もう一つのリューリア作戦(3)

前(第2話)

 分艦隊は無人の荒野を南へ進んでいた。あれから敵部隊と遭遇することはなかったものの、1つ問題があった。ドーヴィルの機関が故障し、応急修理を行ったものの巡航速度が低下。これにより、仮に第五艦隊が巡航速度で予定通り南進していた場合、追いつくことが不可能になっていたのだ。

((機関を完全修理するためには丸一日必要です。その間ドーヴィルには停止していてもらわなければなりません))
 俺は司令席で、艦隊支援補給艦ヤサールの艦長であるイスマイロフ中佐が無線越しに言った言葉を反芻していた。完全修理のために立ち止まった場合でも第五艦隊に追いつくのは不可能、しかも敵に発見される可能性も高まる。受け入れられない選択肢だった。
「でもどこかの艦隊と接触しないことには始まらないしなぁ……」
 俺は机に置かれた地図と、赤で書かれた各艦隊の予想進路、そして分艦隊の現在位置を表す駒を見てため息をついた。背もたれに倒れかかって顔を上げたその時、頭の上からタジ中佐の声がした。
「司令官!これ見てください!」
 後ろのドアを開けて入ってきた中佐は、両手に抱えた書類と地図を机に広げた。いくつかのグラフや文書に加え、分艦隊の現在地周辺の地図にいくつかペンが引かれている。
「これ、ここ見てください!南向きのジェット気流が見つかったんです!これを使えば第五艦隊に追いつけるかもしれません!」
 中佐の指の先には南向きの矢印が引かれ、その隣にはジェット気流の持続時間を示す時刻が書いてあった。行き先は第五艦隊の未来位置に近い。
「明日の正午までか……修理してから向かうと間に合わないな」
 俺がそう言うと中佐は不思議そうに返した。
「気流の中で修理しちゃ駄目なんですか?」

「問題ありませんよ、機関修理であれば甲板に出なくても出来ますから」
 イスマイロフ中佐は襟元を整えながら言った。彼は仕事は確かだが規律がない男で、ヨレヨレのセーターの上にくたびれた背広を羽織っており、無精髭も伸ばしっぱなしだ。呼びつけたときに飲んでいたのか、手にはカップを持ったままだ。
「ジェット気流の目的地は敵地のど真ん中だ。そこで動けなくなるのは致命的な事態を招きかねない、確実に明日の正午までに作業を終えられるか?」
 俺の不安をイスマイロフ中佐は笑った。
「戦場に確実なものなど何もありませんよ、ザーレ司令官。しかし、ヤサールの工作部員たちの技量に関しては、確実と言っても良いでしょう。」

 分艦隊は無事にジェット気流へと侵入した。これで明日の正午にはヨダ地区の西側に出て、第五艦隊の通信範囲内に入ることになる。旧式艦であるドーヴィルはジェット気流内の航行に最適化されておらず、船体はガタガタと振動し船員たちの不安を煽った。俺はイスマイロフ中佐に、揺れによって機関修理に支障が出るのではないかと問いかけたが、彼は心配しすぎだ、プロフェッショナルに任せろと言った。

「暖気運転完了しました!」
「了解、圧縮空気注入開始。主機始動せよ。」
 修理は朝ごろ無事に終了した。とはいっても始動すれば隠れていた問題が現れないとも限らない。艦長の指揮のもと、エンジン始動が慎重に進められる。ガラガラという音と低い唸りとともに、主機の回転が少しずつ速まっていく。
「主機回転数安定しました!」
「確認。クラッチ繋げ」
 クラッチが繋がれると、振動とともに推進プロペラが回転を開始しだした。
「動力伝達を確認!」
 どうやら修理は成功したようだ。俺が胸をなでおろすと、後ろから現れたイスマイロフ中佐が肩に手を置いた。
「修理したフネの乗り心地はどうです、お客さん?」
「前よりいいよ、必要以上に心配してすまなかった。」
「いやいいんですよ、指揮官がフネを心配するのは当然のことですから。……とはいえ戦闘はこれからなんですから、少しリラックスした方がいいですよ。」
 中佐はそう言うと、手に持ったカップをこちらに差し出した。中には黒い液体が入っている。見たところコーヒーのようだ。
「ありがとう、いただくよ」
 口に運ぶと、苦くて薬のような匂いのする、タールのような粘性の液体が入ってきた。
「うわっ!なんじゃこりゃ!代用コーヒーか?」
 俺が顔をしかめてカップを返すと、中佐は笑った。
「これはチヨコを溶かしてフィルターにかけたものですよ。甘さでごまかされてた薬臭さが強調されて、気付け薬の代わりになります。司令官にはこれからしっかり頑張ってもらわないといけませんからね!」
 中佐は笑いながら去っていった。なんとも掴みどころのない人だ。

 他艦隊との通信は依然として繋がらず、我々は孤立状態が続いていた。艦橋の外は曇天に覆われてほとんど視界が無く、他艦隊を視認することも出来なかった。
「こうなると、共振探知器を使って探し出すしかないな」
『帝国艦隊に逆探知されたらどうする、引き続き山脈沿いに南進して通信範囲に入るべきだ』
 俺とクロエ大佐の意見は再び対立した。俺は発見されるリスクを鑑みても孤立状態の方がより危険だと考えていたが、クロエ大佐は分艦隊の全艦が戦闘能力を維持していることを根拠に、孤立状態でも散発的な襲撃には耐えうるとし、リスクを犯してまで合流を急ぐ必要はないと考えていた。
「私はザーレ司令官の意見に賛成ですね。ここは帝国領の奥地ですから、敵の襲撃も今までのような小規模では済まないでしょう。孤立は深刻な事態を招きかねないため、早急に第五艦隊と合流する必要があると考えます。」
『フリッチャー大佐がそう言うなら……』
 艦長の援護射撃もあり、クロエ大佐も俺の案を認めたようだった。旧式のドーヴィルには長距離共振探知器がないため、探知はウィンダムが行うことになった。
「共振探知機起動、南側へ発信しろ」
『了解。共振探知機起動、発信……探知機に感あり。南西約10ゲイアス。恐らく巡空艦以上を含む複数隻、詳細不明。』
 南西。第五艦隊の進路方向だ。ただこの距離で通信が入らないというのは、いくら悪天候でも考えづらい。
「艦長、タジ中佐、これは第五艦隊だと思うか?」
「はっきりとは……第五艦隊の進路としては不自然ではありませんが、先程までの通信が届いていてもおかしくない距離ですからね。」
「共振探知機の結果だけで話していても結論は出ないんじゃないでしょうか?早いところ観測機を飛ばして、敵か味方かだけでもはっきりさせましょう!敵だったら発見される前に逃げないと!」
 タジ中佐は逃走を口にしたが、これは彼女が敗北主義者だからではない。分艦隊の速力はこのオンボロに足を引っ張られており、敵が強力だった場合に取り返しのつかないことになりかねないからだ。
「分かった。この艦から観測機を出す。不明な艦隊に接触し、味方艦隊であれば連絡を確立しよう。第五艦隊が敵との交戦によって無線不通に陥っていることも考えられないではないからな。」
「敵だったらどうします?」
「さっきの発信が逆探知されてれば、敵はこっちの居場所を知ってるはずだ。速やかに転進してやり過ごす。艦長、レイテア隊に指示を。」
「了解です。観測班、今から指定する座標を偵察し、味方なら接触を維持しろ。敵だった場合はすぐ連絡して、対追跡撹乱飛行の後に帰還しろ。目標座標は4-126-68。繰り返す、目標座標は4-126-68……」
 観測機に指示を出す艦長を横目に、俺は椅子に座り直した。もしもラオデギアに乗ってこれていれば、敵から逃げる必要もなければこんなボロの椅子に座ることもなかったと考えると、つくづく自分の不運が恨めしい。

「提督、地上基地の観測から考えるに、"アダルベルト"が探知した連邦艦は第五艦隊のもので間違いないかと思われます。攻撃を進言致します」
「うむ……しかし参謀長、敵の囮部隊ということもありうる。そうであれば、これにかかりきりになっている隙に第五艦隊の本隊がこちらの警戒網をすり抜けることも考えられないではない。偵察艦隊を分離し、敵の規模を調査した上で主力艦隊を差し向けるかどうか決定する。」
「了解しました。重巡空艦アダルベルトに対し、偵察艦隊を率いて偵察と、もし敵が小規模なら攻撃するよう通達します。」

「司令官、観測機から入電です。繋ぎます」
 艦長の言葉とともに、スピーカーが耳障りな音を立て始め、やがて緊張した男の声が聞こえてきた。
『……標地点へ到達!不明艦隊は帝国艦隊です!アデレエン級重巡2、ガリアグル級軽巡2、ゲダルン級駆逐6!北東へ航行中!繰……します、敵はアデレエン級重巡2、ガリアグル級軽巡2、ゲダルン級駆逐6!北東へ航行中!離脱します、交信終了!』
 これで不明艦隊は敵艦隊だということがはっきりした。しかも南西にいた敵艦隊が北東へ向かっているということは、敵は十中八九こちらに気付いたということだ。俺の決断は完全に裏目に出た格好だ。
「敵は戦艦こそいませんが、我々よりずっと数が多いようです。アデレエン級やガリアグル級は火力も強力で、交戦すれば大きな被害が出ることは免れ得ないでしょう」
「合流前に交戦するのはまずい、どうにか逃れられないか?」
俺の問いに対し、艦長はいくつかの案を提示した。

「偵察機より入電。敵偵察機の追跡失敗。敵艦隊は旧式戦艦を含む8隻、雲に入ったため見失ったが、予測進路上を捜索中。以上です」
「よろしい。敵艦隊は我々より小規模のようだ、このまま攻撃する。接近したら音響観測を使うぞ、準備しておけ!」

 艦は今や雲に包まれていた。窓の外を白い雲が帯になって流れる。こんな状況でなければ幻想的な光景だ。
「雲の中に入ったことで敵偵察機はこちらに接近せざるを得なくなります。アルボランの戦闘機隊を出して叩き落としましょう。」
「アルボランに伝えておこう。敵艦隊の追跡はどうやってかわす?相手とあまり距離がない、単に進行方向を変えるだけではバレるぞ。」
俺がそう言うと、タジ中佐が空図を持ってやってきた。
「タジ中佐、空図を広げてくれ。……我々の艦隊がここで、敵艦隊がここです。我々は現在北東に逃走していますが、敵艦隊が速力で優越しているため、追いつかれるのは時間の問題です。そこで……」
フリッチャー艦長は空図に曲線と点線を引いた。
「北に転舵して少し航行した後、主機を停止します。」
「主機を停止?追いつかれないか?」
「大丈夫です。この空域では東の山から風が吹いていて、エンジン停止中は……このように、西に流されることになります。エンジンを停止すれば、雲に推進プロペラ空気流に由来する模様が出ることも、音響探知機に引っかかることもありません。敵は北か北東を捜索し、こちらを発見することは無いでしょう。」
 こんなやり方は士官学校では習わなかった。ベテランならではの発想だろう。
「それしか無さそうだ。航法科に予定進路を算出させて各艦に通達しよう。……艦長、今ほどフリッチャー艦長が付いてきてくれて良かったと思った時は無いよ。」
 俺の称賛に艦長は笑みを返した。
「ありがとうございます。今が一番感謝される状況であってもらいたいものです。これ以上追われて逃げ回るのは御免ですからね」

「まだ接敵しないのか!?」
「偵察機が音信不通、音響観測も沈黙してます。予測進路上を捜索しますか?」
「当たり前だ!たとえ小部隊であっても、後方に潜り込めば厄介だ。ましてや本隊が連邦第五艦隊と接敵したタイミングで攻撃されるようなことがあれば、高い代償を払うことになりかねん!クルカの腹の中まで探して、逃さず殲滅する!」

 エンジンを切って敵をやり過ごす間、艦内は不気味な静寂に包まれていた。帝国の音響探知機は話し声を探知することなどないだろうが、有力な敵に追われている状況は、俺たちを穴に隠れるネズミのように静かにさせた。
「偵察機の報告はどうだ?」
 視界のない雲の中かつ共振探知機が使えない以上、外の様子を知るには偵察機を出すしかなかった。偵察機が見つかるリスクもあるが、目隠ししたまま殴られるよりマシだ。
 俺の言葉に答えるように、スピーカーのノイズが静寂を破った。
『こちらドーヴィル偵察機隊、タム1。分艦隊の前方、約11ゲイアスに不明な艦隊を発見。先程の敵艦隊とは違うようだ。大型艦が見える……』
 まさか第五艦隊だろうか?ありえない位置ではない。第五艦隊だとすれば、合流して敵艦隊を殲滅する選択肢もあるが……
『……帝国艦隊だ!少なくともグレーヒェン級戦艦1、ヴァーレン級重巡3!その他小型艦多数!』
 俺の楽観的な願いはたやすく打ち砕かれた。グレーヒェン級戦艦など、この艦隊の全艦が束になってかかっても敵う相手ではない!
「艦長、機関を再始動しよう。このままではリューリア管区の防衛艦隊、もしくは本国艦隊か……とにかく、勝ち目のない敵に向かって流される!」
「同感です。しかし、先に発見した敵艦隊の方はどうします?」
 今、俺たちの分艦隊は、西の戦艦隊と北東の巡空艦隊に挟まれた位置にいる。見つかれば少なくとも巡空艦隊に攻撃され、悪くすれば両方の艦隊に挟み撃ちされることになりかねない。いや、巡空艦隊は接敵すれば戦艦隊に連絡するだろう。そうなれば遅かれ早かれ挟み撃ちされてしまう。
「……敵の巡空艦隊に奇襲攻撃をかける。戦艦隊と挟み撃ちされるより勝率が高いからな。そのまま東に突破して、山裾に隠れる。破れかぶれの策だが、他にいい案も思いつかない。」
「命の使い所ですな。司令官、艦隊に通達を。」
 俺は艦長からマイクを受け取ると、姿勢を正した。

『諸君、我々は窮地にある。我々の西10ゲイアスに、グレーヒェン級を含む大規模な敵艦隊を発見した。このままでは巡空艦隊と挟み撃ちに合いかねない。そこで、巡空艦隊に突撃し、そのままノスギア山脈に隠れることにした。この作戦はリスクが高く、被害は免れ得ないだろう。だが生き残り、任務を遂行するにはこれしかない。諸君の命を預かるものとして、情けない戦いはしないと誓う。ドーヴィルからの発光信号に合わせて全艦機関再始動、そのまま旗艦に続いて突撃せよ。健闘を祈る。』
「ザーレ少将……」
 私は艦内放送される彼の鼓舞を聞きながら、出港した時の事を思い出していた。当時の第一印象は”緊張感のない、典型的なアーキルの士官”というものだった。年齢も若く、表情にも締まりがなかったからだ。はっきり言って、貴重な共和国の巡空艦を預ける相手とは思わなかった。だが共に戦い、彼の心構えを知った。彼もまた、祖国の人々を守るため戦う軍人なのだと気付かされた。
「そうとも、私達は勝つ。勝って戦果を祖国に持ち帰るのだ。」

『エルラクエ隊、もうじき雲を抜ける。攻撃準備はいいか?』
「こちらエルラクエ1、攻撃準備完了している。カウントに変更ないか?」
 俺の問いかけにアルボランのオペレーターは肯定した。この作戦では艦隊との連携が肝だ。
『隊長、この紐爆弾本当に使えるんですかね?』
「エルラクエ2、私語を慎め。最新兵器がどうあれ、俺達はやれることをやるだけだ。」
 紐爆弾はパンノニアとの技術協力で開発された新兵器で、その名の通り戦闘機の後ろから伸びた着脱式のワイヤーに爆弾が取り付けてあるというものだ。連邦の戦闘機は下面のほとんどを浮遊機関が占めており、大型爆弾が装備できないため、このような兵器が必要となったのだ。戦闘機一機で大型艦に大ダメージを与えることが出来るのは、将軍たちにとって大きな魅力であるようだ。……もっとも戦闘機乗りとしては鈍重になって迷惑この上ないが。
「全機、そろそろ敵が見えるぞ。備えろ。カウント開始、5、4、3、2、1……!!」
 不意に雲間から敵艦が姿を表した。哨兵に見つかり対空砲がこちらを向く前に仕事を済ませなければならない。俺は艦隊の中心にいる大型艦に狙いを定めた。窓の外を縞状の雲が流れ、セズレは矢のように加速していく。巡空艦を照準の中央に定めて真っ直ぐ飛ぶ。やがて艦橋を飛び越す瞬間、俺はスイッチを押し込んだ。爆弾と機体をつなぐワイヤーが分離され、セズレは自由になった。
「エルラクエ1投弾!離脱する!」
 機体を離れたそれは慣性で真っ直ぐに飛んでいき、敵艦の艦橋に命中した。人ひとりが入れるほどの大型爆弾が炸裂し、辺りは一瞬晴れわたったように明るくなった。
「命中確認!あれは……重巡か!旗艦をやったぞ!」
『エルラクエ2投弾!贈り物を受け取りやがれ!』
『エルラクエ3投弾!……隊長、重巡から敵機が発艦しました!』
「構うな!ここで交戦すれば敵艦に狙われる!艦隊直掩に戻るぞ!」
 艦へ戻る俺たちに向かって敵艦隊の対空砲が火を吹いたが、雲の中に突っ込んだ俺達には命中しない。敵艦の燃える炎が、周りの雲を血のように赤く照らしていた。

「航空隊より報告、攻撃成功!」
「よし、全艦突入せよ!」
 奇襲攻撃の成功率を高めるにあたって、俺たちはいくつかの策を凝らした。まずは一瞬だけ機関を起動し、敵艦隊をこちらに引きつけた。これによって、こちらを発見し向かってくる敵艦隊と、一瞬の加速で巡空艦隊に向かって慣性飛行する分艦隊は、敵の予想以上の早さで接敵することになる。次に紐爆弾を使った航空攻撃を仕掛けた。敵の大型艦を叩くことで、混乱を引き起こすのが目的だ。そして直後に分艦隊が突撃する。
「敵艦を発見したら各砲塔の判断で射撃しろ!視程が短い、見える距離なら有効弾だ!」
 俺がそう言うと同時に、目の前に敵駆逐艦が現れた。最新鋭のゲダルン級だ。直後視界が真っ赤に染まり、艦橋の窓ガラスがビリビリと音を立てて揺れた。主砲が火を吹いたのだ。ど真ん中を捉えた主砲弾が、敵艦を文字通り真っ二つにした。
「よし!オンボロだが戦艦だ、甘く見るなよ!」
周囲では僚艦たちが次々と発砲し、混乱状態の敵艦を次々と撃破していく。もし燃え上がる敵艦が無ければ花火大会と言っても通るだろう。
「……艦長!正面に敵艦が!」
「問題ありません、吶喊します!総員耐衝撃姿勢!」
 窓の外に見える軽巡がどんどん大きくなる。もはや避けられない距離だ。
「うわぁ、ぶつかる!艦長何を……」
 立っていられないほどの強烈な振動がドーヴィルを襲った。耐衝撃姿勢を終えた俺が頭を上げると敵艦はもはやなく、その代わりに左右の窓から真っ二つになったガリアグル級が見えた。俺の方を振り返った艦長がニヤリと笑った。
「アーキリアほど立派ではありませんが、この艦も衝角を備えているんです。古いフネですからね」
「そ、そういう事は早く言ってくれ!」

 順調に進んだ奇襲攻撃だったが敵もさるもの、混乱から立ち直りこちらに射撃してきた。視界の限られる雲の中では一対一の戦いが多いことは数に劣る俺たちに味方したが、それは被弾しやすいということでもあった。
「左舷、敵重巡!」
 見ると、艦橋が潰れた重巡空艦が砲口をこちらに向けている。ドーヴィルは戦艦だが、舷側に砲塔が配置され圧迫されている都合上で舷側装甲がやや薄い。この距離では貫通されかねないのだ。
 ドーヴィルと敵艦は同時に発砲を開始した。それぞれの砲弾が相手に命中し、ボディーブローのような一撃が装甲越しに伝わってくる。
「後部艦橋に被弾!火災発生!」
「消火急げ!」
 敵艦とドーヴィルは反航戦、つまり逆方向に進んでいる。交戦時間は短いが、必中の距離であるため被害は少なくない。だがそれは敵も同じことだ。
「敵艦の弾薬庫に命中!艦首をもぎ取りました!」
「白旗と脱出艇を確認、射撃停止します」
 ふらふらと落ちていく敵艦を横目に、俺はほっとため息をついた。我ながら無茶な作戦を決行したものだ。
「十分敵を叩いたはずだ、東へ離脱する。雲を抜けたら旗艦を中心に再集合しろ。」

 分艦隊が戦闘から離脱したあと、俺はすぐに損害情報の把握に努めた。
「我がドーヴィルは後部艦橋に被弾し火災が発生、鎮火しましたが後部艦橋と後部測距儀が使用不可能です。詳細は未確認ですが電装系にも被害があるようです。舷側装甲に中口径砲を複数発被弾し、左舷砲塔が旋回不能です。これは応急修理によって対応できるものと思われます。また、衝角攻撃による損害もありません。死傷者が22名発生しています。」
「主力戦隊隷下の艦の被害は次の通りです。重巡アルボラン小破。防空巡アル・ティバサ自力航行不能。生存者はドーヴィルとアルボランが回収しました。ヤサールは貨物室に被弾、人的被害なし。」
『前衛戦隊の被害を報告する。ウィンダム損害軽微。アンティゴネ小破。コニス被害なし。サナア中破。小型艦ばかりのため負傷者の救護が追いつかない、ヤサールから医療支援を受ける。』
「了解した。……アル・ティバサは置いていくしか無いな、自沈処理しよう。」
 アル・ティバサは出港四日目の対空戦で奮戦した艦の一つだ。これを失ったのは戦力的に痛く、また感情的にもやりきれない物がある。

「総員、アル・ティバサと死んでいった者に敬礼!」
 浮遊機関を撃ち抜かれ沈んでいくアル・ティバサに対し、艦長の号令に合わせて敬礼を贈る。巡空艦隊との交戦の結果、我々は重巡2、軽巡1、駆逐3を撃破した。彼我の戦力差を考えれば上等な戦果と言えるが、それでも失ったものは大きい。しかし、感傷に浸ることは許されなかった。
『司令官、こちらはヤサールのイスマイロフ中佐です。先程の戦闘での被弾で食料品の多くが焼失しました。本来20日分の食料備蓄があったのが、現在は7日分しかありません。』
「何!?食料が……そうか、了解した。タジ中佐、各艦の備蓄食料はどうなってる?」
「ええっと、ドーヴィルの食料備蓄は2日分です。補給のタイミングが同じですから、他の艦も同じようなものでしょう。」
 つまり、この分艦隊が行動できるのはあと9日ほどということになる。エルデア軍港からここまで来るのに8日かかっているから、ほとんど帰りの分の食料しかないという事だ。
「合流できなければ食料調達のアテもない、これはマズいことになったな……」
 そんなことを考えていると、偵察機から慌ただしく通信が入った。
『分艦隊の進路上に不明な艦を発見!駆逐艦サイズで単艦だ!』
 先程交戦した巡空艦隊から通報を受けて出てきた、帝国地方領主の艦だろうか?発見されるのは避けたい所だ。
『……不明艦は連邦艦だ。繰り返す、不明艦は連邦の駆逐艦。』
 ……連邦艦?こんなところに、しかも単艦でいるとはどういうことだろうか?
「駆逐艦に通信を繋げるか?」
「ちょっと待って下さい……繋がりました。」
無線機の向こうの声は焦燥していた。
『ああ、助かった……。こちらは第一艦隊所属の駆逐艦"リ=ライカー"だ。』
「第一艦隊?他の艦はどうした?」
俺の問いかけに対し、リ=ライカーの艦長は悔しそうに答えた。
『バレグ西方で帝国艦隊の襲撃を受けた時にはぐれた。舵に敵弾が当たって制御不能になり、戦場から離れてしまったんだ。私が知っているのはせいぜいクンバカルナが沈んだってことくらいで、後のことはあんたがたの方が詳しいだろう。』
「クンバカルナが?沈んだ?どういうことだ、どうなっている?俺たちリューリア作戦特設独立分艦隊は、エルデア軍港を出てから他艦隊からの情報を得てないんだ。説明してくれ!」
長い沈黙のあと、深い溜息がはっきりと聞こえた。
『そうか、あんたがたが独立分艦隊か……第一艦隊と第七艦隊はバレグ西方で帝国とネネツの艦隊に挟み撃ちにあったんだ。結果として第一艦隊旗艦クンバカルナは爆沈、他の艦もほとんどは……俺たちはそれから、修理しつつ山沿いに南下してここまで来たんだ。』
 総旗艦クンバカルナが爆沈。この衝撃的なニュースは艦橋にいた全員を凍りつかせた。俺もラオデギアでちらりと見ただけだが、あのような大戦艦が沈むとは、にわかには信じがたい。信じたくないと言うべきだろうか。
「……把握した。貴艦はウィンダム級巡空艦ウィンダムの指揮下に入れ。あの青いメルパゼルの艦だ。……フリッチャー艦長、俺たちはこれからどうすべきだと思う?」
 艦長は重苦しく口を開いた。
「総旗艦が喪われた情報は第五艦隊も入手しているものと考えられます。我々はここ数日第五艦隊との合流を主眼に行動してきましたが、恐らくは第五艦隊も撤退しているでしょう。」
「という事は、この分艦隊は東部戦線で最も南にいるだろうって事か?」
フリッチャー艦長は前を見据えたまま、顎を触りながら同意した。
「我々は突出し、孤立している可能性が極めて高いです。このままでは帝国艦隊に見つかり袋叩きにされかねません。……一介の艦長にこんなことを進言する権限があるとは思いませんが、私は撤退をお勧めします。」
「……分かった。航法科に撤退経路を考えさせよう。私から全艦に通達するから、マイクを取ってくれ。」

『諸君、先程の戦闘での奮戦ご苦労だった。アル・ティバサと諸君らの払った犠牲、そして大いなる戦果を忘れることはない。……さて、今しがた接触した第一艦隊の駆逐艦リ=ライカーから、衝撃的な報告があった。第一・第七艦隊の多数の艦とともに、総旗艦クンバカルナが喪われたとのことだ。恐らく第五艦隊も撤退し、我々は最も南にいる部隊になってしまったようだ。交戦によって食料備蓄が失われたことも鑑みるに、私は本国への撤退を決断した。
 ……言いたいことは分かる。諸君らの中には第一・第七艦隊に友人を持つ者も多いだろう。帝都へと突撃し敵討ちをしたいと考えるものもいるだろう。私だって悔しく思っている。なぜ今撤退しなきゃならないのか?……だが、連邦軍の戦力が大きく損なわれた今、大事なのは艦を連邦へと持ち帰ることだ。帝国軍から連邦を、故郷を守るためには、一隻でも多くの艦が必要なんだ。どうか理解してほしい。』
 夕日が浮かんでいたはずの空はいつの間にか鈍色に曇り、ノスギア山脈に降り注いだ雨が俺たちの帰り道を示していた。史上最大の遠征作戦は、この瞬間から困難極まる逃避行になったのだ。


リューリア作戦特設独立分艦隊編成表
・分艦隊司令官:バルサム・ザーレ少将
[主力戦隊]
ビルワラ級戦艦 "ドーヴィル" (分艦隊旗艦)
オケアノス級航空重巡空艦 "アルボラン"
(ソルテガ級防空軽巡空艦 "アル・ティバサ")…エスターリューリエンブルグ付近での戦闘で喪失
ヤサール級艦隊支援補給艦 "ヤサール"
[前衛戦隊]
・前衛戦隊司令官:クロエ・ジン大佐
ウィンダム級巡空艦 "ウィンダム"(前衛戦隊旗艦)
グリア級艦隊護衛艦 "アンティゴネ"
コンスタンティン級駆逐艦 "コニス"
フロテリラ級軽駆逐艦 "サナア"
セテカー級駆逐艦 "リ=ライカー" …第一艦隊所属艦、エスターリューリエンブルグ付近で合流

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