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雑文(1)広告、spank happy、ボリス・ヴィアン、図書館

広告

ヘッダーにした画像には広告におけるコピーとデザインの粋が詰まっている。
まずコピーを見てみよう。

「健康な人の健常域でやや高めの肝機能に関連する酵素 (AST、γ-GTP) 値の低下に役立つ」
これ、一読で意味わかる人いますか?
じっくり読むと
「肝臓の数値がちょこっとだけ高めな人が飲むと数値が良くなる気もしなくないです(もちろん明らかに病気の人にはききません)」という意味だと。
つまり「気休めです」自白してる。

しかしながらこれを書いたコピーライターはすごく優秀だ。
文章は自分の意図を伝える技術だが、伝えないための応用だ。
つまりなんか言ってるぽいけど何も言ってない。
しかもこの少ない文字数で日本語を破綻させずに!

そして高め 肝機能 酵素値 役立つ を強調するデザインと組み合わされる。
情報量は限りなくゼロに等しいテキストが消費者になにかを幻視させる。
洗練された広告アートの一形態を見た。
もしかしたら広告って幻視術なのかもしれない。

spank happy

ポップミュージックの消費の構造そのものをポップミュージックにするメタ・ポップミュージックというコンセプトは菊地成孔がspank happyとしてやろうとしたが、商品としてJ-POP市場では奮わず撤退した。
理由は一つ。
もうそれはもう椎名林檎がやっていたからだ。n+1番煎じでしかない。
しかし若い女を背後から操るおっさんという小室哲哉やつんく♂が確立した構図をキャラクター化したのはspank happy独特なものだった。
美少女とおっさんという絵面は面白いけど、まあポップではないよね。おっさんだし。
しかしこのポップミュージックがとても好きで東京行ったときに中古屋を回って買い漁ったし、プレミアついていた「普通の恋」のシングルも買っちゃった。
これはポップミュージックとして失敗なのか成功なのか。

そして小田朋美と組んだfinal spank happyは美少女(というか美女)とおっさんという絵面はそのままだが、小田が音楽家として超絶有能な上にグッチやらプラダやら王道ハイブランドを難なく着こなせる才色兼備なので「背後から操るおっさん」が成り立たない。
おっさんと若い女が渡り合う。
現在的なコンセプトの立て方だ。
これまでとは別物だからfinalなんだろう。
またライブ行きたいなあ。


ボリス・ヴィアン

菊地成孔の本を何冊か読み返したのと、フランス現代思想が専門の学者が初学者向けに書いた本を読んだことでボリス・ヴィアンが読みたくなったので読む。
馬鹿馬鹿しくて軽薄。ユーモラスとか軽妙なんて言葉ではいけない。ひたすらに馬鹿馬鹿しくて軽薄な妄想の連続。

それから、あの醜怪きわまりないエッフェル塔に火をつけに行く、これはもう純粋に行為そのものの優雅さゆえの放火。

「もしも、あと二十四時間しか生きられないとしたら?」(ボリス・ヴィアン『夢かもしれない娯楽の技術』)

適当に読み飛ばすのにちょうどいい


図書館

週一回は行くし調子がいいと三回は行く。
カウンターの職員に顔を覚えられ、特別整理期間の案内を「あ、知ってますよね」と省略されたこともある。
館内にいる人達のよそよそしい他人感もいい。よそ行きの顔してる人か、住み着いてるか。そりゃよそよそしくなるよ。
色々なことを調べた。尾張藩の家臣名簿とか爆弾の作り方とか。マジで。高校化学の学科と実験を真面目にやっていれば図書館で集めた資料で爆弾作れる。
私は物理選択だったので作れないけどね。しかしもう爆弾がいらない時代になったね。ガソリンで事が足りてしまう。
ガソリンテロにはストロング系チューハイと同じ装飾不可能な絶望がある。

頼むからあの図書館だけは燃やしてくれるなよ。

雑文奇文

右の耳にはSONYのポータブルラジオから伸びるイヤホンを刺す。
左の耳にはyoutube musicに接続したGoogle pixel5とペアリングしたノイズキャンセリングイヤホンを刺す。
これが最高の音楽の楽しみ方だ。
マスタリング、BPM、時代性、文脈、サンプリングレートが私の脳髄という圧力鍋でシューシューと煮崩れする。
圧力鍋を開けると嘔吐物にしか見えないソレが底にこびりついている。マイルスもショパンもアイドル歌謡もyoutuberも等しく駅のホームの嘔吐物だ。
それをスプーンで掬って食べる。
聴覚情報の処理に弱い特性は快感のためにはむしろ利点だ。
これを文章で表現したい。意味や理屈をこねくり回す能力だけは高い私の特性が嘔吐物にまみれる瞬間をグチャグチャと咀嚼したい。
そのために図書館に通う。燃やされないうちに。私が燃やさないうちに。

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