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デザインの視点を鍛える写真の見方【ILY,Bootcamp #01レポート】

Hello, people.

先日、「ILY, Boot Camp」 の第1回オンライン勉強会を開催しました!
テーマは「写真」。芸術写真の歴史をたどる中で、写真表現が突き詰めてきた「見る」という行為を深掘りし、その考え方をいかにデザインに活かせるかを探るのが目的です。総勢7人が参加し、プレゼンターはフォトグラファーでもあるデザイナーのしゃちさんが務めました。
リモートながらも白熱した初回勉強会の内容を振り返ってみたいと思います。

テクノロジーの進歩とともに表現を追求してきた写真の歴史

写真=”Photography”は、直訳すると「光の絵」。西洋では純粋に光学的な概念として捉えられ、命名された言葉です。

このことからもわかるとおり、写真は当初、光をとらえることで像が結ばれる「現象」でしかありませんでした。

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得られた光の像を銅板など別の媒体に焼き付ける撮影技術が発明されたのは、19世紀のこと。また同時に像を紙に焼き付ける技術も登場します。これら技術の発展は次なる表現の可能性やテクノロジーの開花を後押しし、人々が写真に触れることができるようになってくると、それを用いて芸術表現を志向する動きが起こってきます。

中でも、写真にしかできない表現を追求したアメリカ発の「ストレートフォトグラフィー」は、歴史上重要なムーブメントになりました。また、この時期にはコダックやライカが気軽に持ち運べるコンパクトカメラを相次いで発表したことで、写真活動の場が一気に広がり、写真家たちはカメラを手に街に繰り出すようになりました。
アンリ・カルティエ・ブレッソンの写真のように、日常の中の「The Decisive Moment(決定的瞬間)」を捉える、スナップショットの手法が一般的になります。

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20世紀半ばには、報道写真では使われていたカラー写真が芸術写真でも表現手法のひとつとして使われるようになり、写真表現の多様化がさらに促進されました。また、ヨーロッパではドイツを中心に、写真とコンセプチュアルアートの領域が急速に接近していきます。強度の高いコンセプトのもとに写真作品が制作されるようになり、これまでは印刷媒体が主流だった写真が、空間のなかにインスタレーション*として展開されるようになっていきます。

*インスタレーション(installation):展示空間に作品を関連付けて設置し、その展示空間を含めて作品とみなす手法。

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出典:https://www.artsy.net/show/david-zwirner-wolfgang-tillmans-pcr

そして、2000年前後にはデジタル技術を駆使した作品も登場。代表的な作家であるアンドレアス・グルスキーは、被写体をあらゆる角度から撮影し、それらをデジタル上で合成することで、人間の目では見られないような風景を写真上に創り出しています。

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グルスキーは、2011年のオークションで、作品が写真史上最高金額となる約3億3,300万円を達成したことでも有名です。複製可能な作品のひとつにこれほどの高額が付けられたことで美術界を驚かせたと同時に、写真が芸術作品として確かな地位を得たことの象徴的な出来事でした。

テクノロジーの進歩とともに、写真ならではの表現を追求してきた、わずか200年余りの芸術写真の歴史。21世紀になり、カメラにおけるイノベーションが一度天井を迎えてしまったと感じられる現代において、何が写真表現を次の段階へと推し進めるターニングポイントになるのか、可能性が模索されています 。

写真作品から3つの「見る」を体感してみよう

こうした写真の歴史とともに作品を眺めていく中で気付くのは、写真が「見る」という行為を極限まで突き詰めた表現であるということです。

そもそも「見る」とはどのような行為を指すのでしょうか。「見る」という言葉が日常的に使われているシーンを思い浮かべると、単に「視認する」ことを表すためだけに使われるわけではありませんよね。例えば、「見る」の類義語や連想語、派生語をあげてみましょう。

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「見る」ということばにはさまざまな意味や行為を含めた言葉であると考えられますね。

ここで、実際に「見る」ことのワークをしてみました。題材は、日本の写真家・石内都による作品シリーズ「ひろしま」の抜粋です。

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この写真作品を、次のルールにのっとって「見て」みるとどうなるでしょうか。

1.なにが写っているだろう?

参加者のコメント:
ー「ひろしま」というタイトルから、広島の被爆者の遺品だと思う。

2.なにを見たと思う?

参加者のコメント:
ーこの服を着ていた人たちの生活をイメージしたのではないかな。
ーひょっとすると、服の持ち主の遺族が悲しんでいる姿も、作者には見えたのかもしれない。

3.なにを写そうとしただろう?

参加者のコメント:
ーこれを着ていた人が確かに存在したということを、写真で残したかったのではないか? 複数の服をまとめて撮るのではなく、一着ずつ撮っているので、特にそう感じられた。
ー 一瞬で起こった悲劇であることを伝えたかったのではないかなと思った。

この1~3は、それぞれ次の「見る」段階を理解するための問いになっています。

1. なにが写っているだろう? →subject / 被写体(モチーフ)
2. なにを見ただろう? →object / (意識的に見た)対象
3. なにを写そうとしただろう? →concept / 思考された概念

これらに対してディスカッションの中で出てきた答えに正解/不正解はなく、ある意味、すべてが正解であるともいえます。ちなみに、作者自身は次のように語っているそうです。

1.なにが写っているだろう?

ー広島平和記念資料館に持ち込まれた、被爆者の遺品。


2.なにを見たと思う?

ーどちらのワンピースも、水玉の模様やシースルーのようなデザインなど、現代の感覚でもとても魅力的。戦前の時代に、このおしゃれな服を着てお出かけしていた女の子が、手に取るようにイメージできた。


3.なにを写そうとしただろう?

ー記憶を自分の中に孕ませる感覚で、遺品となった服に宿っている愛おしい女の子たちの姿・魂をもう一度、この世に産み出すように写真に焼き付けたかった。

以上のワークからも考えられるとおり、写真作品をつくるということは、さまざまな「見る」という行為を段階的にたどるプロセスだといえるのではないでしょうか。

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あるいは、「見る」という行為そのものが、段階的なプロセスであるとも考えられるでしょう。対象を視認する以前に、それと出会うところから「見る」は始まります。そして、視覚的に認識した対象について思考し、それに対して独自の意見や想いを持って、言語やビジュアルでアウトプットするまでが、すべて「見る」という一連の行為だと捉えられるのです。

「見る」プロセスを意識化してデザインに活かそう

このように「見る」をプロセスとしてとらえる考え方を、デザインの実践にも活かすことができます。先ほどの3つ「見る」段階と関連付けて考えてみましょう。

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この「見る」を応用し、デザインでは以下のようなプロセスをとることができます。

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この段階的な思考を意識することで、コンセプトから具体的なアウトプットまで、一連の流れの中で軸がぶれることなく、芯の強い一貫性をもったデザインを行うことが可能です。

「見る」というプロセスを初めから終わりまで丁寧にたどり、【subject / object / concept】を自身の中で理解し、翻訳し、表現へと昇華することが、写真に限らず、デザインを含めたあらゆる表現においては不可欠だと、プレゼンターのしゃちさんは強調しました。

「見る」という行為への意識と“デザイナーの目”を、写真を通じて身に付けてきたというしゃちさん。私たちも「見る」訓練を繰り返して、“デザイナーの目”を鍛えていきたいと思います!

Thank you, we love you.

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