褐色の積荷(2)

前(1)

 人は噂話をする生き物だ。そんな格言があるかどうかは分からないが、禁止されていればなおさらしたくなるものだ。そんな訳で僕たちアジュメール号の船員たちも、自室を抜け出し機関室に集まっていたのだった。ベルティル大佐とその部下には知る由もないが、アジュメールの船員室は床下から機関室に出入りできるのだ。なぜそんな構造になっているのかはよく分からないが、騒音がする機関室は隠れて噂話をするのにピッタリの場所だった。
「爺さん、新入り、あの女士官は信用できると思うか?俺はどうもきな臭いと思ってるんだが……」
「出港時の騒ぎを見て、鈍いお前でも流石に引っかかったみたいじゃな。自分の上官でもない士官が糊の効いた服で出てきていきなり極秘任務なんて、どう考えても信用できる訳無かろうが。」
「でも、彼女の任務は何なんでしょうか?」
 僕たちは暗い機関室で、支給品のココアを飲みながら話した。この機関室にはホフマン少尉の私物の機械が所狭しと置かれていて、その中には浮遊器官用循環液を燃料に湯を沸かせるコンロもあるのだ。本人は空軍技師になるには学が足りなかったと言っていたが、ホフマン少尉の能力と怠け癖からして転科試験が面倒だっただけだろう。
「任務なぁ……それは”特殊機材”にかかっている布を剥がさんことには分からんじゃろ。機材と言うからには何かの機械なんじゃろうが……」
「どうします?帝国軍の人間だってのも真っ赤な嘘で、本当は反乱軍のスパイだ、とかだったら……」
「軍港での揉め事を見るにそれも無くはない、と言った所じゃの。」
 反乱に加担したとなれば死刑はまず免れ得ない。密輸で捕まった方がいくらか優しい判決が下るというものだ。僕は身震いし話し始めた。
「軍港といえば、管制の相手が途中から変わったのも変でしたね。僕らを止めようとしたのは軍港の人間じゃなくて、もっと上って事なんでしょうか?」
「多分そうじゃの。我らが帝国は帝作戦の後も権力争いが絶えんから、この極秘任務も貴族の勢力争いの一貫という事もあり得るのう。」
「俺は皇女様が政治をしてくださるようになって、そういうのは無くなると思ってたんですけど、世の中そう上手くも行かないんすね……」
「フン……まぁ大佐殿がどこの誰で、何の任務があるにしても、ワシらの密輸稼業を知って脅してるのは確かじゃな。従うしかないんじゃ。」
 分かりきった結論が出たことで冷静になったのか集会はおひらきとなり、シウール准尉は操舵の交代に向かい、僕とホフマン少尉は自室に戻った。

 翌日、ベルティル大佐が全員を呼び集めた。現状の説明をするとともに、ギッザスまでの航路を決めようと言うのだ。アジュメールは定員以下の人数で運航しているため、全員が全員の仕事(機関士は除く)を一応はこなせるようにしている。そのため航路設定に関しても全員の意見を聞くべきだと判断したのだろう。ベルティル大佐はアジュメールの船員が揃ったことを確認すると、空図を広げて話し始めた。
「知っての通りだが、軍港での騒ぎのこともあって、アジュメール号はお尋ね者になっている可能性が高い。これは極秘任務だから申し開きをして情報を漏らす訳にはいかないし、そもそもその時間もない。幸い早く出発できたおかげで、多少迂回した航路をとっても時間的に問題は無いだろう。現在我々は東都管区の中央付近にいるが、ここからどのような経路をとってギッザス軍港へ向かうかを決定したい。」
「やっぱり山沿いに迂回するのがいいんじゃないすか?隠れ場所が多いですから」
 シウール准尉が発言すると、艦長が口を挟んだ。
「いや、時間がかかればかかればかかるほどボロが出て、追手もこっちの居所をつかみやすくなるはずだ。それに外ネネツ管区やヨダ管区は狭いぶん警備が厚い。俺はこのまま北上して、東都管区からリューリア大管区に入るべきだと思ってる」
 ベルティル大佐が異論を唱えた。
「あの辺りは一面砂漠で隠れ場所が無いぞ。見つかったらどうする?」
「こいつも高速とはいえ輸送艦だ、どうせ見つかったら逃げられっこない。それより警備の薄い管区を通って、堂々と素早く進んだ方が安全だろう。」
「見つかった後のことより見つからない方法を考えろという事か……よし、それで行こう。」
 納得した様子のベルティル大佐へ、艦長が付け加えた。
「とはいえ誤魔化す用意はしておいた方がいい。艦の外装を塗り替えたいんだが、そのくらいの時間はあるよな?」
 ……艦の塗り替えにはそう時間を要さなかった。全体の塗装ではなく、パーソナルマークを消して別の艦の番号を書き加えた程度だったからだ。艦番号は先月事故を起こして廃艦になった同型艦、マニッヂのものを拝借した。これで詳しく調べられるまでは、高速輸送艦マニッヂとして航行出来るだろう。
「帝国正規艦隊ならともかく、地方の貴族艦隊の臨検くらいならこれで誤魔化せるだろ。あとは空賊や正規艦隊に出くわさないことを祈るだけだな……」

 結局その日の日没まで、追手や哨戒部隊に出くわすことは無かった。我々は東都管区を抜け、リューリア大管区に差し掛かろうとしていた。艦橋横のデッキからは、オシデント海に夕日が沈んでいく美しい光景が見えた。僕はデッキの柵に寄りかかって夕日を眺めていると、横にシウール准尉がやってきた。
「夕日を見てるのか、新入り?ゆっくり夕日を眺めていると、今日一日何事もなく航行できたことに感謝したくなるな。」
「確かに安心しますね……明日も何事もなく順調に行けばいいのですが。」
 そんな話をしていると、突然艦橋の中から艦長の声が飛んだ。
「夕日なんか見てる場合じゃないぞ!感応機に反応あり、航路上に帝国軍艦だ!」
 艦長の声を聞いて、ベルティル大佐が艦橋へ入ってきた。
「帝国艦か!ブロイアー少佐、回避出来ないか!?」
 焦る僕たちとベルティル大佐に、艦長は冷静に言った。
「いや、こっちの低性能な感応機でも引っかかったってことは、向こうの感応機にはとっくに捕まってる。ここで回避してもかえって怪しまれるだけだ。"高速輸送艦マニッヂ号"としてやり過ごすしかない。」
 アジュメールはそのまま直進し、帝国駆逐艦との距離を詰めていく。艦橋内には緊張感からくる不気味な静寂が漂った。そして、彼我の距離が1ゲイアスを切ったところで、駆逐艦から通信が入った。
『止まれ!運が悪かったな、帝国艦!こちらはリューリア自由艦隊のイゴール・マイアック艦長、皇帝が皇女に置き換わってなお、拡大政策をとり続け侵略行為を続けるクランダルト帝国に対する抵抗者の一人だ!自由の、そしてパルエ全ての敵として死にたくなければ、ただちに停船し降伏せよ!』
 青天の霹靂だった。リューリア自由艦隊は悪名高い反乱軍の一部隊であり、リューリア大管区内で小規模ながらもゲリラ作戦を続け、帝国軍艦や地上基地から恐れられていた。だがこんな南まで進出するとは聞いていない。反乱軍のガルエ級駆逐艦は偽装用の帝国軍旗を下ろして反乱軍の旗を掲げると、砲の照準をこちらに合わせた。
「クソッ、テンダール上等兵とシウール准尉は砲座につけ!奴を攻撃する!」
 絶体絶命といった表情で命令を出したベルティル大佐に対し、艦長は笑って言った。
「いや、その必要はない。連中とは取引出来る。通信を繋げ!」
 艦長の態度に疑問を抱きつつ、僕は帝国艦隊の標準周波数で通信を繋げた。スピーカーからは先程の高圧的な声が聞こえた。
『降伏を受け入れる用意は出来たか?帝国艦』
「よう、元気そうだなイゴール艦長。こちらはアジュメールのブロイアー艦長だ。覚えてないか?」
 艦長の状況に不相応なフレンドリーな通信に、反乱軍艦の艦長は驚くべき返答を返した。
『ブロイアー艦長か、覚えているとも!いやぁ、大見得を切って恥をかいたよ!』
 どうやら艦長と相手は知り合いらしい。驚く僕を余所目に、艦長は話し続けた。
「そりゃよかった。実は今困ったことになっててな、ヘマをして帝国軍に追われてるんだ。しばらく護衛に付いてくれると助かるんだが……」
『勿論だとも、ブロイアー艦長!ただこっちも忙しい、リューリア大管区の中だけだ。それと機関の調子が悪くてね、ホフマンの爺さんに見てもらいたいんだが頼めるか?』
「俺から言っておく。合図したら艦載艇をこっちに付けてくれ。一旦切るぞ!」
 通信が切れたのを見て、ベルティル大佐がすぐに艦長を問い詰めた。
「まさか密輸だけでなく反乱軍にも所属してるのか?私を引き渡すんじゃないだろうな……」
「……それも悪くないな。だが生憎俺はあいつらの仲間じゃねぇ。ただ何度か砲弾を横流ししただけだ。砲弾みたいな消耗品はいつでも需要があるらしいからな。」
「金のために祖国を売ったのか!」
 驚愕するベルティル大佐を嗜めるように艦長は続けた。
「金のためってのはちょっと違うな。密貿易の利益からすれば、砲弾の売値なんてはした金だ。それより連中とコネを作るのが大事だ、余計なトラブルに巻き込まれずに済む。」
 この船が反乱軍にまでモノを売っているとは初耳だった。僕の入隊は三ヶ月前なので、最後に取引したのがそれより前という事なのだろうが、バレれば連座で死刑は免れない。
「いずれにしろ、既に帝国軍を敵に回してるアンタが心配する事じゃないさ。それより第一軍との管区境界までは安心して進めることを喜んだ方がいいぞ。」
 ベルティル大佐は呆れた様子で艦橋を出ていった。彼女にとっても予想外の事態が続いたせいで、厳格な士官としてのメッキが剥がれていくのが手に取るように分かる。階級こそ高いが、見た目通り経験が浅いのだろう。もっとも、こんな船に乗せられれば誰だって冷静ではいられないだろうが……。僕はベルティル大佐に少し同情した。

 翌日の朝、船は第一軍とリューリア大管区の境界まで差し掛かっていた。僕が艦橋に入ると、艦長が片手で操舵輪を握りながら雑穀パンをかじっていた。
「艦長、おはようございます」
「おお、シュリヤか……お前、今のうちに朝飯食っとけよ。第一軍管区は帝国正規艦隊のフネが多い、トラブルに巻き込まれるかもしれん。」
 そう言うと艦長はコーヒーを飲み、再び前を向いた。前方のガルエ級が発光信号を出したのはその時だった。
「……帝国艦隊だ」
 窓の外を見ると数隻の小型艦がこちらに近づいていた。どうやらこの管区の哨戒部隊のようだ。この距離では逃げることも難しいだろう。
「事前の打ち合わせ通り誤魔化すしか無いな。イゴール艦長と通信を開くぞ。」
 前方のガルエ級と通信がつながり、向こうの音声が聞こえてきた。どうやら既に哨戒部隊と通信しているようで、スピーカー越しに会話が流れてきた。
『こちらは駆逐艦ダーマン、現在第31高速輸送隊の護衛任務中。通信内容をどうぞ。』
『こちらは第63哨戒隊。帝都郊外のデロア軍港にて、第47高速輸送隊に所属する輸送艦アジュメールが不明な反帝国集団に乗っ取られたようだ。念の為その輸送艦の艦名と艦番号を控えさせてくれ。』
『高速輸送艦マニッヂ、艦番号801だ。』
『……照合完了、了解した。不審な輸送艦には十分注意して、発見次第連絡してくれ。』
 通信が切られ、哨戒隊は管区境をゆっくりと進んでいった。どうやら上手く誤魔化せたようだ。ほっとして振り返ると、いつの間にか艦橋に入ってきたベルティル大佐が目に入った。艦長もそれに気がついたようで、操舵輪を握ったまま問いかけた。
「……まさかここまで追われるとはな、こうもリスクの高い仕事とは思わなかったぜ。報酬を弾んでもらわなきゃ割に合わんぞ。」
 艦長の愚痴に対し、ベルティル大佐は表情を変えずに言った。
「そうだな……何か希望があるなら聞くぞ」
「軍隊をやめて、自分のフネを持ちたいもんだ。俺だって可能ならマトモに交易業をやりたいからな。まさか叶えてくれるのか?」
「ああ、私から口利きしておこう」
 大佐はあっさりと認め、艦長と僕が啞然として何も言えないでいると、さっさと自室に戻ってしまった。
「ベルティル大佐も随分と太っ腹ですね」
 素朴な感想を言った僕に、艦長は深刻な顔で言った。
「あるいは、そのくらいの対価があって当然の仕事ってことかもな……」
 この頃の僕には分からなかった事だが、艦長の言葉は後に確かめられた。この仕事は、僕らが想像したよりもはるかに大きな仕事だったのだ。

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