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当たり前や普通ほど希少なものはない

こんにちは。

最近は調子が本当に悪く、病院にも行けませんでした。

当たり前のように、毎日飲んでいる薬が足りなくなります。服用を急に止めると心身に不調が現れる、離脱症状という状態が起きる薬も多いです。普通に生きていく為に足りない脳内物質などを、薬効によって補って日々過ごしているのですから、今まで当たり前に分泌されていた脳内物質が欠乏すればきっと脳もびっくりしてしまうのでしょう。中でも私の飲んでいる抗うつ剤は、離脱症状が短期間で起きやすいものです。

私はADHDですし、薬の残量と通院のタイミングを合わせられないことなんてしょっちゅうです。今まで散々抗うつ剤を切らし、ふらふらの状態で病院へ行くようなことは何度もありました。

一般的に病気や症状の改善などで薬の服用を止める場合は、お医者さんが様子を見ながら徐々に薬を減らしていきます。

私は普段、三錠の抗うつ剤を飲んでいます。ですが、薬が足りなくなると分かったタイミングで仕方なく数を調整して服用します。これは本当は良くないことだと思うので、できれば記事を読んだ方に安易に真似はしてほしくないのですが、この方法で短期間しのぐだけなら離脱症状を軽くできます。

話が逸れましたね。

実は私は成人するよりも前に一度、精神障害者手帳を取得しています。その頃はもう人生も他人もどうでもよく、社会でも家族でも好きなだけ金をせびって遊んで暮らしてやろうと思っていたのです。実際に障害者手帳の支給がされる程度には私の状態は悪く、結局手帳取得者に与えられる優遇なんてほぼ享受することはできなかったのですが。

ある時ふと、もう一度普通に暮らせるように頑張りたいと思うようになり、私は障害者手帳を返しました。今思えば若く浅はかだと思うのですが、障害者手帳は私の中で頑張らなくても良い理由の象徴だったのです。実際には障害者手帳を取得しながら、働いたり職業訓練に励む人はたくさんいます。また、働かなくともそもそも症状に抗いながら明日のために生活を続けている状態は、頑張っていないと言ってしまえるものではないのです。

色々なことに挑戦し、挫折してきました。母は適当に聞こえの良い言葉ををその場で口にし、私を惑わせ続けます。そして月日は経ち、相談には乗ってくれなくとも金銭面での支援だけはしてくれると信じていた父に見限られ、日々が立ち行かなくなりました。私は普通には生きていけないのだとはっきりと思い知らされました。

私の人生は本当にボロボロで、当たり前に働いている人と話す時に時々困ります。「今日はお休みですか?」と言われれば、嘘をつくこともあります。服を買いに行っても、半袖姿は店員さんには晒せません。試着した長袖のシャツを勝手に捲られたこともあります。良かれと思って、なので店員さんは責められません。女性の方は分かると思いますが、ブラジャーの試着では店員さんが手ずからフィッティングをします。体に合わないブラジャーは肩こりや締め付けによる体調不良を引き起こしますから、折角店まで買いに来たのだからと店員さんはフィッティングを是非していってほしいという勢いで、結構グイグイ来ます。久々に下着を買いに行ったのなら、サイズを測りたいと思うこともあります。けれど私は、服の上から測ってもらうことしかできません。親切心で「お洋服の下から測った方が正確なサイズが分かりますよ」なんて言われても、きっと私の腕を見ればにこやかだった店員さんも絶句することでしょう。

「ひきこもりでもネットには居場所があった」なんて、私は思えません。ネット上であろうと本当のことを言えない場合が殆どです。有名アーティストが閉鎖病棟に入院した過去を告白したと、Yahooニュースの目立つところに見出しが出ていました。けれど、私は精神科だと閉鎖病棟にしか入院したことはないです。

こんな風につらつらと普通でない私ことを書けば、異常性をアピールして酔っているだとか不幸自慢だとか思う方もいるかもしれません。ですが、異常で不幸(人に不幸だと同情されるのは虫唾が走りますが)な人間は、相応の苦労や屈辱を日々感じて生きています。独居房のような保護室が意外にも快適だなんて、知らないで生きていられればどれほど良かったでしょう。

再び精神障害者手帳の取得を決意し、障害者枠ですら就労できる気がしない中できっとそう多くはない障害者年金をもらえるように役所に乞う手続きをしなければいけません。やっぱり普通に働いて生きていけないんだと思った時、思っていたよりもずっとショックでした。

ある時母に手帳の取得等、今後について話しました。その決意が辛いものであったことも、会話の中でこぼしました。母はこう言いました。

「若い時って誰でも、自分が特別な存在じゃないって思い知る時が来るものだよ。お母さんも自分が案外普通だって分かった時ショックだったなあ」

私には、世間一般の普通というものが憧れ焦がれる特別なのか。私はそんなことさえ夢見てはいけないと、『普通』をやってきた母に突き付けられないといけないのか。

確かに母は機能不全家庭で育ちながらも、社会で普通を勝ち取った凄い人です。同時に、私を育てながら自分の都合のいいように使い潰した人間でもあります。愚痴や呪詛を吐くゴミ溜めのように使って、あなたは私に無償の愛をくれると言い聞かせ、時にヒステリックに怒り手を上げました。そして、仕事をして生きている普通の人間であり続ける為に、自分に暴力を振るい続けてきた祖母に私の面倒を毎日見させ続けました。

母の言葉に受けた屈辱なんて母には伝わらないので、そっと胸にしまいました。それでもその言葉は今もずっと胸を焼くようにジクジクジクジク痛めつけ続けています。


私が、私の普通でない部分を隠してインターネットで過ごす中で、気付いたことがありました。今まで普通に社会を担っていたように見えた人の中にも、なんとか普通にしがみつき続けている人がいます。無理をして無理をして、普通から外れてしまう人もいます。働いているのが当たり前の世の中で、今まで頑張っていた人が肩身の狭い思いをしているのは、見ていて心苦しく思えます。

また、普通でないことに憧れる人は多いです。けれど、特別な人には特別な人の苦労があるのでしょう。私はもう普通はやれないので、特別を狙いつつ明日生きていけるか不安に思う日々を過ごします。きっと特別な人の中には、特別を目指す以外に道がなかった人がいるのです。クソみたいな日常から抜け出すためにサッカーをやるのかラッパーになるのか人を殺すのか、というように。

私は普通であるが故の苦悩は分かりませんが、自らを普通だと思う人も案外普通ではないので安心してほしいです。当たり前をやっている人が、別の何かを虐げて鬱憤を晴らしているなんていうのもよくある話ですし。私の母もそうですが。

人類みな狂人です。狂人同士みんな仲良く肩を組んでは傷つけ合って、今日もがんばりましょー!


私は病院に行きます。

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