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#40「迎えの舟」~認知症と終末期医療を考える~

認知症の母に迫ってくる『終末期』を、どう乗り越えるか?乗り越えさせていけば良いのか・・・。私は戸惑っていた。初めての親の「看取り」だったからか?いや、そうではない。

【 認知症は死に至る病 】だと、誰もハッキリ言わないからだ。

知らないのか?君達は。(いや、そんなわけはないだろう?)
それとも、何らかの”大人の事情”でスルーしているのか・・・。

うつ病になって20年、そのまま認知症に突入した母には、『リビング・ウィル』もなにもない。いざという時、延命治療をするのか?心肺蘇生をするのか?胃ろうを造設するのか?経鼻カテーテルは? 気管チューブは?

母は、”生きたい”と思っているのか?
それとも、”逝きたい”と思っているのか・・・。

認知症の母にその意思表明ができるはずもなく。その重要な判断は、介護キーパーソンである私が預かることになる。

私は、『逝かせてやりたい・・・。』と思っていた。

もう充分だ。もうその苦しみから解放してやりたい。「認知症」は、長い間、”鬱の底”にいた母を、ようやく迎えに来てくれた「救いの舟」なんだ。その舟に、乗りそびれることなく、穏やかに送ってやりたい。

しかし、私のそういった考えは、地方の保守的な医療関係者や介護関係者の中では、どうやら”異質”なもののようだった。「胃ろうとか、延命治療はちょっと・・・。」と言うと、途端に彼らの関心が、サァーっと引いていくのがわかる。

彼らの推す『終末期医療』とは、すなわち、『延命治療』一択だ。

最後は寝たきりでおとなしくなる認知症患者に、ダラダラと延命治療を施せることは、それ界隈の業界を潤す。そして何より家族への顔も立つ。”win-win”だというのが、大前提としてある。

『延命治療』は、すなわち、『正義』。
多くの人が、その「正義」に、当然の様に則る。

そして、認知症患者で延命治療を拒否したら、いまどき病院や施設では”居場所”がない。

おかしくねっ?!


ま、後は「在宅医療介護」でね。
という事なんだろうけど、父も満身創痍で自分の身を保つのに精一杯の状態で、認知症の母をこれ以上、同じ屋根の下で24時間在宅介護なんて現実的ではない。それこそ、私も仕事を辞めて、実家に同居し、在宅介護に全集中しなければならない。それでは私の人生も終わる。

これでは『介護難民』ではなく、『終末医療難民』だ。

認知症を発症して、ただでさえ、その周辺症状に対応するのに、いっぱいいっぱいなのに、その上、”最後の居場所”までないって・・・。

「絶望」―――。

認知症の夫や妻や親に手を掛けてしまうという、痛ましい事件が頭をよぎる。彼らは疲労困憊の果てに、それを選択したんだろう・・・。

”いや、違うな・・・。”

認知症を患った連れ合いや親が、安心して、穏やかに死を迎えられる場所がなかったからだ。その冷たくも厳しい現実を突きつけられ、どうしていいかわからなかったからだ。今の私のように。


「おかしいと思いませんか・・・。そんなの・・・。」

もう通算20件・・・、
地域包括支援センターからもらったリストで、何とか母を受入れてくれる介護施設を探していた私は疲れ切っていた。コロナのクラスター感染を恐れて新規の入所は見合わせている施設も多かった。

21件目に掛けた施設の担当者には、大半がやり場のない愚痴になっていた。

”どうせまた満床だとか、コロナでぇ、とか言われて断られるのがオチ・・・。”
”どうするかな・・・、このまま見つからなかったら・・・。”
”いっそのこと・・・。”

電話をしながら、私はもう上の空だった。
最近は泣きたくても、涙も出ない。

「・・・もしもし?Ilsaさん?あの、うちだったら、出来ます。」

「え・・・?」

「ウチのチームだったら、出来ます。看取りまで。ウチは小さなグループホームですけど、在宅医療介護と連携していますので、出来ます。Ilsaさんがお母さんにしてあげたいと思う”終末ケア”、出来ますよ。大丈夫ですよ。」

「え?あ・・・あの・・・。」

まったくあきらめの境地に堕ちていた私は、一瞬、何を言われているのか、わからなかった。長いこと暗闇の中にいると、突然差し込んだ光で目が眩む・・・。そんな感じだった。

「もしもし?Ilsaさん?Ilsaさん?大丈夫だから。ね?一度、お話に来ませんか?待っていますから・・・。」

「あ、ありがとうございます・・・。これからお伺いしても宜しいですか・・・?」

「もちろん。お待ちしていますよ。」

自宅から40km先の、”その光”を辿って、私は車を走らせていた ――。


このグループホームが、後に母の”終の場所”となった。
コロナのクラスター感染に揉まれて出た、”奇跡の1床”だった。

世話になれたのは、僅か4ヶ月だったけど、母は、”その舟”に乗りそびれることなく、最期は穏やかに逝った。

”良かった。間に合った・・・。”

在宅医療チームの技術と介護チームの絶妙な連携プレーが、母を”迎えの舟”に、うまく乗せてくれた。それこそが、私が、認知症の母に望んだ「終末期医療」だった。

母の「うつ病」を救う事も、認知症の進行を止めることも出来なかったけど、最後の最後は、「間に合った。」
万感の思いだった。

この時のグループホームのスタッフの皆さん、在宅医療チームの皆さんには、本当に感謝しかない。素晴らしいチームだった。

――― 次は、父の番だ。

今、MCIの父も、いずれは認知症に進行するだろう。
父の『終末期医療体制』をどう采配していくか・・・。

私は父の事も、”迎えの舟”に、うまく乗せてやりたいと考えている。だが、父にはもう少し、母の介護で失った7年を、取り戻してもらいたいと願っている。

その次は、15歳年上の夫にも、いつか”その舟”がやってくる。

私は夫にも、その舟に、無事に乗ってもらいたいと思っている。それが、私の人生で最後の大仕事になるだろう。

そして、その次は、私の番だ。
私の時には、一体、誰が、私を”その舟”に乗せてくれるのだろう・・・。

それがどうであっても、”迎えの舟”は、必ず巡ってくる。

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