す純粋な運動が、デリダのいう〈差延〉なのである。

そしてこの〈差延〉はわれわれに、始源も終極もない永遠に流動する〈エクリチュール〉を与え、その与えられた〈エクリチュール〉がロゴス中心主義の歴史を「解−体」しようとする。

こうした差延はすでにして、そしてなおも、或るエクリチュールを――現前も不在もない、歴史もなく原因もない、アルケーもテロスもない或るエクリチュールを――われわれに思考すべきものとして与えるだろう。そしてこのエクリチュールは一切の弁証法、一切の神学、一切の目的論、一切の存在論を絶対的に乱調させるだろう。それは、形而上学の歴史がアリストテレスのグランメーの形式のうちで、すなわちその点、線、円環、時間、空間のうちで理解=包摂したあらゆるものを超過するようなエクリチュールなのである 。(『哲学の余白 上』 p.136 ジャック・デリダ)

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3. 〈差延〉に潜む非場所性とノマディスム

デリダの上記の論述から見いだせるものとして、〈差延〉と〈エクリチュール〉においてもっとも取り上げなければならない特徴は、差異を作りながら先送りする痕跡の、本来的=固有的な場を持たない「非−場所」性と、始源(アルケー)も終極(テロス)もない流動性である。《「私が始終、求めてきた「場所」は、一つの「非−場所」(non-lieu)なのである」》 と、デリダはあるインタビューでこう語った。

この「非−場所」性と流動性は、まさに彷徨(errance)することであり、これはデリダの哲学の根源的精神とも言うべきであると井筒俊彦は主張する。これらの精神は、ユダヤ人詩人エドモン・ジャベスに大いに通ずる部分がある。カイロの砂漠からジャベスはこの「非−場所」性、つまり、場所の「不在性」 を見いだす。ジャベスが直面する「砂漠」という空き地は、無限な非連続的な砂から成される果てしない白紙であった。そこに踏み込むや否や、吹き荒ぶ風に足跡は消される。砂漠には、境界線で仕切られる場所がなく、自分の位置を特定する場所も、決まった領域、囲み、他者を排除する区域もない。

デリダもこのような砂漠をよく知っている。そして、ジャベスがそれを熟知していることもデリダは知っている。《〈ユダヤ人〉もしくは詩人が〈場所〉を宣するとき、彼らは戦争を布告しているのではない。なぜなら、この〈場所〉、この土地は記憶の向こうからわれわれを召喚しながら、つねに〈向こう〉だからである》 。デリダにとって、ジャベスが求めつづけている「場所」は、つねに「ここ」にはなく、「彼方(au-delà)」にあるのであった

デリダは、このような「彼方」を目指しつづける「砂漠」のノマディスムに夢見ていた。一定の場所を持たない「砂漠」という存在は、権力と暴力によってできる「場所」という不変的なロゴスを否定する。井筒俊彦の考察によると 、「場所(lieu)」は、「根付く(enracinement)」を意味する。大地に根を下ろし、権力と暴力によって区域を囲い、固定し、所有する。これが、場所を据えつけるということである。このような暴力と権力に直結するような「場所(lieu)」を否定し、「非−場所(non-lieu)」を立場にすべく、デリダは境界線のない「砂漠」での場所を据えつけない遊牧性(ノマディスム)を夢見る。

大都会パリの真只中に生きながら、彼は絶えず砂漠の音を聞き、砂漠を憶う。都会生活者の「平和な定住性」を堪えがたい桎梏と感じる彼の心に、砂漠生活者の、ところ定めぬ遊牧性(ノマディスム)が呼びかける。[…]彼の哲学を決定的に特徴付ける基礎概念、「エクリチュール」――限りない記号の遊動、それに伴う世界テキストの、始源も終末もない流動性――の構造には、砂漠を行くさすらいの民の強靭な、しかし妙にもの悲しい、ノマディスムの響きがある。(『意味の深みへ』 p.105 井筒俊彦)

井筒はさらに、この「もの悲しいノマディスムの響き」、境界線のない「砂漠」での場所を据えつけない遊牧性(ノマディスム)こそが、デリダが持つ「変化の中にあって変わらないもの」である自己同一性と規定する。それがまさに、「彷徨えるユダヤ人」の形象と合致するのであった。

《ジャベス(そしてデリダ)の夢見るあの大地、「砂漠」には「場所」がない。全てが、絶え間なく浮動し、揺れ動く。「砂漠」のノマディスム。「遊牧のユダヤ人」。「彷徨えるユダヤ人」の形象。根を下ろす場所を持たない、持とうとはしない》 。

合田正人はこのような場所を据えつけない〈ユダヤ性〉をさらに以下のように解釈する。聖書の登場人物アブラハムは、「断じて行け」という神の声を聞き、故郷を捨て不帰の旅に出た 。そしてアブラハムのその出奔は子孫たちによって引き継がれる。エジプト捕囚、エジプトからカナンの地へ向けての脱出、砂漠での律法の啓示。そして史実における数々の暴力的な支配。ダビデによるエルサレムの征服、バビロニア捕囚、ペルシャ帝国やローマ帝国による支配、エルサレム以外の地域へのユダヤ人の離散(ディアスポラ)。

かくしてほかの地方の人々にとって、〈ユダヤ〉とは、「向こう岸から来た者」となったのである。〈ユダヤ〉は、世界のなかで座標を「ここ」に位置付け、その座標を堅固な生存の土台として根付くことへのやむをえない抵抗になったのであると、合田はいう。

やむをえず、「ここ」を定めないこと、その「非−場所」性はまさに、区域の定まらない広大な「砂漠」という空間と、砂漠を渡り歩く遊牧民のようである。

その「非−場所」性としてのノマディスムを意識の奥底に持ち、「砂漠」という「非−場所」の空間をさまよいながら、デリダは「彷徨(errance)」の哲学を書いていき、それがデリダが説く〈差延(différance〉や〈エクリチュール〉であると井筒は解釈する 。

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4. 自己たらしめる自己の不在としてのユダヤ性

彷徨(errance)という象徴は、場所の不在だけではなく、自己の不在あるいは自分自身との不一致をも意味する。《ユーケルよ。お前はお前の皮膚のなかでいつも居心地が悪かった。お前は決してそこにいなかった。他所(よそ)にいた…》。デリダはこのようにジャベスの詩句を引用する 。自己の不在、自分自身との不一致というのはどういうことだろうか。

合田によると、〈ユダヤ〉はある意味、帰属と自己同一化による「アイデンティフィケーション」は不可能であり、〈ユダヤ〉は「私は私である」という自明性の「解体」なのであるという 。

同じくユダヤ人であったスピノザ は『エチカ』において、個体を「様態」と呼んだ。「様態」は何度も変態を重ね、つねに暫定的で断片的なものである。スピノザは、個体、つまり様態を、一時たりとも同じではありえないものと考えた。このような「様態」に「わたし」や「あなた」のような人称をつけることが可能であるからこそ、「自己」があたかもあるように人々を思い込ませてしまうのである。「自己」は絶え間なく変化し、差異をつけながら先送りされ、自己が自分自身と一致するのは一時たりとも存在しないのである。

ユダヤ系フランス人哲学者のジャンケレヴィッチ は「人間の可能性」を「自己の外および自己の彼方にあることによってのみ」可能であると定義する。つまり、鏡を見なければ、われわれは自分の顔を見ることができず、自分を確認できないことになっている。見る自分と見られる自分、その両方が存在して初めて「自分」というものを確かめられる。かくして人間は、自身の定義のうちに存することができず、つねに自らの現実的存在からはみ出ることによってのみ人間の可能性を持つことになるのである。ジャンケレヴィッチはさらに付け加える。このような意味において、「ユダヤ的人間」は、二倍自己自身にとって不在であるという。ユダヤ人は不断に自分に成り、それゆえにまた不断に他者であることになる 。

冒頭で引用したジャベスについて語ったデリダの文章を思い出そう。《ユダヤ人の自分自身との一致はおそらく存在しないだろう。ユダヤ人とは、この自己になることの不可能性の別名であろう。ユダヤ人は引き裂かれている》。《自己と自己とのこの非−合致のなかで、彼は〈ユダヤ人〉よりもユダヤであり、かつ〈ユダヤ人〉よりもユダヤではない》と、デリダはジャベスの不一致な自己同一性を定義する。

ジャベスにおけるこのようなユダヤ性を分析した文章を受けてだろうか、井筒はオマージュするようにデリダのユダヤ性を解釈する。《ユダヤ人は、その実存の根源において引き裂かれている。自分自身とのこの根源的不一致(non-coïncidence de soi avec soi)の自覚において、デリダは普通の意味でのユダヤ人より、もっとユダヤ人的である。そしてまた、まさにそのことによって、普通の意味でのユダヤ人より、より少なくユダヤ人的でもあるのだ》 。

5. 共同体なき共同体。そこにあるのは、ただ〈差延〉のみ。

井筒から見たのデリダ、デリダから見たジャベス。両方とも相手を、「ユダヤ人よりもユダヤであり」、それと同時にそのことによって「ユダヤ人よりもユダヤではない」と解釈している。「ユダヤ人」というのは、国や地域、血縁関係によって定義されうる集団ではなく、翻って「自己同一性が引き裂かれている」者たち、すなわち、自己との不一致を同一性とする者たちのことを言うのであった。デリダもジャベスも(そして彼らの思想も)、特定の場所に根を下ろすことのない「非場所性」と、つねに彼方を目指す遊牧性(ノマディスム )という性格の側面から、疑いもなく「ユダヤ的」である。しかし、集団から、自分自身から、まさに「ユダヤ的」というロゴス的アイデンティティから、絶えずに逃れようとする性格によって、より深いところにおいて「ユダヤ」からもっとも離れたところにいるのであった。

筆者はここで最後に提起しなければいけない議題として、そもそも本稿の主旨――同一性についての考察という主旨は、「同一性」、つまり永遠に不変なものが、必ず存在するということを前提にしている。これは、本質的にデリダの思考とはもっとも相性の悪い考察の仕方なのではないかという疑念を払うことはできない。冒頭で述べたのように、「同一性(アイデンティティ)」は個人においてのみではなく、国や地域など共同体においても同様であり、いずれも同一律と排中律で成り立っているというのは事実である。ではデリダは、そもそも「同一性」というもの自体、そして何かしらの同一性によって構築されるものとしての「共同体」をどう見ているのだろうか。

デリダ自身はまず、「共同体」という帰属を享受できない者として自認している。彼は十二歳の頃に、当時アルジェにある、公務員職から排除されたユダヤ人教員が開校した中学校に通っていたが、「符合雷同の同一性による群れ」のようなこの学校を嫌悪し、できる限りサボっていたという。この時の経験をデリダはのちにこのように語っている。《生涯を通してわたしを「共同体的な」経験になじめないようにした、この病、この居心地悪さ、この不満を患ったとはいわないまでも、そのことに気付き始めたのはこの学校時代のことだと思います。なんにせよ帰属というものを享受できないのです 》。

ということで、デリダは「共同体」という言葉をさほど気に入っていないのは明らかである。彼にとって共同体とは、共通の目標をもった人々が手を握り合いたいという抑えがたい欲求、ないしはある目標に自分自身を捧げた(つまり自分自身を贈与した)人々が一緒に集まりたいという抑えがたい欲求によって生じるものである。

このような欲求を土台にする「共同体」を「解−体」(déconstruction)するには、共同体における別の考え方が必要で、それをデリダは「オープンな準−共同体」ないしは「共同体なき共同体」と呼ぶことにとした 。

「共同体なき共同体」、つまり、デリダにとって彼自身が共生できる「共同体」(あるいはまったく別の考え方のもの)とはどういうものだろうか。それは、〈他者〉の進路に向かって「もはや自己を取り集めることができない」ほど自己をオープンにし、さらに、なにかその進路とは別のものに向かって自己をオープンにするということである 。

デリダはここで航海術と飛行術の用語である“the other heading(l'autre cap)”を使って説明している 。“heading”とは、船舶や飛行機の「進路」の意味であり、“the other heading”とは、「ほかの進路」という意味である。デリダがここで言おうとしているのは、〈他者〉の進路に気を配るということであり、こうした気配りによってわれわれは、ほかの進路を取っている人たち、ほかのところで進路を取っている人たちに、もう少し好意的であるように仕向けられるのである。

しかしデリダは「anti-heading」(反−進路、たとえば無政府状態)や「beheading」(首を切る)、もしくは飛行機のナビゲーションを捨てる、というようなことを提案しているわけではない。彼が言わんとしていることは、「あらかじめ」(ahead)に制定された計画には限界があるということである。デリダが提案する「オープン性」は、「目的論的方向づけ」を必要としない。自己の目的論的船首(head)を保たせている同一性において、始源(アルケー)は自己自身の、自己の固有の目的に向かって進む(head)。船首に、目的地が刻まれているように。このような目的性は、始源と目的を統合し、ますます〈自己〉を〈自己〉へと取り集める――つまり、始源−目的−論的な自己同一性は、かくして〈他者〉を迎えいれる隙をますます無くす方向に向かうのである。

同一性を土台にする「共同体」を「解−体」(déconstruction)するには、進路(heading)をもつことなしに、自分の船首を保つもしくは冷静を保つべき(いずれも“keep your head”)である。

進路をもたずに移動するということは、自己を、未来に向けて、来たるべきものに向けて、さらに徹底的にオープンに保つことである。かくしてデリダが求めている「オープンな準−共同体」ないし「共同体なき共同体」は、このようにコースなしに出航をしながらも、船首を保ちつづけられ(冷静でいられ)、未来に向けてオープンに、何かを求めてさまようことである。

来たるべき共同体は、或る種の気前の良さを召喚し、「統合なき共同体」という贈与を「あらかじめ計画なしで(固定されていない目的のもとで)」要請する。そうしてそれは、共同体について別の、もっと賞賛すべき考え方を、鷹揚(おうよう)さと物惜しみのなさをともなった共同体の捧げ物として、共同体なき共同体において、自分自身と異なることを許される同一性として呼び覚ます 。(『デリダとの対話』 p.188−189, ジョン・D. カプート)

デリダが説く共同体も、つねに自己から逃れようと自己に抵抗するまったき他者であり、つねに「ほかの共同体を求めて訴えている何か」ということを自己同一性としなければならないものである。このように自分自身から逃れようとし、つねに「彼方」を探し求め流離しつづけるような考え方は、まさに〈差延〉そのものではないだろうか。

このような「共同体なき共同体」に関する考え方において、デリダはさらに二つのことについて声をあげようとしたとカプートは解釈する。一つは、ヨーロッパに向けてであり、もう一つは、民主主義についてである。

ヨーロッパの思想家たちは、ヨーロッパが西洋の前衛かつ最先端であると物語を語り、西洋の運命のために、ひいては世界全体の運命のために、進路を設定していると説き、ヨーロッパを賛美する。デリダにとって、このようなヨーロッパはまさに、自己を自己自身の同一性の内部に閉じ込めつづけているのである。そうではなく、ヨーロッパは、〈他者〉を求めて(オープンに)出航すべきである。もう一つの、他者の、まったき他者の、自己のなかに取り込むことのできない他者の岸を求めて、出発すべきである。こうしたヨーロッパ中心主義の考えは「解−体」されるべきものである。

また、自己のなかへ植民地化できない他者に向かってオープンにするということは、結局のところ「民主主義」の肯定になるのであるという。フランシス・フクヤマや扇動的アメリカ右翼(とカプートは言っているが)は、金銭とメディアによって民主主義的プロセスを深くゆがめられたことに対してまったく盲目である。民主主義は、きわめて深い腐敗、つまり民衆の、もっとも卑しいかつもっとも暴力的な本能に訴える、大衆迎合的で憎悪を売る政治によって、内部的にかき乱されている。しかし、すでにこのように古い名前になってしまっている「民主主義」だが、それでもなお、「オープン・エンド」の肯定である来たるべきものを表わすためのもっともふさわしい呼び名である。「民主主義」はヨーロッパから発された観念であるが、同時にヨーロッパ的/ギリシャ的な停泊地と系譜学から引き離され、民主主義の目的地なしの進路、つまり、オープンにされる未来を追い求めてさまよう。民主主義とは、したがって予見不可能な未来を表わすべき名前である。

こうしてわれわれの知らない「彼方」をさまよいながら求めつづけることは、自己へと同化できない外部の〈他者〉を歓待すると同時に、到達できない岸を求めつづけることである。このような来たるべき民主主義という政治形態は、デリダは「新しい啓蒙」と呼ぶもので表しているという。カプートは、デリダの言わんとしていることをこのように締めくくる。

共同体。歓待性。他者への歓迎。正義。
来たれ。


参考文献一覧

・ 『グラマトロジーについて 上・下』 ジャック・デリダ, 1967. 足立和浩訳, 現代思潮新社, 2012.
・ 『エクリチュールと差異』 ジャック・デリダ, 1967. 合田正人, 谷口博史訳, 法政大学出版局, 2013.
・ 『エクリチュールと差異 上・下』 ジャック・デリダ, 1967. 若桑毅等訳, 法政大学出版局, 1985.
・ 『哲学の余白 上・下』 ジャック・デリダ, 1972. 高橋允昭・藤本一勇訳, 法政大学出版局, 2007.
・ 『デリダとの対話:脱構築入門』 ジャック・デリダ, ジョン・D. カプート, 1996. 高橋透等訳, 法政大学出版局, 2004.
・ 『デリダ伝』 ブノワ・ペータース, 1991. 原宏之等訳, 白水社, 2014.
・ 『意味の深みへ:東洋哲学の水位』 井筒俊彦, 岩波文庫, 2019.
・ 『パリ、砂漠のアレゴリー――ジャベスとともに』 鈴村和成, 洋泉, 1989.
・ 『入門ユダヤ思想』 合田正人, ちくま新書, 2017.
・ 『岩波 哲学・思想事典』 廣松渉等, 岩波書店, 1998.

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