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結婚記念日に食べたアルゼンチンの玉ねぎピザ

7月のアルゼンチン、乾燥した冷たい空気が肌を突き刺す冬のことだった。僕と妻アントは、ふたりで街の通りを歩いていた。

僕たちは結婚記念日を祝うため、ショッピングモールで映画を観たあと、ぶらぶらと街を散歩していた。時折、店に入っては、商品を眺めるだけ。ここの店員は、客に特別気にもかけないので、冷やかしにすらならない。中国人の雑貨屋で、妻が格安のネイルポリッシュを購入したくらいだ。

人々はあてもなく歩いているように見えるが、夜が更け込み始めると、だいたいバス停もしくはタクシー乗り場が終着となる。もちろん倹約家の僕たちはバス停へと向かっていた。

「お腹が空いたわ」妻がぼそりと言った。

スマホを見ると、もうすぐ21時になるとこだった。バス停周辺には至る所にフード屋台がある。黄色い小さな屋台ではパンチョ(ホットドッグ)、長方形の箱のような屋台では熱々のフライドポテト、そしておじさんたちが良く響く声でお菓子を売っている。

「僕はピザが食べたいな」

なぜかは分からないが、僕は熱々のピザを食べたかった。チーズがたっぷり乗ったピザを。

「いいわね!バーに行きましょ」妻が同意し、僕の手を引っ張った。

*

僕たちは2015年7月31日に結婚した。ちっぽけな教会のような場所で、妻の家族親戚だけ集まったささやかな宣誓式。

宣誓式中、おそらく役所で働いている女性が、僕たちに向かって話していた。当時の僕はスペイン語が理解できなかったが、なんとなく結婚式のお決まりのセリフを言ってたんだと思う。

先に教会から出席者たちが出た。僕たちが最後に教会を去ると、出席者たちが米粒を投げてきた。自然と始まったキスコールを受けて、僕たちは結婚して初めてキスを交わした。

*

バーにはネオン看板がいくつも立っており、周囲の殺風景さもあいまって、まるで異世界への入口のような見た目だった。しかし、店内は床から家具まで木で統一されていて、よくある普通のバーだった。

端にあるテーブルを確保し、僕は飲み物を頼みにレジへ向かった。顔の下半分に長いひげをたくわえ、腕はタトゥーだらけの、いかにも外国のバーの男が笑顔でこっちに来た。

「やあ、ビールとガンシアをもらえるかい?」

ガンシアはアルゼンチン定番のリキュールだ。ハーブなどが混ぜられており、シトラス系の味わいが特徴。一般的には、細長いグラスにたっぷりの氷を入れ、そこにガンシアと炭酸ジュース(主にスプライト)を混ぜて飲む。アルゼンチンの若者はワインやビールよりも、ガンシアもしくはフェルネットを好む傾向にある。妻も例外ではない。

机にドリンクを運ぶと、すでに妻はメニューを眺めていた。

「とりあえずフライドポテトは頼むでしょ?」

ここでは、とりあえずのビールではなく、とりあえずのフライドポテトのようだ。

「辛いソースつきだって!楽しみね。それで私はペペローニにするわ」

アルゼンチン人の多くは食に関して保守的だ。ペペローニなど、自宅で食べられるではないか。僕はせっかく金を払うのだからこそ、家では食べられないものを食べたい。

とはいうものの、どのピザにするか迷う。挑戦こそしたいが失敗はしたくない、勇敢な臆病者である。メニューを眺めていると、見慣れない単語が目に入った。

「フガ…これは何?」指をさしながら妻に尋ねた。

「フガセッタよ。あなた食べたことないんだっけ?じゃあ、これにしなさい。フガセッタはアルゼンチンのピザよ」

そう言って彼女は注文した。フガセッタのトッピング内容を聞いても、「あなたはきっと好きだから安心して」と言うばかり。

すると皮つきフライドポテトがやってきた。ポテトは太く、上にはチェダーチーズと青ネギがたっぷりかかっている。ソースはマヨネーズとチリソースの2種類。

これが予想以上の美味さだった。ピリ辛ソースは言うまでもなく、青ネギの風味がフライドポテトとよく合う。フライドポテトを食べ終えた頃、メインディッシュの到着だ。

ペペローニは典型的なものだった。モッツアレラチーズの上に、たっぷりのサラミとオリーブ、マッシュルームがちりばめられている。

気になるのがフガセッタ。どうやらフガセッタとは、モッツアレラチーズと玉ねぎのピザのようだ。たっぷりの玉ねぎが飴色に焼けていて、見るからに美味しそうである。

僕は皿に置こうと、一切れ引き抜いた。すると、生地の中からモッツアレラチーズが流れ出た。どうりで厚みがあるわけだ。フガセッタは2枚の生地でモッツアレラチーズを挟んでいるのだ。

僕はピザは手で食べる派だが、チーズがこぼれるフガセッタはそうはいかない。フォークとナイフで小さく生地を切り、こぼれたチーズと玉ねぎを絡めるようにして食べた。チーズの濃厚な味わいと玉ねぎの甘味が美味い。

「久しぶりに食べたけど、やっぱりおいしいわ!小さい頃、ママが玉ねぎ嫌いの私のためによく作ってくれたの」

こうして僕たちは数年前の結婚記念日をピザで祝った。そして今日2020年7月31日、僕たちは結婚5周年を祝う。コロナウイルスの影響で外出はできないので、デリバリーを頼み、こうして僕は思い出をつづっている。

門の前で誰かが手を叩いている。愛しのフガセッタが到着したようだ。

昔、デリバリーで頼んだフガセッタ

お気に入りのバーのフライドポテト。

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