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選択と放棄:人生の重要な決断について

何かを選ぶ。

決断が早いことは、時たま、賞賛の対象になる。

でも、なにかを選ぶとき、自分は
「選んでない時間の不安さを拭うため」に
早く選んでいないだろうかと考えた。
個人的な話になるが、わたしはこの傾向がとても強い。

とにかく、なにもしていない時間を過ごすことがとても苦手だ。
選んでいない、グレーゾーンな状態が、なんだか心地悪く感じる。

なにかを選択し、そこに腰を据えると、一見安心するのだ。
忙しくなり、その選択が正しいかどうかを鑑みる暇がなければ余計安心する。
目の前のことをやっていれば、自分があたかもとても正しいことをやっているような気分になる。

そうやって、人生のいろんなことを、焦って焦って、
常に暇がないように決断してきた気がする。

でも、立ち止まって考えた。
決断する、つまり、何かを選ぶということは、
それ以外のをすべて捨てるということだ。

捨てる覚悟を持たなければならない、ということでもある。

正しいと思った道を選び、がむしゃらに進み続け、ふと立ち止まったときに
他の人がとても楽しく過ごしているように見える。

わたしは、他のすべてを捨ててその道を選んだくせに、
他の人の歩む道が羨ましくなる。

そのときにふと思う。
本当に、わたしはあの時正しい決断をしたのだろうか。
正しい決断とは、なんなんだろうか。
そもそも、正しい決断なんてあるのだろうか、と。

多分、正しいうんぬんよりも、
捨てる覚悟なんてないまま取捨選択を繰り返し、
短期的な見栄えの良さを優先した結果の結末だったと思う。

正しい道、なんてないんだろうな。
杜撰に、生半可に選択してきた結果の気持ちなんじゃないかなあと、今となっては思う。
捨てる覚悟なんてないまま、来てしまったんだろうな、と。

世間ではよく、結婚した/してないで分類されたりすることがあるけれども
これも同じことだと思う。

結婚することは、0から1になるのではない。
結婚しない、少なくとも結婚する場合より自由度の多い人生を捨てることである。
逆もまた然り。結婚しないことは、結婚して、誰かと支え合い孤独との時間が少ない人生を捨てる。(人によるだろうけれども)

なにかを持っている・持っていないのではなく、
自分に唯一の人生を選んでいく。
選ばなかった人生を、捨てる覚悟を持つ。

そして選んだ先の道の中に
果てしない自由を見る。

そんな風に、生きていきたい。これからは。


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