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「一致していない4本の糸 繊維片について」飯塚事件(5)

新証拠裏付け終わる 車のシート繊維が女児服に付着 4種類で一致

西日本新聞 1994年 9月23日

 女児の衣類に付着していた繊維と、押収した久間氏の車両の繊維片の鑑定結果をもとに捜査機関は逮捕に踏み切った。A子とB子の着衣は福岡県警察本部刑事部鑑識課でリタックシート(微物採取用粘着シート)により微細物の採取が行われたのち、久間氏の座席シートの繊維片との異同識別が行われた。

福山鑑定(科捜研)
 押収された被告人車の座席シートは全て同一の素材と認められたことから、助手席シート、運転席フロアマット、間仕切りフロアマット、後部フロアマット、運転席フロントマットの繊維片とリタックシートの繊維を比較した。その結果、
 ・顕微鏡で比較したが同種の繊維はなかった。
 ・助手席シートから採取した繊維は、直径0.015ミリメートルの表面が平滑な化学繊維(ナイロン6)であった。
 ・助手席シートは、だいだい色、焦げ茶色、薄黄茶色、黄茶色の4色で構成されている。
 ・リタックシートに付着している短い繊維の中の直径0.015ミリメートルの化学繊維(ナイロン6)のうち、被告人の助手席シートに色と表面の形態が類似するものが13本あった。
 ①B子のチェック模様入りスカート前面:2本
 ②後面:1本
 ③B子の赤色手袋背部:1本
 ④B子のフリル付き白色靴下:2本
 ⑤A子のうさぎ柄白色靴下:3本
 ⑥A子の赤色キュロットスカート前面:1本
 ⑦後面:3本)
 ・さらにリタックシートを検査し、類似する繊維を探したところ、
 ①焦げ茶色:19本(上記13本を含む)
 ②だいだい色:12本
 ③黄茶色:46本
 ④薄黄茶色:7本
 合計84本の繊維を発見できたが、上記13本しかナイロン6であることは確認していない。
 ・上記繊維片の84本の繊維から39本を科警研に送付した。

鈴木鑑定(科警研)
 科捜研から送られた繊維片は、科警研でさらに詳しく分析された。その結果、
 ・光学顕微鏡による検査では、助手席シートの繊維は、
 ①いずれも円形またはそれに近い断面を有する合成繊維で、
 ②直径は15ないし20マイクロメートルであった。
 ③黄茶色繊維には減光剤である二酸化チタンの添加が認められた。
 ・リタックシート付着の39本の繊維は、
 ①1本が動物毛で、それ以外は円形またはそれに近い断面を有する合成繊維であった。
 ②直径は15ないし20マイクロメートルで、
 ③黄茶色繊維15本、焦茶色繊維8本から二酸化チタンの添加が認められた。
 ・顕微分光光度計により分光して評価した結果、黄茶色繊維15本、焦茶色繊維8本、橙色繊維6本が助手席シートの対応する色と類似していることがわかった。
 ・赤外吸収スペクトルを測定して調べたところ、助手席シートとリタックシートの繊維39本、
 ①黄茶色15本
 ②焦げ茶色8本
 ③だいだい色9本
(採取した全数は84本)は全てナイロン6であることがわかった。
 ・ジャンパー、スカート、靴下、パンティーなどに付着した繊維は、材質がナイロン6であること、外観の太さ及び二酸化チタンの処理の程度、色調(プロファイル)が被告人助手席シートの繊維と一致または類似していることが判明した。
 ・スカート、靴下に付着した繊維にさらにX線スペクトルを測定して含有元素分析を行なった結果、
 ①黄茶色繊維からはチタンが、
 ②焦げ茶繊維からはチタンおよびコバルト
が検出された。

福山実験
 捜査機関は被告人の車と同型車に8歳の女児を乗せて飯塚警察署から八丁峠まで走行させ、女児の衣類に実際に座席の繊維が付着するか実験を行い、衣類に付着することが分かった。

東レ鑑定
 座席シートの繊維(甲)と、女児の衣服に付着していた6本の繊維(乙)が同じものかどうかを捜査機関から依頼を受け鑑定している。
 ・(甲)からはICP発光分光分析法により二酸化チタンと銅化合物が添加されていることが推定された。原糸は銅化合物添加後のものであることが推定された。銅化合物の含有量は、
 ・黄茶色:0.034
 ・焦げ茶色:0.024
 ・だいだい色:0.023
 ・薄黄茶色部分:0.020
 であった。
 ・レーザーマイクロプロープ発光分光分析法により、(乙)の(甲)と同じ色と思われるものからは同じ量の二酸化チタンが含有していることがわかったが、銅化合物は極微量のため定量化できなかった。
 (乙)の銅化合物含有量は、
 ・黄茶色3本:0.34
 ・焦げ茶色:0.02
 ・だいだい色:0.34
 であった。
 ・光学顕微鏡で読み取った結果、(乙)の長さは
 ①3本が5ミリメートル
 ②1本が6ミリメートル
 ③2本が3ミリメートル
 で直径は全て16マイクロメートルであった。
 ・レーザーラマン分光法で染料を分析したところ(甲)のいずれの色からも
 ①イソランイエローK-RLS200
 だいだい色以外の色からは、
 ②ラナシンブラックBRL200
 がわずかに検出された。いずれの色についても1120カイザー(波形の単位)に染料と無関係なラマンバンド(波形が強く振れる部分)が認められた。
 ・(乙)のだいだい色1本からはどの染料とも一致しなかった。黄茶色3本、焦げ茶色2本の5本からはイソランイエロー、ラナシンブラックが検出された。
 ・(乙)にはラマンスペクトルでラナシンブラックを示す2本のピークのうちの1本である1365カイザー付近に明確なピークがなかった。これに関しては、「同一物だとしても全く矛盾のない結果が得られている」とし、「(ラナシンブラックについては)検出自体はしていると。鑑定書にも僅かに存在するという表現を使っているが、検出されているということ」と東レ鑑定者は述べている。
(矛盾はないという表現について)
・さらに、(甲)と(乙)のイソランイエローの最も強いバンドである1410カイザーのラマンバンドとバックグラウンドの強弱比(R/B)を求めた。
 (甲)
 ①焦げ茶:5.93
 ②黄茶:2.12
 ③薄黄茶色:0.65
 (乙)
 ①B山のチェック模様入りスカートから採取した黄茶色繊維:0.70
 ②B山のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維:0.34
 ③A田のうさぎ柄白色靴下から採取した黄茶色繊維:1.96
 ④A田の赤色キュロットスカート前面から採取した焦げ茶色繊維:8.4
 ⑤A田の赤色キュロットスカート後面から採取した焦げ茶色繊維:6.7
 右の強度比を比較するに際して、プラスマイナス50%ほどの誤差があり、繊維の劣化や汚染などによりバックグラウンドが高くなる可能性があるため、断定は困難である。これらを踏まえて判断すると、同種の繊維であると推定された。
 これらの鑑定結果を踏まえ以下のような結論が下される。
 ①だいだい色1本を除き、二酸化チタンの含有量などから東レ製と断定できる。ただし東レでは(乙)の繊維がナイロン6ステープルであることの確認はしていない。
 ②銅の定量分析は微量すぎて検知限度以下であった。
 ③同一量の二酸化チタンが検出されたことから、黄茶色2本、焦げ茶色2本は同一の繊維であると考えられる。
 ④黄茶色1本は、染料分析では同種の繊維であると推定されたが、染料含有量は染色のばらつきによって変動する。しかし二酸化チタンは変動しないことから黄茶色と同種の繊維である可能性が高いが断定はできない。
 ⑤だいだい色繊維は、全く違う繊維である。

ユニチカ鑑定
 (乙)の繊維を株式会社ユニチカリサーチラボに鑑定を依頼、一本はアクリルであることが判明し、5本はナイロン6であることがわかった。

座席シートについて
 事件当時久間元死刑囚の所持していた車は、マツダ株式会社が製造した「マツダステーションワゴンボンゴ」で、元死刑囚の車は最高グレードの「ウエストコースト」であった。

 座席シートに使用されている織布(S-TYR313X)は、マツダがウェストコーストのマイナーチェンジに際して、ウェストコースト用に開発したものである。

 昭和57年3月26日〜昭和58年9月28日までに製造された座席シートにだけ使用されていた。
 この織布は、住江織物株式会社製のモケット(毛織物の一種で、ウールや化学繊維を織り出し、布の片面にのみ模様を施した織物)で、パイル糸(織物の表面に並んでいるループ状の糸)を東レ株式会社から購入し、茶久染色株式会社に染色させていた。
 このパイル糸の原糸は、東レが自社で製造したナイロンステープル(短繊維のナイロン糸)を紡績加工業者に紡績させたもので、
 ①材質がナイロン6
 ②直径18マイクロメートル
 ③繊維中の二酸化チタンの含有量が0.02〜0.38パーセント
 という特徴を持つものである。

ナイロンステープル

 製造当初は銅化合物未添加であったが、途中から沃化銅が添加されるようになった。
 ナイロン6ステープルの国内製造メーカーは東レ、ユニチカ株式会社の2社のみで、ユニチカ製のものは二酸化チタンの含有率は0である。
 なお、ナイロン6の製造メーカーは国外にもあるが、チタンの含有量は不明で、欧米ではナイロン6ではなくナイロン6,6が製造されている。
 このナイロン6のパイル糸の原糸は、カーシート専用として生産されており、銅化合物未添加のものは一般資材用途(ゴム引き布帛用など)にも使用されていた。

ゴム引き布帛

 本件織布はパイル糸専用でなく、カーシート大手メーカーである川島織物株式会社および住江織物に大量に供給されていた。
 なお、茶久染色がこのパイル糸の染色に使用した染料およびその配合比(単位は‰、繊維1キロあたりのg数)は以下である。
 ・オレンジ
  ①イソランイエローK-RLS200:9.0
  ②イルガランレッドブラウンRL200:1.0
 ・ブラウン
  ①イソランイエローK-RLS200:22.0
  ②ラナシンブラックBRL200:6.0
  ③イルガランレッドブラウンRL200:1.5
 ・ノウベージュ
  ①イソランイエローK-RLS200:1.4
  ②イソランイエローK-GL:0.9
  ③ラナシンブラックBRL200:0.5
 ・タンベージュ
  ①イソランイエローK-RLS200:0.12
  ②イソランイエローK-GL:0.1
  ③ラナシンブラックBRL200:0.05
 ・セピア
  ①イソランイエローK-RLS:4.2
  ②ラナシンブラックBRL200:0.96
  ②イソランイエローK-GL 0.36
 イソランイエローと、イルガランレッドブラウンにはコバルトが含有されていることが判明している。イソランイエローはドイツバイエルン社、イルガランレッドブラウンはスイスチバガイギー社、ラナシンブラックはスイスサンド社が製造メーカーである。
 カーシート用の原糸の太さは電車やバスの座席シートの原糸と比べると明らかに細く、ソファーや衣類に用いられる糸とも異なっている。また、カーシート用の原糸としてナイロン6が用いられていたのは、昭和63年〜平成元年ごろまでで、その後は急にポリエステルに移行した。

その他の繊維に関する情報
 ・二酸化チタンの含有量が0.34重量パーセントと0.02重量パーセントのものは、国内では東レのカーシート用ナイロンステープルである。
 ・欧米で製造されているナイロンはナイロン66が主流であり、その他の国で製造されているナイロン6の二酸化チタンの含有量については不明である。
 ・東レのカーシート用ナイロンステープルは、昭和57年に生産を開始し、沃化銅を添加していない。
 ・ナイロン6の繊維の太さは測定方法によってばらつきがあり、15から20マイクロメートルの幅がある上に、紡績糸の場合には捲縮と言って変形がある。フィラメントのナイロン6は使用中に擦り切れることがないので、カッターナイフなどで意図的に切断しない限り、数ミリメートル程度の長さで存在しない。
・B子が身につけていたチェックスカートは、母親が犯行日の前日に飯塚市内の店舗で購入し、当日の朝に包装を開いて初めて着用したものである。
 ・マツダワンボックスカーの座席シートを製造しているのはデルタ工業株式会社であり、原糸材質が東レのナイロン6でイソランイエローとラナシンブラックが塗料として使用されているのは、ウェストコーストの座席シートに使用されているS-TYR313Xと布番号S-W001XとS-W002Xがある。さらに、染料の不明なものが4種類、原糸材質も染料も不明なものが2種類ある。

結論(判決文より)
 ・二酸化チタンの含有量と太さから、これが国内で製造されたものであれば、東レのナイロン6ステープルであると認められるが、海外の二酸化チタンの量は不明なので断定できない。
 ・カッターなどで切り取られたものでないなら、このような長さの異なるナイロン6の繊維はステープルである。
 ・マツダステーションワゴンのウェストコーストの染料の配合比は、平成2年2月20日以前に製造されたマツダワンボックスカーの座席シートについて、本件織布と同じ色調のもので、同じ組み合わせのものは存在しない。
 ・(甲)と(乙)のラナシンブラックの1365カイザーとイソランイエローの1410カイザーは極めて類似している。
 ・東レ鑑定では、異同識別の結論において、繊維は同一としているが、東レのものだとは断定していない上に、ウェストコースト以外にイソランイエローとラナシンブラックの組み合わせで染色されたナイロン6ステープルが確認できない以上は断定できないとしている。
 ・薄黄茶色繊維は、科警研の鑑定では光学顕微鏡で二酸化チタンの添加が認められるが、助手席シートからは認められていない。直径15〜20マイクロメートルで二酸化チタンが添加され、チタンとコバルトの含有があったことから助手席シートの繊維の特徴と一致または類似している。
 ・マツダの以外の自動車メーカーが製造した自動車の中に、東レのナイロン6でイソランイエローとラナシンブラックがウェストコーストと同じ配合比で使用されている可能性として全くないとは言えない。このため、被害児童の着衣に付着していた繊維片がマツダステーションワゴン・ウェストコーストから脱落した繊維片であるとまで断定することはできない。

座席から検出された血痕及び尿痕について
 マツダウェストコーストはワンボックスタイプのバンであり、乗車定員は9名の車だ。車内には運転席に2人がけの助手席が横一列に設置されており、後方に3人がけの座席シートが2列設置されている。床面には薄い茶色の繊維製のフロアマットが敷かれている。

 事件後久間氏によって売却された直後、すぐに押収された当該車両は科警研で鑑定され、後部座席とその付近のフロアマットに尿反応と血液反応があった。
 運転席、助手席、中央部座席、シートベルトには尿反応・血液反応は認められず、尿反応からは血液型判定はできなかった。血液反応からはO型の血液が認められたが、血痕からDNA型は検出できなかった。シートの生地の裏側およびその下のスポンジに認められた血痕は水で希釈したような跡があった。血痕の血液型はO型、Gc型はC型であった(どちらもA子と同じ)
 この車は、I川さんが昭和58年7月に北九州マツダで新車で購入し、6年間使用し、買い替えのため平成元年7月に売却した。その後同年9月末に久間氏が購入し、3年間使用し、平成4年9月に売却したのを捜査機関が押収した。
 I川さんは大工の仕事をしており、仕事でも車を使用していた。中央部・後部にはシートカバーを取り付け、フロアマットの上に足拭きマットも置いて使用していた。家族には血液型がO型のものはいない。
 久間氏はいつも週に2回程度車内の清掃を行っていた。取り外せる後部座席は取り外してホースで水をかけて洗ったこともあり、取り外せない座席も水拭きしたことがあると供述している。
 さらに、妻の供述では以下のように述べている。
 ・昭和63年ごろ実母が足を怪我して、治ってないまま乗せたことはある。
 ・平成2年ごろに妻が流産をしたことがあり、直前に下着を出血で汚したことはある。
 ・実母を乗せてドライブしたときに排尿の世話をしたことがある。
 ・平成4年ごろ実母が受診した際に浣腸をされて下着を汚し、その後車に乗せたことがある。
 ・平成2年ごろ野犬捕獲器を車内に積み込む際にかすり傷を負って中央部座席に血をつけたことがある。
 ・平成4年ごろ、後部座席を取り外して倉庫にしまおうとした際に、小指を擦って後部座席に血をつけたことがある。
 なお、久間氏の妻・長男・実母及び義理の母の血液型は全てO型である。

妄想と考察
 犯罪においての微細証拠物の重要性については、もう80年も前にフランスのシャーロック・ホームズと呼ばれた法科学者エドモンド・ロカールが「人と人、人と物、物と物が接触すれば、必ずお互いの間で物質の交換が生じるので、相互に付着した微細な物体を証明することにより、犯人と被害者や犯罪現場との関連を証明できる」と提言している。これは「ロカールの交換原則」として科学捜査の基本と考えられている。
 これら微細物の中で繊維に焦点を当てたものが繊維鑑定である。犯罪捜査においては衣類などから離れた繊維は、接触により相手に付着したり、脱落して犯罪現場に遺留される。これらは被疑者と被害者との接触を証明するため、あるいは犯罪現場と被疑者、被害者との関連を立証するために、きわめて重要な証拠となり得る。
 繊維の検査法は、光学顕微鏡下による形態観察、顕微赤外分光分析などによる成分分析、顕微分光分析などによる色調分析結果を総合的に判断して識別しているようだ。特に色調を有する繊維では、染料由来の情報が識別に大きく貢献する。
 繊維鑑定では、形態検査、色調検査、材質検査が一般的であり、これらの検査のために様々な顕微鏡や分光光度計を用いて分析がなされる。
 ただし、現代の技術を持ってしても、すべてがわかる訳ではもちろんないようだ。

 サンプルが単繊維(直径20μm以下、長さ1cm以下)の場合、絶対的なサンプル量が少ないため、鑑定は難しいことが多い(中略)顕微FT-IR分析により合成繊維の種類を明らかにできるが、同種繊維間での差を見いだすことが困難なことが多い。

「科学捜査における微細サンプルのスクリーニング および非破壊分析の重要性」 西脇芳典著 ぶんせき 2023年

 あまりに微細なものだとその違いがわからないようだ。女児に付着していた繊維片も全てが1cm以下であった。
 そのためナイロン6という材質であることは突き止めたが、それ以外の部分にの分析に関しては難渋した印象を受ける。

 まず、ナイロン6とは何なのか。そもそもナイロンは、石油を原料する「ポリアミド」という合成樹脂からつくられる繊維のことを指す。1935年にアメリカのデュポン社によって「ナイロン6,6」が開発された。その後、1941年に東洋レーヨン(現在の東レ)の星野孝平氏らが「ナイロン6」を開発した。現在も日本で作られるナイロンのほとんどはナイロン6である。
 ナイロン6はもう80年も前からあるポピュラーな繊維と言える。ナイロン6には端がない繊維であるフィラメント(長繊維)と長さ数十ミリメートル程度のステープル(短繊維)があり、ナイロン6の製造メーカーは現在国内に6社ある。

 ナイロン6は耐熱性・耐薬品性・染色性・吸水性・吸湿性に優れた合成繊維であり、薬品や油と接する自動車部品や、吸水性を求められる衣服、日用雑貨や電子機器など幅広い用途がある。
 ナイロン6が使われているものを挙げればキリがない。例えば軸受け、ギヤ、カムなどの機械摺動部品、ボルト、電気通信機器用部品、事務機械部品、輸送機械部品、電気・電子部品、雑貨、建材、フィルム、魚網やテグスなどの釣り道具、冷却ファン、ガソリンタンク、ラジエタータンク、楽器の弦や釣り糸など幅広い分野で使われている。

 事件に関係がありそうで日常にあるものとして、アウターウェアやレイングッズ、スポーツウェア、他にもバッグや小物入れ、ストッキング、カーペットやカーテン、靴のアッパー素材からソールなど、日常のあらゆるものに使われており、ナイロン6が国内で使われ始めたのは女性用のストッキングからである。

 つまりはナイロン6は別段特殊な素材でも何でもないということだ。

 用途としては漁業用、衣料用、工業用、宮特需用いずれもここ2~3年で急速に製品化し、特にブルファシヨン靴下、トリコット製品、ウーリイナイロン(特殊加工)は市場において顯著な進出を示している。

「我が國のナイロン工業の回顧」袖山喜久雄 1953年

 ポリアミドは、はじめて工業化された結晶性ポリマーであり特に1950年代以降、射出成形品の分野で伸びてきた。1990-93年は国内で約17万トン/年、1994年は18万トン/年の生産量であり、その中で約40%が自動車用として使用されている。

「ナイロン6ー粘土ハイブリッド」臼杵有光 
豊田中央研究所 R&D レビュー Vol. 30 No. 4 ( 1995. 12 )

 割と日常に溢れている繊維であるとも言える。捜査においてポピュラーで大量にあるものは同定がかなり困難だろう。

 汎用繊維であるポリエステル、ナイロンには円形断面のものが多く見られ、綿と同様にその形態からだけでは判別困難であるが、日常の検査においては形態と色調の両方で目的繊維の検査を行なっている。

「法医学における繊維鑑定」宮本直樹・斎藤恭弘・高津正久著 繊維と工業 2008年

 ナイロン6という材質は分かっても、その絞り込みはかなり難しいようだ。そのため、捜査機関はナイロン6に添加されている二酸化チタンという物質に着目したようだ。

 二酸化チタンはチタンの酸化物で、食品に白い色を付ける「着色料」として、世界中で用いられている。

 日本では1983年に指定添加物として使用が認められ、ホワイトチョコレート、チューインガムなどの白色着色料として用いられている。また、着色剤としては様々な色の下地にも使われている。主に二酸化チタンを添加剤として用いる目的は、光を遮光して有効成分の分解を防ぐためだ。
 これもまた様々な分野で使われている物質のようだ。東レのナイロン6には二酸化チタンが添加されていることはわかったが、海外で生産されているナイロン6はわからないという結論に至っている。
 次に、染料から繊維の同定に取り掛かっている。そこで行われたのがレーザーラマン分光法という方法だ。

 ラマン分光法とは、1929年にインドの研究所でラマン博士とクリシュナン博士によって発見されたラマン効果に基づく分光法である。
 ラマン効果とはある分子にレーザー光を照射すると入射光と異なった波長のラマン散乱光が発せられる。ラマン分光法は、ラマン散乱の性質から、物質の分子構造や結晶構造を明らかにする手法である。

 分子振動も測定し、分子内の原子配置や化学結合の様式などを反映するため、分子の同定だけでなく分子の構造解明が可能である。ラマン効果による入射光の振動数からのラマンバンドのシフト量(ラマンシフト)を測定することにより、物質の同定や構造解明をおこなう。

 つまりは光を当てた物質が何でできているかを分析するというものだ。ということは、染料を分析するということは、色の元になっている物質が何かを分析することになる。
 調べてみると錦絵でラマン分光法で分析し、塗料が何によってできているかを分析した研究もある。

 錦絵の主版に使用される墨は漬け墨で、使い減らした墨屑を水にさらし、すりつぶして布ごししたものを使ったといわれている。各錦絵、主版両方の黒色部分を測定したところ、どちらからも 1570cm-1、1360 cm-1付近にラマンバンドが観測された。(中略)「阿波の十郎兵衛」 の刀鞘部分の測定部分と測定結果を示している。そのラマンシフトをみると炭素(ダイヤモンドライク1325cm-1、グラファイトライク1570cm-1付近)に近似する1360cm-1、1570cm-1付近のラマンバンドを観測した。これにより、錦絵の黒は炭素由来の黒を使用していることが明確となった。

「ラマンイメージング装置による伊勢市版 歌川派錦絵および版木の色材分析」小瀬戸恵美・落合周吉・増谷浩二・東山尚光・坂本章 国立歴史民俗博物館研究報告 第 153集 2009年

 この論文によると、絵に使われている様々な色の元になっている原料について分析されている。引用された箇所は黒の成分についてだ。
 例えば他の錦絵で同じ色を分析すると他のスペクトルが出るものなのか、それとも、様々な要因によってその波形は変化するものなのかは私にはよくわからない。しかし塗料の性質によってはその成分が違うであろうことはわかる。
 調べてみるとナイロンの染色には酸性染料や含金染料が使用されるようだ。私の拙い独学程度のレベルでであれこれ言って申し訳ないが、この鑑定では染料「イソランイエロー」「ラナシンブラック」に含まれる色の成分である化学物質について分析・比較しているということになる。
 調べてみるとイソランイエローの色味の元は「C.I. Acid Orange(8CI,9CI)」で化学式はC2H7NOとあった。実はこの原料は他の酸性染料にも使われていた。調べてみると「Acid Orange108」 「CoranilFast Yellow RR」「C.I. Acid Orange 108」
「CoraniFast Yellow RR」「RemalanFast Yellow RR」という染料にも同じ「C.I Acid Orange」が使われていたことがわかった。ということは鑑定における別の波形である1120カイザーの検出は、別の染料であった可能性は全くなかったのであろうか。
 さらに、ラナシンブラックの染料の黒の原料は「C.I. Acid Black 131」であり、これを原料とする染料はラナシンブラックだけではなく、「Irgalan Black GBL」「 Irgalan Black GBL 200」もあった。イソランイエローでも認められた別の波である1120カイザーは、ここでも他の染料であった可能性もあるのではないか。
 ナイロンやポリエステルなどの化学繊維は大量生産であり、さらに様々な用途に使われており、試料自体も微量だ。これらの結果が完全にウェストコーストの座席シートに使われたものかどうかの同定はそもそもできるものだったのだろうかという疑問も残る。

 座席シートを汚したと考えられている尿汚染についてだが、久間氏を除く家族は全員O型であり、さらに車内に尿や血液の汚染の機会も十分にあった。しかも水拭き・水洗いしたことも正直に証言している。
 だが、これらの証言はそもそもシートに漏れてない、シートを汚染するほどのことではなかったとされ、何なら家族の証言であり信用性すら疑われた。
 そもそも、尿を室温に放置しておくと細菌が増殖し、尿中の尿素を分解し、2〜3時間もすればアンモニアが産生される。つまりおしっこ臭くなるのだ。
 健常な子どもは1日に(体重×50)mlほどの尿を排泄する。小学校1年生の平均体重は21.0kgほどで、一回の尿量は150〜300mlほどだと考えられる。それが二人分だと少なくともペットボトル1本分ほどにはなるはずだ。血液と尿が大量に座席シートに染み込んでいたならば、速やかに洗浄しないと次の日には車内にはアンモニアと血液の鉄の臭いが立ち込めていただろう。
 それを家族は違和感として誰も覚えていなかったのなら、庇うために嘘をついていたことになる。しかし、それなら久間氏はシートを洗っていたことを馬鹿正直にわざわざ言う必要はないし、久間氏の妻もどうだったかわからないような言い方をする必要もない。それに、私が本当の犯人なら疑われている間は絶対に車を売却しない。この言動は無実ゆえに正直に答えているように見える。さらに、久間氏の家族全てが被害者と同じO型で、家族のDNA型と一致したかどうかも検証されていない。

 やっぱりそもそもがどうしても気になる。この繊維鑑定は「女児の衣服に付着した繊維が一体何なのか」を鑑定しておらず「ウェストコーストの座席と違うのか」を鑑定しているだけだ。何なら、それすらも同一と確定できていない。つまりは、犯人に結びつく全てのものに関する事実を分析していないのだ。
 この繊維鑑定についても、幾つもの繊維が完全に一致したというまことしやかなバイアスを植え付けることに大成功している。
 検察側が証拠として提出したのは、以下の6点。つまりは繊維片6本だ。
 ①プレパラート内の橙色繊維片1本
 ②同内の黄茶色繊維片1本
 ③同内の焦茶色繊維片1本
 ④同内の焦茶色繊維片1本
 ⑤同内の黄茶色繊維片1本
 ⑥同内の黄茶色繊維片1本
 この6本をマツダウェストコーストの座席シートの繊維が同一かに焦点を当てている。そのうち4本が一致または類似したとされる。科捜研・科警研・東レ・ユニチカの鑑定の結果、この4本について確実な事実であるのは、
 ①4本ともナイロン6である
 ②カッターなどで切っていないのであればステープルである。
 これだけである。

 それ以外はおそらくそうである、または似ている、一致している可能性が高い、という結果でしかない。
 ①ラマン分光法で測定された結果座席シートの繊維とリタックシートの繊維のラナシンブラックの数値とイソランイエローの数値は極めて類似している。
 ②東レ鑑定では、繊維はナイロン6だとしているが、東レのものだとは断定していない。さらに、マツダウェストコースト以外にイソランイエローとラナシンブラックの組み合わせで染色されたナイロン6ステープルが確認できない以上は断定できないとしている。
 ③黄茶色繊維からは二酸化チタンの添加が認められるが、助手席シートからは認められていない。チタンとコバルトの含有があったことから助手席シートの繊維の特徴とリタックシートの繊維は一致または類似している。
 ④被害児童の着衣に付着していた繊維片がマツダステーションワゴン・ウェストコーストから脱落した繊維片である、とまで断定することはできない。
 最も類似もしくは近似しているとされたのはリタックシート付着の84本中、黄茶色の繊維片3本「のみ」だ。この結果も「一致」ではない。

 何だか繊維鑑定に熱を上げるよりは、女児に付着していた遺棄現場近辺で生息しない枯れ草や、プラスチックパック、こたつ布団を分析する方がよほど有用であると感じるのは私だけだろうか。

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