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年末だけど、「死」の話をする。

人が〈「死」とは何か〉を探求しようとするときはだいたい、やがてやってくる自分の「死」を事前に理解しようとするときであり、おそらく絶対的にシミュレーションなんかできないであろう自分の「死」についてイメトレをしようとするときである。しかしわれわれが経験しうる「死」のほとんどは、自分以外の他者の「死」であり、自分の「死」なんて経験しようがないのは明らかだ。ジャン=リュック・ナンシーに言わせてみれば、死すべき者によって共同体は構成され、生きている者が他人たじんを看取り、他人の死を経験する中で、共同体は開示されるのである。つまり、何らかの安直な同質性によって共同体の構成員がつながるわけではなく、「死」によって、他人の「死」をわたしが看取ることによって、共同体は姿を表すのである。

しかし今の時代の人々はーーいや、とりわけ自分はーー他人の「死」を避けて通ろうとする。死は生の挫折であり、直線にある時間軸の寸断である。だから死は怖いし、不吉だし、そして理解不能である。だが、昔と比べれば比較的に平和な時代だからこそ、スクリーンを隔てて経験するニュースやコンテンツ以外で、「死」に触れる場面もあまりないかもしれない。わたし自身が経験した他人のーーつまり自分以外のーー死と言えば、数年前の冬に父親が心筋梗塞で亡くなったときである。あまりにも突然の出来事だったので、今思い出そうとしてもその後何があったのかは断片的な映像だけで、その死についての実感はいまだにない。それはわたしがあまりのショックによって記憶が抜け落ちていると捉えようとすればそうなのかもしれないが、どちらかといえばその出来事を避けて通ろうとしていた。わざと記憶しないように、わざと正面から触れないようにーー感情的にもそうなのだが、「死」への忌避というのも根底にあったかもしれない。他者が別の他者の「死」を語るときも、それを聞く自分もあまりいい気分ではなかった。「死」を軽々しく語るな、食卓でその話をしないでくれーー「Not in my backyardうちの裏庭に置かないでくれ」ならぬ「Don't talk in my backyard僕の半径では語らないで」であった。その人のあの知り合いはどのような事故に遭って、生前はどのような人だったのか、わたしは聞きたくもなければ知りたくもないーー他者の「死」については考えたくなかった

しかし、他者の「死」は予告も何もなくやってくることもある。今年自分にとって最大の出来事は、飼い猫ががんになり、2ヶ月の闘病末、先日12月28日に亡くなったことである。猫は去年の秋に同居人が知人から引き取った保護猫であり、家に来たときはすでに10歳か11歳くらいーー人間でいうとおおよそ60歳くらいの比較的に高齢な猫で、そもそも持病も少しあり、そして今年の10月末に鼻腔腺がんが発覚された。鼻腔腺がんは悪性度が極めて高いがんらしく、外科手術もできなければ、抗がん剤もほとんど効かない。そして放射線治療も、動物の場合は体を静止させるために全身麻酔が必要で、週数回の高頻度の全身麻酔は高齢猫にとってはあまりにも危険な上、効果もそれほど期待できない、とのこと。なので、いろんなブログや本を読み漁ったりもしたのだが、やはり家で緩和ケアをして、苦痛を最大限に取り除いてあげる形で、自然に任せようと決めた。発覚したときはすでに、腫瘍が頭の右側をほとんど侵蝕していて、右目が失明し、鼻の右側は固まった膿で塞がって息できず、CTをみればおそらく左側にも侵蝕し始めているところだったので、持って2・3週間だろうーーと予測していたが、最終的には2ヶ月を生き抜いていた。

自然に任せるーーと言っても、人間の家で生活している時点ですでに一般的な意味では「自然」からかけ離れているかもしれない。ここから何をしても飼い主の人間のわがままと思い込みなのかもしれないが、毎日一緒に生活していたこの違う種族の同居者には、できるだけ穏やかに死を迎えて欲しかった。しかし、あんなに元気で食欲旺盛だった猫がどんどん悪くなっていく姿を目の当たりにしているのに、何もできることがないというのはこんなにも辛いことなのか。他者の「死」を目前にして、自分がいかに無力なのかを知らしめられた。がんの発覚から二週間ほど経ったところ、食欲が完全になくなり、水も自分から飲めなくなった。おそらく「飲み込む」という動作をもうしたくない、あるいはできなくなったのかもしれない。皮下注射の点滴で水分補給をして、猫がみんな大好きなちゅーるを強制的に舌に塗って飲み込ませていたが、それも一ヶ月経ったところで完全に拒否するようになった。「自然に任せる」のであれば、この段階で人間の介入をやめるべきなのだが、同居する家族でもあったからそれもできず、めげずに毎日点滴をつづけていた

猫はみんな、最後の最後まで普段通りに日常生活をつづけようとするーーと、どの愛猫家のブログにも書いてあったことが、われらの猫にも当てはまっていた。まったく何も胃のなかに入れていないのに、ものすごく頑張って生活しようとして、ガリガリに痩せた体を懸命に起こして家の中で散歩したり、昼間は日向ぼっこして体が温まったらひんやりした床に自分で移動したり、両目とも見えなくなっても自分からトイレに行こうとしていた。そして、猫の気持ちは、言葉で聞くこともできず、痛みを隠すのも上手な動物なので、観察しても「もう生きたくない」のような結論に至ることはできない。病状があまりにも悲惨な場合は安楽死を選ぶ飼い主もいるが、うちの猫はそこまでではなかったかもしれない。しかし、派手に嘔吐をしたりトイレが失敗したりすると、明らかに凹んでいる様子を見せていた。そこで人間が悟ったことは、毎日一緒に生活していたこの同居者に死んでほしくないーー行かないでーーということはもちろんだが、この悲しみ以外に、未知なる「死」を目前にして、どうしたらいいのか分からないという大きな不安にさらされているのは、人間だけではなく、当事者の猫も当たり前だがそうなのであった。そこに他者(猫)との連帯感、あるいは幸福とも呼べる感覚が微かにあったことは否めないのである。

クリスマスが近づいてきた12月下旬のある夜中、猫は不安げに家の中をうろうろし出して、どうしたと思った次の瞬間に口から血を垂らし、おしりからもどろっと茶色の血が出てきて、やがてこの瞬間がくるのかと思い、ひたすら猫をなだめながら「ここに人間たちがいるから怖くない、怖くないよ」と言い聞かせていたが、それは自分にも言い聞かせていたかもしれない。結果的にその日は持ちこたえたが、その後の猫はおそらくもう半分死んでいたかもしれないという状況で、やがて自分からトイレにも行けなくなり、家中を散歩しようとしても足取りがふらふらになってきた。12月28日ーー奇しくも父の命日ーーの早朝、猫はいつものような丸まった姿(いわゆるニャンモナイト)のままで、息が少し荒くなり、呼吸の間隔も長くなっていき、そしてやがて、眠ったように息を引き取った。日が昇る頃にはすでに身体も硬くなっていったが、この2ヶ月間ずっと夜も見守っていた甲斐もあり、亡くなる瞬間に立ち会えたためとても安堵した気持ちになった。こんな未知な「死」を彼(猫)ひとりで向き合わせるのはあまりにも酷なことだから、せめてその瞬間は隣にいてあげたいーーというあくまでも人間の過剰な自己意識によるものであった。

猫にとっては「自然」とは言い難い形だが、その日お寺でささやかなお葬式をした。これもまた、猫のためではなく、残された人間ーー生者のために行うものであった。われわれの喪失感を論理ではない形で説明してくれる宗教(仏教)が居てくれたことに、この上ない感謝の気持ちになった。火葬が行われる間、お寺に置いてあった雑誌『浄土』をなんとなく読んでいたが、コロナ禍の中でお寺はーー宗教はーーいかなる責任を果たすべきか、いかなる振る舞いをすべきかを論じた文章があまりにも素晴らしく、そして「死」を、他者の「死」を理解するというのは、頭で理解するのは難しく、死者の表情、感触、温度など、五感で感じてようやく分かってくるものなのだという記述にも頷けた。数年前まで自分はそれを避けて通ろうとしてわざと理解しようとしなかったが、今回の場合は、一緒に「死にゆくこと」を経験したことによって、「死」そのものを忌避したり、それを自分の半径バックヤードから追い出そうとするのはやめたのである。そこで人間と猫のまったく同質性のない共同体が形成されたのかは分からないが、何かがきっと共有、あるいは分有、されたに違いない。そして「死」が、他者の「死」がその生の挫折であり、ゆえに忌避されるべきものである、という近代的な思考は再検討されるべきであり、自らの領域バックヤードに「綺麗な」「進歩的な」ものしか置かないこともまた見直さなければならないことであろう。

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