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アルゼンチン日記「聖なる大昼食会」

僕の義父母は熱心なキリスト教徒のアルゼンチン人。毎週日曜日の夕方、彼らは教会へ足を運ぶ。以前は大工の義父が建設した教会に通っていたが、いつの間にか教会を変えたようだ。どうやら、その教会には良い牧師様がいるらしい。

実際、教会を変えてから義父母も変わった。彼らは神への理解がより深まった言い、彼の娘たち(僕の妻も含む)たちは義父母はより面倒くさくなったと言う。

アルゼンチンでは毎週日曜日の昼、家族全員で伝統炭火BBQアサドを食べるのが伝統だ。4~5キロの大量の肉は昼だけでは食べきれないから、僕たちは夜も義父母宅で焼き肉を食べる。

夜、義父母が教会から帰宅するのは22時半ごろと遅い。お祈りの時間は22時に終わるが、彼らは牧師様と熱心に話をしているのだ。

帰宅した義父母は、教会での出来事を熱心に教えてくれる。幼いころ半強制的に聖歌隊に加入させられた妻は、頬杖をついて明らかに退屈そうな様子。彼女の聖歌隊での役割は、長い布がついたタンバリンをひらひらさせるだけだった。

正直に言うと、義父母の教会話は退屈なものだ。でも、2ヶ月に1回ほど面白い話をしてくれる。

*

その晩もまた、義父母宅でアサドを食べていた。

外からカッカッカッとハイヒールの足音が聞こえた。義父母だ。普段は化粧しない義母だが、教会に行く時だけおめかしする。黒のストライプが入った白シャツを黒のスカートにイン、慣れないハイヒールを履き、よたよたと義母は歩く。

「シュン、今日はあなたも教会に来るべきだったわ」、義母はいつもこう言う。

「えっ、何か面白いことあったの?時間があるとき絶対行くよ」、僕はいつも持ち前の愛想のよさを発揮する。

目の前に座っている妻が、僕を冷たい目で見つめ、手で首をかき切る不吉な動作を示した。僕は慌てて彼女から目をそらした。

「牧師様が何を教えてくれたかわかるか?スマホは悪なんだとさ」と答える時間を与えることもなく、興奮した様子で義父は言った。

「えっ、スマホが悪?」、これは僕の必殺技。相手の言ったことを理解できなかったとき、それを反芻して頭の中で噛み砕くのだ。

「そうだ、今ダニエラ(妻の妹)が使っているスマホは悪なんだ」と義父は言い、ダニエラはため息をついて視線を上に向けた。

「パパ、いい加減にしてよ。そんなの嘘よ」と妻が声を発した。

「娘よ、嘘じゃないぞ。牧師様がそういったんだ。なあアナ?」と義父が言い、義母は大きくうなずいた。

「ジーザスが生きてたら、絶対にスマホを使ってるわ。そもそも、その牧師よりもずっと偉いローマ法王だって、SNS使ってるんだから!」

「お前は間違っている!」

「間違ってないわ!」

こうなったらもう止まらない。義父と妻はよく似ている。頑固で、自分が正しいと信じ切っている。だから、ふたりの喧嘩は右肩上がりにヒートアップ。そして喧嘩は、いつも相手を傷つけるような言葉で終わる。

「お前たちが教会に通わないのを本当に恥ずかしく思う!」

知らんぷりで喧嘩の外にいたダニエラは、ハトが豆鉄砲を食ったような顔をしていた。



ある夏の日曜日、義父が庭でアサドを焼いていた。

「今日は牧師様を招待したんだ」

義父は穏やかな笑顔を見せた。どうりで、トマトソースとチーズをかけた豪勢なステーキ肉があるはずだ。嬉しそうな義父とは対照的に、庭先に出てきた妻は暗い面持ちをしていた。

「なんで牧師さんなんて呼ぶのよ。そもそも事前に私たちに伝えるべきでしょ。知っていたら、私たちだけでアサドしていたのに」

妻はぶつくさ言っている。母親には文句を言えても、直接父に言うことはできないのが彼女らしい。

庭にあるオレンジとサクランボの木の下にテーブルが出され、そこには上品なお皿とワイングラス、キッチンペーパーを折りたたんだナプキンがセットされていた。あとは牧師さんの到着を待つだけ。

30分経っても、1時間経ってもこない。

義父が電話をしたところ、バスで向かっているそうだ。

2時間近く待ったところ、ようやく家の前で手を叩く音がした。

牧師様一行の到着だ。

牧師様夫妻、4人の子供、牧師様の母、2組の叔父夫妻の計11名。牧師様は浅黒く、さらりと光沢のある黒のワイシャツにジーンズを着ていた。

「今日はご招待いただき、ありがとうございます。キリストの分かち合う精神にのっとり、家族も連れてきました」と言って牧師様は大声で笑った。

煩悩の塊みたいな牧師だなと思ったのが僕で、「便利なジーザスだわ」とぼそりと言ったのが妻である。義父母は笑顔であいさつをし、彼らを外のテーブルに案内した。その後、室内に戻り、声を殺しながら喧嘩を始めた。

「どうして人数の確認をとらなかったんだ!?11人もいたら食事は足りないぞ」

「牧師様と奥様だけが来ると思ってたのよ!」

「その思い込みが今の災害を生み出してるんだよ!」

こんな感じで口論している義父母のもとに、スマホをいじりながらダニエラがやってきた。

「椅子が足りないわ」

いったい、どの家庭に17脚ものの椅子があるだろうか。招かざる聖なる客人たちの登場により、食事も椅子も足りない。

「アント(僕の妻)、今日は帰ってくれない?事情も分かるでしょ」と義母が提案した。

「私たちの問題じゃないわよ!あなたたちが勝手に招待したんでしょ。それに私たちだってお肉代払ってるし、ワインを買ったのは私たちなんだからね!」

「しょうがない。悪いが今日は肉を食べるのを控えてくれ」と義父が言った。

妻が反論しようとしたが、「僕たちには何もできない」と僕は彼女をなだめた。

庭に出てみると、牧師様の家族はグラスに炭酸ジュースを注ぎ、すでにサラダを食べ始めていた。

「お先に失礼してますよ。お腹が空いているようなので」、人の良さそうな笑顔を浮かべて牧師様は言った。

僕と妻、ダニエラ、義母をのぞく全員が席についたところで、牧師様がお祈りを始めた。

「このお祈りはどんな意味なんだい?」

「神への祈り。食べ物に困らないよう祈るの。効果あるのよ。私たちはお祈りしてないから今日はパンだけ。あの人たちは毎日お祈りしてるからお肉を食べられるのよ」

牧師様は(僕が買った)ワインを手に取り、みなのグラスに注ぎ始めた。義父母と僕は遠慮したが、強く勧める牧師様に押され、少しばかりのワインをありがたく注いでもらった。

この日のために用意した上等なワインは牧師様たちに、僕たちには義母が急いで買ってきた安物ワイン。

上等なお肉は牧師様たちに、僕たちにはパン。

聖なる食事だ。僕はキリストの血であるワインをたっぷり飲み、キリストの体であるパンで胃を満たしている。こんな冗談をひとり頭の中で考えていると、義母がギターケースを持ってきた。

毎週土曜日、教会でギターを教わっており、その成果を披露するそうだ。

ギターケースを開けると、中からギターと長い布がついた古びたタンバリンが出てきた。

「アント、タンバリン見つけたの。私のギターを盛り上げてよ」

義母は空気が読めないお人よしだ。この時も嫌がらせではなく、心底この場を盛り上げるために提案したのである。

妻が断っていると、牧師様が「叩いてくれよ!」と叫んで、両手の指を口の端につけて、ピューっと力強い口笛を吹いた。

こうなると、さすがの妻も断れない。

むすりとした表情を見せながらも、上から下にタンバリンを揺らす。義母のギターは下手くそだった。音と音がつながっていない。

それでもみんなが笑顔で手拍子をし、牧師様と奥様は陽気に踊り始めた。義父は珍しく声を上げて笑い、妻もなんだか楽しんでいるようだった。

その後、ひとり庭で涼んでいる僕のところに、牧師様がやってきた。ここでの生活の様子や日本にいる家族についてなど、いろいろなことを親身に聞いてくれ、牧師様としては良い人なんだなと思った。

僕にはひとつだけ聞きたいことがあった。

「ところで、どうしてスマホは悪いと考えているんですか?」

「ああ、これは秘密だけどね」と牧師様はにやにやしながら続けた。

「教会に来る人を増やすためだよ。子供が夜遅くまでスマホするから、日曜の朝は教会に来れない家族が多いんだ。教会も寄付金が必要だからさ」

そういって、牧師様は笑顔で僕の肩を力強く握り、義父母の方へ向かった。

厚かましくて風変わりな牧師様だったが、あの日は平和でゆったりとした時間が流れていた。

この話を思い出したのは、フェイスブックでライブ配信する牧師様の姿を見たのがきっかけだ。今の時勢、牧師様もスマホがなければ生活が苦しくなるのかもしれない。

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