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リアルワードs

SDGs (持続可能な開発目標)という言葉を聞いたとき、私は子供の時にみた、これから建てられるファミリー向け分譲住宅の広告を思いだす。
笑顔で手を繋ぎながら歩く家族と、当たり障りのない新築の一軒家が写った新聞の折り込み広告。”普通の幸せ”を手にしている一家の下には、“※これはイメージです”とフォローの一文。

世の中では、この広告のようにただの”※イメージ”で、人を動かそうとしていることが多すぎる。ありもしない”普通”や”幸せ”という概念は、考えてみれば、誰かが作った虚像なのにも関わらず、そこにリアリティに近い何かを感じると、人はそこに本質があるような気がして騙される。イメージに踊らされて向かった先に、望むものは存在しない。

社会問題に対しても同じ現象が起きていると言えるだろう。

たとえばLGBTQやフェミニズム。“多様性社会”、“男女平等な社会”を目指しているという表向きの顔を見せておきながら、電車にはいまだに、女性向けの脱毛サロンや異性愛者をターゲットにした結婚相談所の吊り革広告が溢れている。現実社会にあるひとつひとつの事象に向き合うことなしに、目指す社会を実現できるだろうか。

この問題の本質にあるのは、言葉のもつコミュニケーションの機能が失われつつあるということだ。イメージという幻想が先行してしまい、言葉にリアリティがなくなっている。言葉を発する人にとってリアリティのない言葉は、言葉の受け取り手にとって空っぽの箱と同じだ。会話がいま、空箱の投げ合いになっている。

SDGsという言葉を聞くと、私は分譲住宅の広告を思い出す。それは、SDGsという言葉の下にはいつも注で”※これはイメージです”と書かれているように感じるからだ。Sustainable Development Goalsという言葉を訳すと確かに「持続可能な開発目標」だが、私たちは「持続可能な開発」という言葉を日本語で日常的に使うだろうか。老若男女が聞いて、誰もがその言葉の本質をわかるのだろうか。私の心にはこの言葉は響かない。

いま、私たちが未来のためにできること、それは言葉の本質を取り戻すことだと思う。他人同士の集合体でできている「社会」をつなぐのはコミュニケーションしかない。ひとりひとりが自分の言葉で語り、互いの意見を尊重し合える社会が実現したら、未来の世の中は、今よりすこし明るなるかもしれない。
 

 


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