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学級通信

金曜日にピクニックがあるので、木曜日に学級通信を子どもたちに渡したその日の放課後。タブレット端末のことで業者さんとの打ち合わせやら、ICT関連業務で午後八時まえに学校を出ることになりました。
休憩ほぼ無しで、午前7時前から午後八時ごろまでの仕事は、手放しでほかに人にお勧めできるものではありません。ほかの業種さんもいずれも厳しい労働環境だと思います。でも、教師という仕事もなかなかハードであることは、間違いないかと思います。
では、「それでもなぜ仕事をするのか。」と問われると、
「使命のため」
「目の前の子どものため」
「食い扶持のため」
と答えます。
私は、キリスト教主義の私学の教師で、私自身クリスチャンです。もともとは公立の教員でしたが、辞めて現在の学校に勤めるようになったのは、聖書の理念に基づいた人格教育を行うことができるからです。そういうわけで、聖書の理念に基づいた人格教育を行うことが私の現在の使命だと認識しています。これは、仕事をする基本的な動機となっています。
では、聖書の理念に基づいた人格教育を行う上で、まず重要になるのは何かというと、私は、「愛する」ことだと信じています。聖書の根幹にあるのは、「神は愛である」ということ。そして、「愛である神によって創られたものとして互いに愛し合う」ことだからです。この「愛し合う」という言葉は、言い換えると「大切にする」という感覚でしょうか。つまり、関わり合うすべての人々を「大切に思う」ことからすべてを考え、行動することが「愛する」ことだと認識しています。そういうわけで、「目の前にいる子どもたち」は、当然「愛する」人々になります。だから、子どもたちのためにできることをできる限りすることは、仕事の大きな目的となります。
最後の「食い扶持ため」は、言わずもがな、人として生きる以上、生活の糧は当然必要だからです。
このように、今勤めている学校で仕事をする目的が私にはあります。それでも、肉体の限界はあります。年齢も年齢なので、体が疲れると、心も弱ります。体も神さまが与えられたものだから、こうなるのは仕方がないことです。でも、そんなとき、神さまは励ましも与えてくださいます。見出しの画像は、ランチブレイクの後、校庭でつんできたシロツメクサを子どもからプレゼントされたものです。
「大切に思う」ことを多忙な状況の中、体と心の状態に気を付けつつ続けていきたいと思います。

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