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【アルゼンチン短編】牛さんと魔法のダイエット茶

これは2015年にアルゼンチンへ移住した作者が、現地での生活や人々との触れあいから得た経験をもとに創作した短編です。今作のテーマは「飲むだけで痩せるダイエット茶」。どうぞお楽しみください。


アルゼンチンでは、毎月29日にニョッキを食べる習慣がある。なぜ29日かというと、月末前は金欠で悩む人が多かったからだ。そこで安くて腹持ちの良いニョッキを食べて、空腹をしのぐわけである。

今日は29日、ルナもまたニョッキをこしらえていた。別に律儀に伝統を守っているわけではない。単純に金欠だからだ。

その証拠に、「来月もお金に困りませんように」と願い、皿の下に置くお金さえもなかった。この世界は残酷だ。神様にお願いをしたり、幸運を祈ったりするのにもお金が必要なのだから。

何もかもインフレのせいである。この数か月で物価の値段は2倍以上になった。順調に右肩上がりのインフレに対し、夫ファビアーノの給料は綺麗な水平線のまま。

3か月前には赤ちゃんが生まれ、支出もぐっと増えた。育ち盛りの6歳の息子は毎日牛乳を1リットル飲み干す。せめて3日、いや2日かけて飲んでくれたらいいのに。

「私も働こうと思っているの」とルナはファビアーノに相談した。

「働こうって、子供たちの世話はどうするんだい?マルティーノは俺の親が見れるけど、アレハンドラはまだ君が必要だぞ」

「子連れで出勤できる職場を探すわ」

「そんな職場、ここにはないよ。それにこの不景気、誰が新しく人を雇うのさ」

赤ん坊が昼寝につくと、ルナはベッドの上でフェイスブックを眺めていた。いつものように家族や友人の投稿を見ていたところ、ある文章に目が留まった。

「ダイエット茶販売!2週間で5㎏以上痩せることも可能!特別キャンペーン中で一週間分を無料プレゼント!!」

思わずルナは、むっくりと起き上がって洗面所の鏡の前に立った。もう昔のようにスリムなルナはいない。ファビアーノは今の方が美しいと言ってくれるが、ルナは今の体型が嫌だった。

何度もダイエットに取り組んだ経験はある。しかし、「何度も」という言葉が暗示するよう、成功したことは一度たりともない。

あるアルゼンチン人が、「毎食の肉と毎日の昼寝を欠かさないからアルゼンチン人は肉食の牛だ」と言ったとか。もちろんルナも例外ではない。

そんなルナの目の前に現れたのが、飲むだけで痩せる魔法のお茶である。「効かなくても、どうせ無料だし」とルナは一週間分頼んだ。

翌日、さっそくダイエット茶が届いた。パッケージにはこう記載されている。

爽やかなレモン味。朝と夜の2回お水に粉末を混ぜて飲むだけ

「飲むだけで痩せるなら、世界から争いごとが消えて、発明者はノーベル平和賞を受賞できるわね」とルナは心の中で笑った。ただ、彼女の心には少しの期待もあったゆえ、律儀に一週間飲み続けたのである。

ルナは痩せた。食事制限も運動も一切せず、2.5キロも減ったのである。これにはルナも驚いて、販売人に連絡をした。

「たった一週間で2.5キロも落ちたわ!本当にすごいのね」

「そうでしょ。私もこれで痩せたから、販売することにしたのよ」

「えっ、ちょっと待って。どういうこと?もともと、あなたはお客さんだったわけ?」

「そうよ。この会社はダイエット茶の製造だけ行って、販売は業務委託しているの」

詳しく話を聞くと、ダイエット茶製造会社から1箱800ペソでダイエット茶を購入して、あとは自分の好きな価格で売るだけ。もちろん、自分のペースで働けるから、赤ん坊がいても問題ない。

さらに優秀な販売員は、年に一度行われる表彰式へ招待されるのだ。今年の開催地は、沈む夕日が青い海にキラキラと反射するメキシコである。

「飲むだけで痩せるお茶だもの!怠け者が多いアルゼンチンでは絶対に売れるわ」と確信したルナは、渋るファビアーノをなんとか説得して、試しに5箱買うことにした。

フェイスブックで販売すると、あっという間に5箱売れた。徐々に仕入れる数を増やして、ついに一週間で30箱の売り上げを達成したのである。

その間、ルナもみるみる痩せた。体重が減るという成功体験を初めて得たルナは、より結果を出そうと、自ら食生活の改善や運動も行った。たったの2か月で15キロの減量に成功したのである。

ルナは、今の姿と妊娠中の姿を映した2枚の写真を1枚に合成し、「ダイエット茶があれば、2か月でこんなに変われる!」との文章を添えて販売した。さらに売り上げが伸びたことは言うまでもない。

「もうくたくた。今日は30箱届けてきたわ」とルナは料理を作りながらファビアーノに言う。今夜のメニューはツナのパイ、トマトとレタスにたっぷりのレモンを絞ったサラダだ。

「すごいね。30箱だと、利益はどれくらいなんだ?」

「ふふ、あなたの日給の4倍はあるわね。時間があれば、もっと売れるんだけど」

「本当かい?じゃあ俺も君と働こうかな。ははっ」

「そうよ!二人で働けばもっと売れるわ。一緒に働いてメキシコへ行きましょうよ!」

翌日、ファビアーノはあっさりと仕事を辞めて、ルナとダイエット茶の販売を開始した。2人には、大きくてまばゆい希望とメキシコのビーチしか見えていなかった。

ルナとファビアーノは、自宅の一室に積まれた大量のダイエット茶を、呆然と眺めていた。

初めは何もかも上手くいっていた。しかし、長い人生で蜜を味わえるのは、ほんの一瞬。人生の大部分は、しょっぱい涙を味わうためにあるのだから。

売り上げが落ちた原因はルナにあった。

メキシコで表彰される、この偉大なる野望を抱えたルナは見事な販売戦略を立てた。彼女は購入者専用のグループチャットを作成したのである。そこでは、おすすめの運動やレシピを共有し、参加者たちには週一回の体重測定と報告を義務付けた。

ルナの狙いは2つ。

1つ目は、参加者たちのモチベーション維持と生活習慣の改善である。ルナは、ダイエット茶は魔法のお茶ではないことに気づいた。初めは、本当に何をしなくとも痩せる。

このダイエット茶の働きは、脂肪燃焼促進と快便である。最初の1~2週間で体からなくなるのは、脂肪ではなく便なのだ。

3週目頃からは、辛くて苦しい運動や食生活の改善が必須。でも、体重が減る楽しさを知った人々には、ダイエットは苦痛にならない。ルナの役割は、参加者を励まし、モチベーションを維持させることであった。

2つ目の狙いは、より多くのダイエット茶を売るためである。飲むだけで痩せるお茶ほどインチキ臭がぷんぷんするものはない。しかし、都合のいい真実の声が加わるだけで、信頼に値するお茶へ変わるのだ。

ルナは報告会でのこんな感じのやり取りを載せて、ダイエット茶の販売をした。

参加者:今週は1.3㎏も痩せたわ!とっても幸せ
ルナ:最高!じゃあ2週間で計3.1キロ痩せたのね!!!

ルナの努力の甲斐あって、グループの参加者は最大で300名を超えた。そして見事に、ダイエット成功者が続出したのである。

すると今度は徐々に退会者が増えてきた。「体型維持にもダイエット茶は効果的よ」とルナの言葉も虚しく響くだけ。

皮肉にも、ルナのおかげで規則正しい生活習慣を身に着けた参加者たちには、もうダイエット茶は必要なかった。もうルナの住む地域に牛さんはいなくなったのである。

ルナは再び家計に悩まされることになった。ファビアーノが勢いで仕事を辞めた分、以前よりも悩みはずっと大きい。この大量のダイエット茶をどうすればいいのだろう?

いつまでも部屋の一室に積まれた箱の数は減らない。そんなとき、新型病気が世界的に流行した。すぐに外出禁止令が出され、「ああ、もうおしまいだわ」とルナは絶望した。

外出禁止中、暇をつぶし貯金をつぶさないため、ルナは料理に力を入れた。毎日パンを焼き、週に何度もケーキやクッキーを焼いた。

「外出禁止中、マスクの次に小麦粉の需要が増加しているようです」と店の小麦粉売り場を映すニュースを見て、ルナはおかしくもないのに声を出して笑った。それはまるで、感情のバランスをとるかのような笑いだった。

ここで皆さんにお伝えしたいのが、どんな状況でもチャンスは転がっているということ。そのチャンスに気づける者を、運がいい人間と呼ぶのかもしれない。

ゴールドラッシュ時代にはショベル売りがもうけた。独裁政権による誘拐殺人が増えた時代には葬儀屋がもうけた。そして未曽有の新型肺炎が広まっている今、小麦農家がもうけている。

外出禁止令が出て一か月経った。ふと鏡を見てみると、ルナは顔が少し丸くなったことに気づいた。慌ててシャツをまくり、鏡とにらめっこしながら脇腹をつまんだり、太ももを確認したりする。

「しょうがないわ。毎日のように小麦料理ばかり食べているんだもの」

数か月前は徹底的に小麦を避けていたのに、今では小麦の虜である。

「どうせ売れないのだから、自分で飲んじゃおうかしら」とダイエット茶の山に目を向けた瞬間、ルナは目の前に転がるチャンスに気づいた。

「ファビアーノ!もう一度、ダイエット茶ブームが来るわ!」

「ルナ、もう誰も体型に悩んでいないんだよ」

「今は違うの!みんなダイエット茶を求めているのよ!」

そう叫び、ルナはSNSで大々的にダイエット茶の宣伝を行った。すると不思議なことに、つぎつぎと注文の連絡が殺到するではないか。かつての顧客もたくさんいた。そしてあっという間に、大量のダイエット茶は売り切れてしまった。

一か月以上続く外出禁止と小麦粉ブームのおかげで、みんな牛さんに戻ったのだ。

毎日正午過ぎに起床。遅い昼食を食べ、そのままたっぷり昼寝。夕食を食べて、なんとなくベッドに横たわるものの、睡魔におそわれるはずもなく、だらだらとスマホ。むっくり起き上がり、冷蔵庫を漁って、お日様に向かっておやすみなさい。

こんな生活を一か月も送ると、規則正しい食生活なんて、どうでもよくなってくる。そもそも、外出禁止だから人の目も気にならない。きつくなったジーンズやお腹周りは気になるものの、もう運動する気力さえ起きない。

そんな時に、あの魔法のダイエット茶を目にしたら、少しばかり値上げしていても飛びつきたくなる。

「今は製造会社も営業停止中で、大量のダイエット茶を持っているのは私達だけ!ああ、外出禁止のおかげで、たくさんの牛さんが戻ってきたわ。神様ありがとう!」

さっそくルナは配達に出かけた。ルナは興奮状態にあり、心臓がテンポよく鋭いビートを刻んでいた。信号に捕まることもなく、気持ちよくスピードを出して運転した。

「本当にラッキーだわ。誰も私を止められないのよ」

その時、心臓が思わず止まりそうになるほど、いや実際に彼女の心臓はほんの一瞬止まった。とにかく、おびただしいサイレンがなったのだ。

「そこの赤い車、とまりなさい」

ルナは車を端に寄せた。冷たい嫌な汗が脇から流れるのを感じた。

「何しているの?」と警察官が尋ねた。

「仕事でお茶を届けているんです。すみません、早く届けたくてスピードを出しすぎちゃいました」

「ああ、スピードね。まあそれは今は大丈夫だよ。そもそも車も人も少ないし。許可証は?」

「許可証?えっと、持っていません」

警察官はトランクを開け、丁寧に積まれた大量のダイエット茶を見つけた。ここでようやくルナは過ちに気づいた。ルナは検挙された麻薬の密売人のような気持ちだった。

「これを全部届ける予定なの?マスクもつけてないじゃないか」と警察官は購入者のリストを見ながら尋ねた。

「ごめんなさい」

「君があの病気に感染していると、この人たちみんなに感染しちゃうんだよ。隣町にも配達するつもりだったのか」

「ごめんなさい!次は気を付けますから、許してください!」と涙声でルナは訴えた。

「みんな同じこと言うんだ。かなり悪質だから罰金払ってもらうね」

罰金の請求書を持って帰宅したルナは、心なしかげっそりしていた。

【あとがき】

一年ほど前から妻の親戚がダイエット茶を販売しています。アルゼンチンはフェイスブックの使用率が高いので、ダイエット茶の販売はフェイスブックで。

実際に彼女もダイエット茶を飲んで、見違えるほど痩せたんですよね。詳しくは分からないんですが、15キロ以上は痩せていると思います。彼女が「シエスタをこよなく愛する牛さんにぴったりのお茶」と宣伝していたのが印象的でした。

彼女は販売上手で、物語であるようワッツアップ(Lineみたいなもの)で購入者専用グループを作成し、そこで情報共有。そして上手くいった参加者の声は、スクリーンショットして宣伝に活用。

結果的に、今年の2月頃はメキシコで開かれた表彰式に招待されるほど、ダイエット茶を売ったんです。もちろん仕事のパートナーとなった旦那さんも一緒に。

話は変わり、3月20日からアルゼンチンはコロナウイルスのせいで外出禁止です。家にこもりっきりだと料理が娯楽になるんですよね。みんなパンやケーキ、麺などを作るから、店から小麦粉が消えるほど。

当然、乱れた生活習慣と小麦粉ベースの食生活のおかげで、体重は増える一方。ふとフェイスブックを見てみると、ダイエット茶の投稿に40以上の「値段は?」や「買いたい」などのコメントが。

ああ、外出禁止中は彼女の繁盛期だなと思い、創作しました。あっ、ちなみに彼女は配達中警察に止められたそうですが、何とか罰金は免れたそうです。

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