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寄居町ぐるりとハイキング

Noteを更新するのがかなり久しぶりになってしまった。どこにも行っていない訳ではないのだが、何となくNoteから足が遠のいていたような感覚である。
それでは今回の本題へ。埼玉県は寄居町へハイキングに行ってきたので、歩いていて思ったことをグダグダと述べていこうと思う。

事の発端

なぜ寄居町を選んだかは、それなりに理由がある。それは、東武東上線沿いだからだ。一番端ではあるが。
思考回路としてはこうだ。最近Pentax 6x7後期を購入したためフィルムカメラ片手にどこか出かけたいな → でも自転車で目的地に行くとぶらぶら歩いているうちに体が冷えてしまうな → じゃあ電車で行こう → 乗り換えが多いのは面倒だ → 東武東上線の端っこにしよう、という順序である。

「寄居町 ハイキング」で調べてみると、すぐに寄居町ハイキングガイドなるものがヒットする。このガイドは寄居町が公式で出しているもので、地図の正確さはともかく非常に分かりやすい。(NoteはPDFのリンクを貼ると確認も無く突然開く恐怖仕様なので、もし興味がわく変人がいればご自身で検索してほしい)

寄居町からスタートして中間平(ちゅうげんだいら)の梅林を通り風布川沿いを通って波久礼駅まで大体10 kmちょっとかな、と目星をつけて家を出たのであった。

家~寄居駅~鉢形城公園

東武東上線沿いだからと寄居駅を選んだが遠すぎた。まず、小川町駅での乗り換えがほぼ必須だから1本では無い。場合によっては、森林公園駅でも乗り換えが必要となる。何ということだ。

寄居駅を出て北口方面へ歩くと、村役場が見える。失礼ながら思っているよりもずっと立派で驚いた。
残念ながら、鉢形城公園は駅の南口方面なので180度方向転換し荒川を渡る。荒川の上で外国から来た観光客のグループとすれ違った。こんな所にも来ているとは!自然を楽しもうというバイタリティにはいつも驚嘆させられる。

鉢形城公園はかなり広く、また良く整備されていた。復元された石垣もよく出来たもので、とても気持ちの良い公園であった。要所要所できちんと案内板があるので、それを追っていけば当時の様子が何となくだがイメージできるようになっている。城を整備拡張したのが北条氏だったということで、ここでも広大で攻めづらい城を作るスタイルなのだなと納得した。今でこそ高速道路のトンネルを抜けて新潟に行けるが、当時はこの辺りを抜けなければならない訳だから重要な場所だったのだろう。

すぐ脇に流れる荒川を望む。

鉢形城公園~中間平緑地公園

前述したハイキングガイドとGoogle mapを参考に車道を歩く。今回はカメラ片手に簡単なハイキングなのでGPSを頼りにしながらである。とはいえ基本的には分かりやすい道をずっと行けばよいので随分と楽である。

残念ながら中間平緑地公園の展望デッキまでは全て舗装路であった。歩きやすいと言えば歩きやすいが、端からハイキングシューズを履いていると歩きづらそうだなと感じた。

展望デッキからほぼ真東の景色を眺める。

眼下には梅林が広がっている。写真では茶色く見えてしまうが、6分咲きくらいでもう少し白かったようにも思う。まあ私が梅が咲いているとバイアスを掛けてものごとをみていたのだろう。こうしてみるとまだまだ咲いていないようだ。もう2、3週間後に来ると満開であろう。
梅も良いが、この時期は蝋梅がとても良い香りを振りまいている。春の訪れを感じさせる心地よい香りだ。よく考えられたもので、車道沿いに蝋梅が植えられているため単に歩いているだけで香りを楽しむことが出来た。

中間平緑地公園~波久礼駅

展望デッキで簡単に昼食を取った後、公園内のハイキングコースで風布館なる建物を目指した。緑地公園は良く整備されており、近年稀にみるほどの良い里山に見えた。植えられているのは基本的に全て杉なのだが、よく枝打ちされていて木漏れ日が心地よい。そういえばここに来る途中、材木屋を見たなと思いだした。最近加工したであろう杉が積まれており、目に留まったのだ。もう少し近くであれば木の良い香りがしたのであろうが、遠くからふと見つけただけなのは残念であった。
展望デッキから少し歩いたところで、地元のおばちゃんと話をした。シャキシャキとした方で、昔お世話になったIさんを思い出した。地元の話を色々と教えてくれるので、暫し一緒に歩くことになった。

伺った話で面白かったのは、寄居で生産されているミカンの話である。今はよく見かける温州ミカンになっているのだが、栽培され始めた当初はもっと小さく酸味の強いもので、福レみかん(ふくれみかん)というそうだ。鉢形城主になった北条氏が地元を恋しがり、小田原からミカンを持って来たということらしい。ところどころの家には、まだ福レみかんの木が生えているということも話してくれた。
そう言えば筑波山麓にも福来みかん(ふくれみかん)なるミカンがある。考えてみれば筑波山の南側にある小田城は北条氏と手を組んでいたことがあったと伝わっているような。ミカンが小さいという点も一致しているし、ルーツは同じなのだろう。関東におけるミカンの伝達には北条氏が大きく関わっていたのかもしれない。

川沿いのハイキングコースを行くと、波久礼駅方面までどんどんと降りていけた。こちらは林の中を歩くことが出来て、舗装路を歩くよりもずっと楽しいものであった。

波久礼駅~家

波久礼駅は見た目こそ古い雰囲気があるが、改札ではPASMOが使用できて安心した。しかし、安心したのも束の間。丁度駅に着いたあたりで電車が出ていくのを確認したのだが、次の電車まで35分くらいある。それなりにハイキングに来ている人がいるのだからもう少しダイヤを考えてくれても良いだろうと思ったが、こればかりは仕方がない。貨物列車が波久礼駅内で停車し後ろの電車の追い越し待ちをしてくれたので、ジロジロと観察することで何とか時間を潰すことが出来た。鉄道オタクではなくとも、旅先で見る見慣れない電車はワクワクするものである。

砂利を運ぶ電車。

待ちに待った電車は6時台の武蔵野線くらいには混んでいた。週末には秩父に出かける人がそれなりにいるようだ。
それにしても車内にいる爺婆のやかましいことやかましいこと。4歳くらいの子がおとなしく電車に乗っているというのに、こちらが恥ずかしくなってしまう。こんなに周囲が見えなくなるほど耄碌してまで長生きはしたくないものである。

その後、例のごとく寄居と森林公園で乗り換えをして無事に帰宅できた。

結び

そもそも発端であったカメラの話はどこじゃい、と思われる方もいるかもしれない。が、どうか許してほしい。Pentax 6x7は中判フィルムカメラであり、撮った写真をすぐに確認することは叶わないのだ。現像してデータを取り込んだら、ギャラリーとしてここに追加しようと思う。

それにしても6x7の重い事。SMC 75mm F4.5をカメラ本体に装着し、替えでSMC 165 F2.8を持って行ったので合計で4 kg弱であろうか。それに三脚も持って行ったので余計な荷物が5 kgくらいあるようなものである。えっちらおっちらハイキングをするくらいなら良いが、きちんと山を登るには少し鍛練が必要になる予感がする。

ギャラリー 24.3.8更新

Pentax 6x7で撮影した写真を現像に出したので、ここに貼っていく。フィルムカメラをよく使っている友人に「露出オーバー目で良い」と言われたのだが、さすがにオーバーすぎたようだ。次からはもう少し気を使って露出を調整しようと思う。

鉢形城公園の対岸に見えた廃墟。まさに取り壊し中で、重機の音が響いていた。


中間平緑地公園に向かう途中。
撮影時はもっと薄暗く日影と日向のコントラストが綺麗だったのだが、
スキャナーで取り込むときの補正が悪さをしてしまったようだ。


中間平緑地公園の展望台から東側を望む。やや黄色い発色はKodak Gold 200の特色だろうか。

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