【アルゼンチン短編】靴下売りの少年と夢のチョコレート
「事実は小説よりも奇なり」、これは2015年にアルゼンチンへ移住した作者が、現地での生活や人々との触れあいから得た経験をもとに執筆した短編です。今作のテーマは「靴下売りの少年」。どうぞお楽しみください。
想像してみてほしい。夏の朝、たっぷりの朝日が身体を優しく包み込み、爽やかなそよ風に愛撫されて目覚めるところを。素晴らしい一日の始まりではないか。
だが、セバスチャンにとっては憂鬱以外のなんでもなかった。どんな一日の始まりでも、セバスチャンは目を覚ますだけで憂鬱だった。辛い日々を送るくらいなら、ずっと夢の中で生きていたかったのだ。
セバスチャンは6歳の痩せ細った少年である。大人が憂鬱な気分で一日を迎えるのは、ある意味で正常である。だが、6歳の少年の場合は違う。太陽にあたりすぎた肌は深い茶色となり、目は深くくぼんでいる一方、頬骨は鋭く飛び出ている。
彼の両親はどうしようもなかった。まだ30代と若いのにも関わらず、ろくに働きさえしない。働けない理由があるのではない。働く気力がないのだ。たとえば、ここには小学校さえ終えていない人はたくさんいる。そのような人々がオフィス職に就くのは難しいが、大工や車の修理を生業とすることはできる。
もしくは、少しばかりの小麦粉でケーキを作り、通りで販売することもできる。仕事はいくらでも作れる。大抵の場合で、やる気の問題なのだ。では、セバスチャンの両親がどのように生計を立てているのかというと、子供の稼ぎと物乞いである。
起床して、ティースプーン一杯だけ砂糖を入れた紅茶を飲み終えると、セバスチャンは仕事の準備にとりかかる。セバスチャンはプラスチックのビニール袋に靴下とペンを入れ、両親とバスに乗る。街へ到着すると、セバスチャンは父親と人通りの多い場所へ移動するのだ。
「こんにちは、セニョール。良い靴下があるんだ。3足で180ペソだよ」といった具合にセバスチャンは通りを歩く人々に声をかける。父親は少し離れた場所で、煙草を吹かしながら、威張った監督員のようにセバスチャンを見張るだけだ。
さすがに小さな少年に声をかけられると、思わず人々は足を止めてしまう。物売りの子供に声をかけられるのは慣れても、断るのは永遠に慣れない。多くの人は後味の悪さを感じながら、セバスチャンに「ごめんね。今はいらないんだ」と断る。
セバスチャンから購入する人は、たいてい大きな正義感を持っており、ナイフのように鋭い目つきで父親の方を睨む。ときには、父親に向かってはっきりと「自分で働きなさいよ!子供にこんなことさせて恥ずかしくないの!?」と叱責する人もいる。
そんな時も父親はへらへらと笑っているだけ。そんな光景を目の当たりにする時、セバスチャンは自分も責められているかのように、みじめな気持ちになるのだ。
母親の方へ目を向けてみよう。母親の職場はたいてい銀行ATMもしくは人気レストランの入り口前である。彼女はそこへお粗末なタオルをしき、赤ん坊を抱えて座り込む。
ATMからお金を降ろしたばかりの人、レストランで食事を楽しんだばかりの人に向かって、「セニョール、少しお金を恵んでくれませんか?赤ん坊に洋服を買いたいんです」と訴える。これが彼女の仕事である。
すでにお伝えした通り、この父親と母親はどうしようもない連中なのだ。
永遠とも感じられる長い労働を終えると、家族はバス停へ向かう。夕暮れ時のバス停には必ず、お菓子売りのおじさんがいる。
「アルファホーレス(ミルクジャムを挟んだクッキー)!チョコレート!チュロスもあるよ!」とよく響く声で叫ぶおじさんを、セバスチャンは見ずにいられなかった。あの小さなカートの中に、たっぷりの甘いお菓子が詰まっている。最後にお菓子を食べたのはいつだろうか。
煙草を購入した父親が戻ってきた。バスの中に乗り込むと、セバスチャンと同じくらいの年頃の男の子がいた。学校帰りなのだろう、白いエプロンのような制服を着て、キャラクターがデザインされたバッグを背負っている。少年の母親が何か渡し、少年の目は輝いた。アルファホーレスだ。
セバスチャンはこんな光景を毎日のように見る。いつか、あの甘そうなアルファホーレスを食べたいとセバスチャンは密かに思うようになった。
***
ここで物語のもう1人の主人公を紹介しよう。23歳のエリザベスだ。可愛らしい顔つきながらも、意志の強さを感じられる強い目の持ち主である。彼女は時にお節介と呼ばれる母親の、強い正義感を受け継いでいた。
今日はネウケン州の人々が待ち望んでいた夏祭り。夏の暑さがピークに達する2月、ネウケンでは有名アーティストが来る無料コンサートが開催される。今年はエリザベスが大ファンのアーティストが来ることもあり、彼女は数日前から楽しみにしていた。
午後の6時頃、彼女は友人と満員のバスに乗ってお祭りへ向かった。偶然にも、同じバスにセバスチャン達も乗り合わせていた。夏の祭り時期は、セバスチャンの両親にとって年に数回とない繁盛期である。この日に向けて、彼らは大量の靴下を仕入れていた。
バスが目的地に近づくにつれ、エリザベスの気持ちは、空に昇る気球のよう徐々に高まった。毎年似たような光景だが、彼女は活気と幸福に満ち溢れた祭りを見るのが好きだ。
会場入り口では手芸品や植物を売る露店が並び、少し先に進むと綿あめやチョコレートフルーツ、フライドポテトなどが販売されている。さらに進むと、簡易遊園地があり、メインコンサート会場周辺は牛ひれ肉のサンドイッチやチョリパン、ビールなどを販売するフードトラックが無数にある。
メイン会場へ到着する頃には、エリザベスは興奮状態にあった。
「ねえ、何か食べましょうよ!エネルギー補給しないと踊れないわ」とエリザベスは友人に言った。「私はビールとフライドポテトを買ってくるから、あなたはチョリパンの列に並んでもらえる?」そう言うと彼女は一目散に駆け出した。
その頃、セバスチャンもまた高揚感に包まれていた。絶対に買ってもらえないと分かっていても、露店を眺めるだけで、乾いた少年の心は潤ってくる。よそ見をしながら歩いているため、何度も人とぶつかったが、セバスチャンは嬉しかった。
「よし、メインコンサートが始まるまで2時間ある。この日のために、たくさん靴下とペンを仕入れたから、頑張って売るんだぞ」と珍しく父親は激励した。
続けて「全部売れたら、綿あめを買ってあげるわ」と母親が言った。セバスチャンは綿あめなど諦めていた。これだけ魅力的なものが揃ったお祭りで、いったい誰が靴下やペンを買うのだろう?
気の毒なことに、6歳にしてセバスチャンは一家の重圧を背負わなければいけなかった。「神様、お願いします」と小声でつぶやき、セバスチャンは父と母の視線を背中にひしひしと感じながら、販売へと繰り出した。
***
エリザベス達は地面に座って、チョリパンとビール、そして揚げたてのフライドポテトを食べていた。彼女達だけではない。誰もが座って腹ごしらえをし、メインコンサートに備えていた。動き回っているのは子供達だけ。
前座のアーティストのレゲトンも聞こえ、座りながらも自然と体が揺れる。まさに薔薇色の時間を楽しんでいると、友人がぼそりと呟いた。
「今年も子供が売りまわっているわ。こっちに来なきゃいいけど」と言う友人が目にしたのは、もちろんセバスチャンである。
「せっかくのお祭りなのに、物を売りに連れてこられるなんて可哀そうだわ。私は、ああいった子供たちの親が嫌いなの」と憤慨してエリザベスは言った。
「ああ、こっちに来るわ。断ると後味悪いから、買ってあげようかな」
「いや、買ったらダメよ。お金はあの子の両親が巻き上げるんだから」とエリザベスは言い、深く考え込んでしまった。
「こんにちは、セニョーラ。靴下とペンを売っているんですけど、いかがですか?」と予定通りセバスチャンがエリザベス達の元へやってきた。友人はどうするといった具合にエリザベスの方を見ている。
エリザベスは少年の日焼けしてこげ茶色になった肌、汗で汚れたシャツ、そして悲し気な目を見た。
「あなたが靴下履いていないのに、靴下売ってるの?おかしな話しだわね」とエリザベスは優しく言った。
「まあ、どっかの国では素足で靴を履く習慣もあるみたいだしね。子供用の靴下はある?」
「あります。1足80ペソですが、3足だと200ペソになります」
「じゃあ、3足ちょうだい」と言ってエリザベスはお金を渡し、子供用の靴下を受け取った。
エリザベスはポケットにお金をしまうセバスチャンを見つめている。そうして彼が立ち去ろうとする前に、再び話しかけた。
「この靴下はあなたにあげるわ。私は子供どころか、彼氏もいないからね」とエリザベスはセバスチャンに靴下を押し付ける。
「今靴下を履いて。3足全部よ。そうしなかったら、返金してもらうからね」と笑いながら彼女は言った。
エリザベスは知っていた。新品の状態の靴下を渡してしまえば、セバスチャンの両親は靴下を彼に与えるのではなく、再び売ろうとすることに。だから、その場で靴下を履かせて、商品にできないようにしたのだ。
初めての出来事に直面したセバスチャンは、表現しようのない感情に襲われていた。困惑や親に叱られるのではという不安、そして靴下を貰えた嬉しさなど様々な色の感情が彼の心で混ざりあった。結果的に、それは明るい色に落ち着いたのである。
「あとね、これは秘密よ。お母さんたちに見つからないよう、ポケットに大事にしまってね」とエリザベスはカバンの中からあるものを取り出し、こっそりとセバスチャンに与えた。
「ありがとうございます、セニョーラ」とセバスチャンは子供らしさを感じさせない、かしこまった挨拶をして立ち去った。
***
セバスチャンが去った後、エリザベスは良い気分ではなかった。誰が見ても、彼女は良い行いをしたにも関わらずだ。
余計なお世話をしちゃったかもしれない。あの子の親が靴下を見て、彼を叱りつけるかも。もしかすると、あの子の心を傷つけたかもしれないわ。私はあの子のためではなく、自分のためにあんなことをしたのかも。
自責の念は尽きない。自身の母親の姿を見て、エリザベスは親切な行いが時に、心に傷を残すことをよく知っていた。傷つきたくないのなら、関わらないのが一番なのである。だが、エリザベスはどうしても少年を放っておけなかった。
こうしてエリザベスの心にもまた、とても小さいながらも完全に消えることはない傷ができた。そう、これからの人生、彼女はふとした瞬間に少年のことを思い出すようになる。だが、そんな傷が人生には必要なのかもしれない。
「もうそろそろ、始まるみたいよ。行きましょ」と友人が言った。エリザベスは心のもやもやを取り払うかのように、たっぷり汗を流しながら踊った。
セバスチャンはと言うと、靴下とペンを売り切ることはできなかった。繰り返しになるが、誰がお祭りで靴下とペンを買うのだろう。そうはいっても、セバスチャンは多くの売り上げを得た。
購入者のほとんどが哀れみからだった。あとは、ちょうど靴下に穴の開いた男が2人ほどいて、またちょうどペンのインクが切れたフードトラックの店員が4人ほどいただけだ。
エリザベスが渡した靴下については、何も悪さをしていない子供が教師に弁明するかのよう、必死に両親に説明したところ許してもらえた。
「ラッキーだったな」、これが父親の言葉である。
「バスが混む前に早く帰ろう」と父親が言った。結局、有名アーティストの歌を聴くこともなく、露店に立ち寄ることもなく、彼らは祭りを後にした。
***
メインイベント前だから、当然バスの中は空いていた。
「パパ、前の方に座ってもいい?」とセバスチャンが尋ねた。母親との話しに夢中の父は「降りるのを忘れるなよ」とだけ言って許可を与えた。
セバスチャンはバスの窓側の席に一人座った。窓からは、お祭りへ向かう楽しそうな人々の姿や煌びやかな露店が次々と見える。毎年、祭りからの帰りのバスは憂鬱だったが、今年は違う。
セバスチャンはポケットからアルファホーレスを取り出した。そう、エリザベスがこっそり与えたのは、セバスチャンが夢にまで見たアルファホーレスだったのである。ポケットの中で大事に握りしめていたから、少しばかりチョコレートは溶けていたが、そんなのお構いなしだ。
一口かじると、思わず笑みがこぼれた。想像以上に甘くて、素敵な味だった。初めてセバスチャンの現実が夢より良くなった瞬間である。
***
【あとがき】
アルゼンチンに移住して驚いたのが、子連れの物乞いが多いことです。街の大きな銀行ATMやカフェ、レストラン前には赤ん坊を抱いた女性が座っていたり、小さな子供が待ち構えていたりします。それでお金を求められるんですが、初めの方は断れなかったんですよね。特に子供に対しては。
ある少年に少しばかりのお金を渡したら、すぐに他の子供もやってきて、「あの子にだけ渡すのはずるい」と言うのです。それでその子にも少しお金を渡して、ふと振り返ってみると、2人は兄弟だった。どこかに隠れていたのであろう、両親についさっき僕があげたお金を渡しているのです。
それがあってからは断るようにしているのですが、やっぱり小さな子供に断るのは、こっちも辛くなってしまいます。これから僕の息子が彼らと同じ年頃になると、いっそう辛くなるかもしれません。でも、彼等の親はそれが分かっていて、子供に物を売らせたり、お金を求めさせたりしているんですよね。
かつてアルゼンチン人妻が、「お金を渡しても、あの子たちのものにはならないわよ」と言ったのが、強く心に残っています。断っても嫌な気分になれば、与えてももやもやした気分になっちゃいました。
それで話しを作品に戻すと、僕の住むネウケン州では毎年夏になると、大きな祭りを開くんです。たくさんの露店が並び、有名アーティストがやってくる、皆が楽しみにしているフェスティバル。僕も家族や友人と毎年参戦しています。
2018年の夏祭り、地面に座って名物のチョリパンを食べていると、向こうの方からプラスチック袋を抱えた少年がやってくるのです。順番にご飯を食べている人々に声をかけ、僕達のところへ。
作品の通り、少年は靴下を売っているものの、靴下を履いていませんでした。「買うべきなのかな?」と悩んでいると、妻がカバンの中からアルファホーレスを取り出して、彼にこっそりと渡したのです。靴下こそ買わなかったものの、その時の少年の驚き嬉しそうな顔が印象的で、今作を執筆しました。
これがアルファホーレス。
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