無職になった。猫になりたい。
二か月ぶりの更新。
文学フリマに行ったり、ライブに行ったり、色々ありまして。
そんな二か月の間に、無職になった。学校を辞めた。
後悔していないと言えば、どうだろう。たまに思うことはある。
あるオーディションを受けた。「職業は?」と訊かれる。「無職です」とは、流石に言えなかった。かと言って、バイトもしていないのに「フリーターです」と答えることには抵抗があった。結果、「短大生」と答えるしかなかった。結局、人間は肩書を欲しがる生き物なのかもしれない。私だけかもしれない。
地元で祭りがあったので、帰省した。久々に会う友達は元気そうで、皆口々に「明日授業なんだ」「仕事なんだ」と言う。「大変だね」と、そんな言葉を掛けることしかできなくて、そんな自分が酷く情けなかった。
こんな文章を書いている時点で、未練はあるのだろうと思うけど、書いておかないと本当に倒れてしまいそう。どこかに吐き出さないと。
書きながら、秋山黄色さんの音楽を聴いている。
十月一日にライブに行った。今年、既に三度目。短大生になったばかりの五月、本当にしんどい時期だった。『とうこうのはて』を聴いて、頑張って登校することを決意した。夏休みに入った八月、もうどんな心持ちで聴いたのか、忘れかけている。学校を辞めたい時だったか。決めかけていた時だったか。そして、学校に退学届けを出したあとの十月、色々な感情が渦巻いていた。五月と八月のライブで聴いた曲を歌ってくれた。すっかり変わってしまった状況に飲み込まれまいと、しかし受け入れるしかなかった。
十月一日、『エニーワン・ノスタルジー』という大好きな曲を弾き語りで披露してくれた。「他の誰かになってしまいたいのに どんな人にもなりたくない」「いつまでも君は君でいい」と歌っていた。優しかった。全部肯定してくれた。変わらなくていいのかもしれない。無理に変わる必要など、ないのかもしれない。
学生でなくなることが怖くてたまらなかった。『学生』の肩書きが無くなれば、私には何が残るというのだろう。人はいつか大人になるのに、『学生』で無くなった私は、周りからどう見られるのか。それが怖かった。友達のSNSの投稿を見ては項垂れる日々が増えた。高校三年の時、友達と「来年どうなってんだろうね」と話しながら思い描いた自身の姿は、今よりもっと輝いていたはずだ。もし一年前に戻ることができるなら、開口一番、謝るべきだと思う。そんなことはできない。分かっているけど。
現状としては、ゆっくりと小説は書き続けているし、双子で曲を作る日々だ。楽しい。好きなことを続ける毎日は幸せではあるが、決して幸せではない。早くデビューしたいし、世間的に大人と認識される年齢になりたい。それが甘えだということなど、重々承知している。しかし、もうそんなことしか考えられなくて、未来どころか明日を生きられるだろうかと、そんな疑問が頭の中を駆け抜ける。それでも生きなければならない。疲れる。
バイトを探して探して探して探して、ようやく応募した。
「ライターになるには」と調べた。悔しかった。(例外もあるだろうが)『新卒』や『中途』の文字が目に入る度、何度も嘆息を漏らした。そうか、そうか。
学歴とはなんだと考える。好きな小説の中に『学歴にこだわるのは学歴の無い人間か、学歴しかない人間だよ』という台詞がある。突き刺さって、一生涯抜けないのだろうと思う。しかし、間違いなく救われている。
現在、夜中の二時。もう眠りにつかなければならないが、『つかなければならない』など誰が決めたのだろう。何故、そう自分が判断するのか。
あ、そういえば黄色さんは、無職と自称していたので同じで嬉しい。
呆れられるかもしれないが、そんな風に考えないとさ。もう駄目になる。
ああ、さっさと猫になって、言葉を必要としない世界に行ってしまいたいよ。
わたしは。
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