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海に投げたかけがえのない宝物たち

愛する人と一緒になるため、家族を手放した

2015年、僕はアルゼンチンへ移住した。留学や短期滞在ではない。アルゼンチンで骨を埋める覚悟の元、移住をしたのである。

別にアルゼンチンが好きだったわけではない。むしろ、当時はこの国について何も知らなかった。僕が移住した理由は、今の妻と共に生活を送るため。

たまたま彼女がアルゼンチン人だったから、アルゼンチンに移住しただけであり、イタリア人だったならイタリアへ、セネガル人ならセネガルへ移住していただろう。

妻が日本に移住する選択肢もあったが、彼女は日本で生活するよりもアルゼンチンでのほうが幸せになれると僕は思ったし、今でもそう思っている。

若さと人生最大の恋愛というあまりにも魅力的で、危険な香りがする決断だった。

そう、僕は若すぎたのだ。僕は大学卒業したばかりで、ろくに社会人経験も積んでいない22歳の無知な若者だった。

だから、家族は僕の決断に反対した。

仕事はどうするのか
ろくに現地の言葉もしゃべれないで、どうやって生活するのか
日本でなら良い仕事につけるのに
もう一度、冷静になって考えてみるべき

どの言葉も僕にはうっとうしく、僕の耳をひどく痛めた。

母は「嫌な事ばかり言ってるけど、それは本当にあなたのことを想ってるから」と言った。当時は理解できなかったが、今ならその通りだと思う。

仕事や言葉はどうにでもなると楽観的だったものの、家族についてだけは大きく悩んだ。アルゼンチンに移住したら、もう簡単に家族とは会えなくなる。

日本とアルゼンチンの距離は1万8千キロ以上、飛行機で2日以上かかるのだ。

もし突然、身内に何か起こっても駆け付けられない
死に目に会えない
葬式に間に合わない可能性さえある

特に僕は祖母が大好きだから、どうしても最期には立ち合いたかった。こんな書き方をしていると祖母は死んだと思われるかもしれないが、今でもぴんぴんしている。

しかし、いつ何が起こるのかはわからない。子供のころから、たっぷりかわいがってくれた祖母と、できるだけ長い時間一緒に過ごしたいのも正直なところだった。

毎日のように悩んだ僕はある決断にたどり着いた。

心底求めるものを手に入れるためには、何かを手放さなければいけない

プロのスポーツ選手になるため、青春を手放すのと同じ
新たな生活を始めるため、今の生活を手放すのと同じ
好きな人の恋人になるため、友情を手放すのと同じ

僕は愛する人と幸せに暮らすため、22年間共にした家族を手放した。それはあまりにも大きくて思い切った決断であり、僕はまるで海に向かって宝物を投げたような気分になった。

そんなこんなで移住して、なんとかやっている。はじめは本当に崖を綱渡りしている気分だったが、今では強風に揺られる橋を渡っている気分にまでなれた。

ここでの生活も安定してきたころ、それは確か2018年のことだったと思う。

父の容態が悪化した。

僕が大学生のころから、父はうまく歩行できないようになり、2014年に仕事を退職し、老人ホームで生活を送っていた。

次第に体の自由は効かなくなり、誤嚥性肺炎を起こしたわけだ。母が父のお見舞いに行っているとき、僕はビデオ通話をかけた。そして、大いに驚いた。

ゼーゼーと息をしている老け込んでしまった父がいた。

正直なところ、ビデオ通話をするまで、僕は事態を深刻にとらえていなかった。

しかし、スマホの画面に映る父は死にかけていた。父はうつろな目で僕を認識すると、ゼーゼーと体を揺らし涙を流した。初めて父が泣いているところを見た。

ビデオ通話のあと、父には希望がないと思い込んだ僕は静かに涙を流した。妻に抱きしめられたら、抑えがきかなくなり、声を出して泣いた。

それから3~4日後、僕たちは一時帰国した。妻の観光ビザぎりぎりの3か月という長期滞在だった。それは父の死を見据えていたからだ。

幸いなことに父は回復した。もう指と目と口以外は動かせなければ、食事もとれない、声も出せないけれど命は助かった。

父の出来事をきっかけに、数年ぶりに僕はあの決断を考えた。

本当にアルゼンチンへの移住は正しかったのか

僕の行動で妻やその家族親戚、友人たちは悲しむ必要はなかった。その一方で、僕の行動が自分の家族の幸福を破壊したのだ。

では日本に住む決断をしていたら?妻が新たな環境になじむのに苦しむ姿を見て後悔したかもしれない。

それまで明確に意識していなかっただけで、人は傷つけあって生きている。人はある選択を手に取り、いつの日かもうひとつの選択を取らなかったことを後悔する。

頭がパンクするほど考えても、何もわからなかった。

そもそも、正しいや間違いとかないのだ。人生に無数とある決断のひとつに過ぎない。そこに正解を求めること自体ナンセンスなのかもしれない。

これが生きるということなのだろう。人は長い年月を生きるほど、多くのものを傷つけ、失い、後悔する。

正解なんてないのだから、勝手ながらも僕は自分のために生きることにした。どうせ後悔するのなら、どうせ傷つくのなら、自分の本心に従って決断していこうと思う。

たった数か月のうちに南米アルゼンチンまで移住した僕だが、帰国するたびに家族は温かく迎えてくれる。困っているときには、救いの手さえ差し伸べてくれる。

僕は宝物を海に投げていなかった。

海に出たのは僕だった。

僕は幾度も荒波を超えた船のように傷だらけだ。

目的地なんてわからないが、前に進み続けるしかない。

それが生きるということなのだから。

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