君へ贈る最後のラブレター
親愛なるアントネラへ
僕たちはいつも手紙交換しているけど、今日は君に秘密でラブレターを書こう。せっかく秘密にするんだから、特別な内容にしようと思ってね。この二三日色々考えて、ようやく良いアイデアを思いついた。
これは君へ贈るラストラブレターだ。つまり、君がこれを読んでいるとき、僕はもういない。今の僕はすこぶる健康だから、君はしばらくこれを読むことはないと思うけど。
最後のラブレターとなると、何を書くか迷ってしまうな。たったの6年間だけど、たくさんの思い出を作ってきたからね。全部事細かに書いてもいいけど、それじゃあ本を読まない君の集中力が持たないはずだから、絞らないといけない。
ありきたりだけど、出会いから話そうか。
僕の人生における数少ない自慢の一つは、君に見つけてもらったこと。2014年4月、君は言語交換サイトで僕を見つけた。君は僕の見た目に惹かれたからメッセージを送り、僕もまた君の見た目に惹かれたから返信した。
君も知っての通り、僕はメールや電話が大嫌い。今でも君は信じないけど、当時の僕はラインもSNSも持っていなかったほど。だけど、時差の関係で朝と晩にだけ届く君からのメッセージは、心待ちにしていたんだ。
7月、君は電話で僕に告白した。僕たちは一度もあったことないものの、交際を始めた。そして僕は、君に会うため日本の裏側アルゼンチンまで行った。このとき、僕は君と一緒になる運命だと信じ込んでいたんだ。
だって、好きな人に会うためだけに、約2日間もかけてアルゼンチンのネウケン州とかいう聞いたこともない場所に行くんだよ。これだけ本気になれる人と人生を共にしないで、誰と一緒に過ごせばいいんだい。
僕は君の家の近くにある「カサ・ブランカ」という宿に数日間滞在した。覚えてるかい、起き上がる気力さえなくなるほど、僕たちはベッドでくたくたになったから、君はエムパナーダのデリバリーを頼んだ。
怠け者でだらしない僕たちは、下着姿でエムパナーダを食べ始め、僕はうっかり肉汁を真っ白なシーツの上にこぼしちゃったんだ。「こうやって食べるのよ」と君は笑い、肉汁がこぼれないように慎重に食べるものの、君もまた肉汁をこぼしたよね。
お腹いっぱいになったし、僕は旅の疲れもあって、僕たちは死んだように昼寝をした。あれが初めて君と共にしたシエスタだった。
あと、毎日朝から晩まで君が僕の部屋にいたから、二人分の料金を請求されちゃったね。「私は泊まっていないわ!」と君は必死に反論していたけど、まあしょうがないよ。エムパナーダでシーツも汚しちゃったし。
空港で涙を流しながら別れを告げ、僕たちは遠距離生活へ戻った。そして12月、僕は君を日本へ招待した。君には言ってないけど、僕は日本で君と3か月生活をして、関係性に終わりを告げるつもりだったんだ。働き始めると、会うのはもっと難しくなるだろ。だからハッピーエンドにしたかったんだ。
だからかなのか、日本での3か月間は夢のような生活だったし、それは君も同意してくれるはず。
北池袋にある8畳程度の狭いアパートでの二人暮らし。毎日のように、池袋駅北口のゲーセンで君の好きなUFOキャッチャーをした後、近くで君の好きなイチゴのクレープを買い、歩き食いしながら煌びやかな街を歩いたね。
そうだ、君はファミレスのハンバーグが大好きだったし、パン食べ放題のレストランもよく行った。
浴槽付きの洗面所に君は大いに喜んで、僕たちは毎日一緒に小さな湯船につかった。でも追い炊き機能なんてついていないから、15分も入っていれば、お湯は冷めてしまう。今でも君は、冷め切ったお湯の中でしたキスが忘れられないと言う。
3月、僕は大学生活最後の春休みを利用して、君と共にアルゼンチンへ向かった。残念ながら、君は妹と部屋を共有しているから、僕は庭にあるキャンピングカーで寝泊まりした。中には小さなベッドがあり、ソファもテレビもあったから、快適な2週間だった。
皆が寝静まった頃、君はそっと部屋を抜け出して、庭にある我が家までやってきた。テレビゲームをしたり、将来の話しをしたり、愛を交わしたり、そうそうオレンジの木から果実をとって乾いた喉も潤したね。そして日本への一時帰国の前の晩、君は静かに涙を流した。それは僕も同じだった。今思い出しても泣けてくるよ。
2015年6月、僕は移住を果たし、その年の7月31日僕たちは結婚した。さらにその一か月後には、天使のように可愛い赤ん坊も生まれた。イサイアのおかげで、僕たちは一緒になれたんだ。
子供が生まれて、ようやく僕は園芸店での仕事を見つけた。当時の僕の給料は約6千ペソと最低賃金そのもの。家賃を払えば1,500ペソしか残っていない。子供も生まれたばかりで、僕たちは貧乏な生活を送ったね。Wi-Fiもつけられなかったから、家でスマホを使うことさえなかった。
それでも僕たちが生活できたのは、君のご両親のおかげだよ。彼らは毎日のように僕たちを食事に招待してくれた。「孫を見たいから」と言っていたけど、彼らはお金のない僕たちを助けてくれたんだ。
僕と君の両親は、いつも僕達を助けてくれている。そのことは忘れちゃいけない。君と同じように、温かくて優しい心の持ち主なんだから。
ご両親に謝るとすれば、僕たちは2回嘘をついたことかな。ほら、僕が移住して少し経った後、君のパパは「ところで、どうやってアントと出会ったんだい?」と尋ねた。
君はとっさに、「ほら、昔韓国人の男の子がホームステイで来たじゃない。彼の友達よ」と嘘をつき、僕もそれに合わせた。ネットで出会ったのを言い出しにくく感じるのは、日本の裏側でも同じなんだなと妙な親近感を覚えたよ。
2つ目の嘘は、初めて君の家族とアサドを食べたときのこと。君のママが僕に「シュンは彼女はいるの?」と尋ねた。用心深い僕は、事前に「彼女の有無」を聞かれたらどうするべきか君に尋ねたけど、君は「あなたに任せるわ」と言うばかり。
君の前で嘘をつきたくない、けれども余計なトラブルを避けたかった僕は、「(あなたの隣に)います」と答えたんだ。
でも君のママは、まさか君が僕の彼女とは思いもしていなかったから、ヒューと高く口笛を吹いて、笑いながら拍手をしたね。机の下で、こっそりと君が僕の手を握ったのは忘れもしないよ。
2年間ほど僕は園芸店と車の修理工場で働いて、2017年に文章を書く仕事を始めた。「ライターになる」と僕が言ったとき、君はとても不安だったと思う。だって、フリーランスのライターなんて、ここにはそうそういないからね。それでも君は、「あなたがしたいなら、やってみればいいじゃん」と言ってくれた。
あのとき僕は「いつか僕たちの話しを書けたらなあ」と冗談で言ったけど、それはとっくの昔に実現したよ。それどころか、ついこの間ツイッターで多くの人が読んでくれたんだ。「映画化希望」と言ってくれる人も多いから、次はドラマもしくは映画化かな。
冗談はここまでにして。ライターを後押ししてくれたように、君はいつも僕の意思を尊重してくれた。結婚しても、子供を持っても、自分の人生を犠牲にする必要はないと教えてくれた。
日本とアルゼンチン、どちらで生活しようか迷っているとき、「私やあなたの家族、私の家族のことは考えないで。あなたはどうしたいの?」と君は言ってくれた。それでも僕は自分の心に素直になれなかったから、君の意見を尋ねた。
君は何て言ったか覚えているかい?「私の唯一の願いは、あなたと人生を過ごすことなの。あなたがいれば、どこでもいいわ」と言ったんだ。
血もつながっていない、いわば他人の僕、さらに言うなら出会って1年未満の男を君は信頼しきっていた。君と過ごしていると、愛は時間じゃないと思わざるに得なかった。
僕と君はいつも互いを信頼していた。ほら、誰々とは言わないけど、アルゼンチンには色々と言ってくる人たちがいた。でも僕たちは、いつも互いの味方でいた。
周りの言葉や価値観に惑わされそうになったこともあった。でも家族や親戚、世界を敵にしても、いつも同じ側に立っていられたのは僕たちの自慢だよ。
こうして振り返ってみると、たった6年間とはいえ、一緒に多くのことを経験したね。それでも鮮やかに覚えているのは、何気ない時間かな。
一緒にタトゥーを入れた日のこと。初めてのタトゥーで痛みに怯え切っていた僕を見て、君は笑いながらも、注射を打たれる子供を励ますかのよう、僕の手を握っていた。帰り道、嬉しさを隠しきれなかった君の顔は忘れないよ。
雨が降ると、必ず一緒に昼寝をした。下着姿で互いの体温で温まりながら、ぐっすりと夢の中へ。ああ、そうそう君に文句があるよ。眠るとき、君は好きなときに僕に抱き着いたけど、君は僕の好きなときに抱き着かせなかった。
夏は「暑いから抱き着かないで」と言い、足だけ絡ませる。冬は「あなたは冷たいのよ」と言い、僕の体温が温まってから抱き着く。
それでいて君は、「寒いから温めて」と冷たい体を僕にひっつけ、「暑いよ」と言う僕なんてお構いなしに気の向くままに抱き着いてきた。君は理不尽に僕の体温を乱したんだよ。
僕が仕事をしていると、君は踊り始めた。ちらりと君の方を見ると、恥ずかしそうに笑って「なに?」と尋ねるから、一緒に手を取り合って踊りもした。
チリ旅行に行ったら、毎回行きつけのカフェで一人で食べるには大きすぎるケーキを一緒に食べた。
君が夢中になってマニキュアを塗るのを、話すことなく眺めているのも幸せな時間だった。
そうだ、君のママに息子を預けてデートに出かけるとき、君は時間をかけておめかししたね。思い返してみれば、そんな時間さえ愛おしく感じるよ。
ああ、悔しいなあ。本当はもっと思い出があるのに、思い出し切れないよ。君との思い出を語るには、脳のキャパシティが足りないみたいだ。
*
結婚して初めの2年間ほど、君には大きな苦労をかけたね。人々は、アルゼンチンで暮らしている僕をすごいと言うが、本当にすごいのは君だ。
スペイン語も話せない、ここでの知識を何も知らない赤ん坊のような僕を、君はいつも助けてくれた。しかも、本当の赤ん坊を育てながら。それはとても大変なことだったと思うよ。ありがとう。
君はまるで母親のように、僕がここで暮らしていけるのか、ここで友達を作れるのか、初めての職場まで無事にたどり着けるのか、たくさん心配していた。
僕が初めて友人と遊びに行ったとき、君は僕以上に喜んで、僕の洋服を選び、財布に多めのお金を入れてくれたよね。出かける前は、「道に迷わないようにね。帰る前は連絡するのよ」と言い、優しくキスをした。よっぽど僕のことが心配だったんだろう。
それでもゆっくりとだけど僕は成長して、今は大抵のことは一人でできる。買い物にも行けるし、バスに乗って繁華街まで行けるし、一人で炭火を起こしてアサドも作れた。少ないながらも友達もできた。
それもこれも全部君のおかげだ。君はいつも僕の手助けをしてくれ、良い人生へと導いてくれた。君は僕に人生の楽しみ方を教えてくれた。
僕は君のために、より良い人間になろうと思えたし、君のおかげでより良い人間になれた。
*
最後に真面目な話をするとね、一応これは最後のラブレターという設定だから、君が読んでいるとき、僕はもういない。
でも君は生きていかなきゃいけない。僕もまた、君がいなくなっても生きていかなきゃいけないし、生きていける。偏屈な君は「じゃあどうして一緒にいるの」と尋ねるかもしれない。
その答えは、単純に君のことが好きだから。僕はね、君と一生涯を共にしたいんだ。いつまでも君に僕の人生を彩って欲しいんだ。君と出会う前、僕の人生はモノクロだったし、君がいなくなると再びモノクロに戻るだろう。
君がいなくなっても生きていけるけど、君のように美しく温かい心の持ち主を見つけるのはできないだろう。
もし辛さに耐えられないときは、楽しい記憶を思い出すといい。ほら、僕たちは夜な夜な写真を見返しながら、思い出に浸っただろう。人はね、辛い人生を乗り越えるために、良い思い出を作っていくんだよ。この手紙を読むのも助けになるかもしれない。
自己中な僕はね、自分のために君を愛していたし、こうして書いている今でも愛している。僕の幸せは君を愛することだった。君を想いながら手紙を書くなんて、最高の幸せだよ。
君を愛するだけで幸せになれる、それはとても簡単なことだったから、君と出会ってから、毎日僕は幸せだった。
僕にとってアイラブユーはアイムハッピーなんだよ。
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