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「勝利」を求めるのは人の根源的欲求!?

※ 本記事は2023年3月発行のイマチャレ第6号に掲載されています。

 スポーツ界における「勝利至上主義」の問題点が指摘されて久しい。本号では、勝利至上主義を「勝利こそがスポーツのなかで最も価値があるものだとする考え方」(*2)と定義しておく。様々な啓蒙活動によってスポーツ環境は徐々に良くなっているが、それでも未だに理不尽、かつ、痛ましいスポーツ指導現場の話は途切れない。前ページに記載したこれからの時代における「子どもたちのため」の活動を妨げる要因としても、目先の「勝利」を過剰なまでに追い求める姿勢があげられる。なぜ、我々はこれほどまでに「勝利」に執着してしまうのか。その理由を探りながら、健全なスポーツ環境を作っていくための方法を考えていきたい。
※*2 佐良土茂樹(2021)、コーチングの哲学、青土社


■「勝利」には人を誘惑する魔力がある

 目の前の試合で勝たせるために、長時間練習を行い、その種目のことだけを考えさせ、時間がかかる主体的な活動はなるべく排除し一方的に指示に従わせる。「勝利だけを追い求めることは 良くない」と頭で理解していても、 その欲望を克服することはなかなか難しい。生徒が成長し、試合に勝たせることが 「子どもたちのため」だと信じている(信じることで自分のやっていることを 正当化している) 場合はなおさらである。

 それほどまでに 「勝利」が人を惹きつけるカは強い。スポーツがもつ「魔力」と言って良いだろう。 それは、「勝利」を欲する気持ちは理性的なものというより、我々が持っている根源的な欲求であるからだ。そして、この欲求こそが、世界中の人々がスポーツに熱狂し、魅了されている理由でもある。つまり、我々は生まれながらにして「勝利」を目指し、「勝利する」ことに快感を覚える生き物なのである。まずはこの事実を認めることが健全なスポーツ環境を作っていく上での スタートになる。

■ 人は欲望に弱いことを認め、「制度で」健全なスポーツ環境を作っていく

 スポーツ活動において「勝利を目指す」ことを否定するつもりは全くない。「勝利を目指す」ことはスポーツ活動の根幹であり、「勝利を目指す」ことからこそ得られる経験・学びがあることも事実である。 一方で、「勝利を目指す」ことの負の側面をしっかり認識しておく必要がある。実際に、指導者の「勝利への欲望」、または、チー ムメイトが持つ、この 「欲望」によって、 苦しめられている子どもがいるからだ。 また、この 「欲望」によって、長時間の過度な練習や多様な経験機会の損失など、長期的に見ると自分にとってマイナスになるような行動を自ら選択してしまうこともある

 これまで、指導者や保護者に 「勝利が全て」 の考え方を改めてもらうために、ガイドラインを策定したり、ニュースや情報誌で発信したりするなど、 様々な啓発活動が行われてきた。そのこと自体は素晴らしいことであるし、今後も続けるべきである。一方で、健全なスポーツ環境の構築を、指導者や保護者などが「いかに考え方を変えられるか」に頼って良いだろうか。前述のように、人はどうしても「勝利」に熱狂しやすい性質を持っている。だからこそ、理性的な 「制度」によってその歯止めをかけていく必要がある のではないだろうか。

 例えば、アメリカのジュニアスポーツでは、初心者レベルと競技志向のリーグが分かれていたり、1チームの登録人数が制限されており全ての選手が試合に出場できるようになっていたり、練習時間や日数に制限があったりと、 健全なスポーツ活動を提供するための「ルール」が存在している。

 そして、 そのルールを破った場合には 「試合への出場停止」などの「罰則」が存在している。 日本のように、ガイドラインだけを示して努力義務でそのルールを守らせようとしているわけではない。日本では、「罰則」に非常にネガテイプな印象を持つことが多いが、子どもの心身 の健康(ウェルビーイング)と未来を守っていくための 「制度(ルールと罰則)」の制定は必要なことではないだろうか。

■ これからの在るべきスポーツ環境の提案

 以下の図は、現在の中学生期の一般的なスポーツ活動環境と、これからの時代の「子どもたちのため」のスポーツ活動環境の案を示した図である。

 これからの時代のスポーツ活動環境 は、1)それぞれの子どもがニーズに応じた活動を選択することで、 より多くの子どもがスポーツに親しめるようになること、 また、2)子どもたちの人生という長期的な視点から見た健全なスポーツ活動という観点を基に考案したものである。これが絶対的な正解というより、この資料をもとに各地域で本当に 「子どもとたちのため」となる活動について議論するための資料にしてほしい。



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