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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第九回 デリバリードライバーの長い夜


少女買春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。
鈴木は客の待つホテルに小夏を届け地下駐車場で待機する。

心身に受けるダメージを極力抑えて、相手の性欲を満たす。数回ねじ込まれたら学習する程度のことだ。3回目もやればあとは20回も200回もかわらない。

あらすじ

Chapter 8 デリバリードライバーの長い夜

 少しだけ開いた窓の隙間から破裂する花火の音が聞こえた。
「猫、みつかった?」
 俺はルームミラーごしに話しかけた。小夏は手元のゲーム機に向けていた顔をちらりと前に向けた。
「安藤と話してたよね。猫が飼いたいって。トイレ砂まで買い込んできてさ」
「まだ見つけてない」
「今の季節なら、事務所の目の前の公園にたくさんいるよ。子猫が生まれる頃だし」
「干乾びてるのなら何匹か見たけど」
 暗がりで表情は見えない。すれ違う対向車のライトに照らされた時はもう手元に顔を向け直していた。左耳につけた小さなシルバーのイヤリングが、スモーク越しの掠れた光で小刻みにちらつく。
「動物病院によく貰い手募集のポスターあるから、今度ー」
「気を遣って話しかけてるなら黙ってて」
 小夏が遮った。
「これから私がなにをするかわかってる?」
 正しくは小夏がなにをするかではない。俺が小夏に何をさせるかだ。
 左手側のビルの頭を越えてツインタワーの根本だけが見えた。ツインタワーは15階までの土台の部分は共通で、北がオフィス棟、南がホテル棟になっている。
 
 小夏の客はホテルの54階に部屋をとっている。
 市警の幹部である大原という男だ。ボスの昔からの知り合いで、俺も何度か顔を合わしたことがある。
 ゴルフ焼けした恰幅のいい初老で、中高年御用達のオーデコロンを匂わせていた。警察官僚というよりは不動産屋の社長といった雰囲気だった。
 バスローブにブランデーグラス、そして勃起補助薬がセットなのだろう。「これでも愚息は現役で通しておりましてね」とゴルフのスコアを自慢するみたいに言っていた。精液まで加齢臭とオーデコロンの匂いがしそうだ。
 うちの標準的な客だ。ゴルフの他には歴史小説と孫と同年代の女が趣味。
「まだ3回目で緊張してるかもしれないけど、今日のお客さんも悪い人じゃないから、リラックスしてやってよ」
「3回目?」
「こっちに来てからって意味」
 仕事はそつなくこなしていた。次回もぜひ、という要望が客からきていた。
「どこでやるからってなにかがかわるわけでもないでしょ」
 無愛想な女だとはわかっていたが、それ以上に苛立っているのかナーバスになっているようだと思った。
「とにかく危ないと思ったらすぐに報せて。エマージェンシーの使い方はわかってる?テストしてみて」
 目立たないようにごく小さい金属製のアンクレットだが、金具に仕込まれたボタンを決められたリズムで押すと俺のデバイスに非常表示が出る。小夏が足首に手を伸ばすのが見える。リズムは3と2と3だ。
 ジャケットのポケットに入れたデバイスからアラームがなった。チェック、と呟いてデバイス取り出して小夏に示す。女を送り出す前の儀式のようにやっている。
「それで知らせてくれたらすぐ行くから」
「助けてくれるんだ」小夏は片方だけ唇を薄く上げて言った。
 だから安心しろ、とは言えないこちらを見透かしている顔だ。エマージェンシーが作動したら部屋に踏み込む。何度かあったがすでに修羅場だった。
大抵の客は自分のやっていることの後ろめたさに大人しくしているが、一定数はおかしいやつがいる。
 厄介なことにうちの顧客には社会的地位が高い連中が多い。高額な利用料金を払えるのだから金持ちしか使えない。つまりそうした連中に制裁を加えるとあとで非常に厄介なことになる。ゴネる客を別室に連れてこんで圧力をかけつつ対話、恫喝するなんてことはできない。
 連中も始めからたかを括っている。「女衒風情が」と文字通り唾を顔に吐かれたこともある。その通りなので腹も立たないが。
 正直なところ、死なないくらいのことは我慢してほしい。さすがに口には出さないが。
「とにかくすぐ行くから」
 小夏の表情が動いた気配がしたが、街灯の切れ間になって見えなかった。
 
 田中の元チームメイトがいる交番の前で信号を待つ。左から来た右折車がクラクションを鳴らしながら俺の車の脇をすり抜けていく。それに応えるように周りの車もクラクションを軽く鳴らす。
 車の外気温計を見る。26℃を指していた。昼間に降った雨が冷やされてぼんやりとした霧になっている。花火は見えない。音だけが小さく聞こえる。
 正面にはヒガシに繋がる地下道の入口がある。行き交う車の流れの奥、オレンジ色のトンネル灯にぼやっと照らされた口がぽっかりと地下に向かっている。
 ニシとヒガシを繋ぐ道は狭く、少ない。そして信号が長い。アイドリングの高まりやクラクションの頻度で、周囲の車の苛立ちが溜まっていくのがわかる。
 
 どこの国でもやることは同じだ。
 心身に受けるダメージを極力抑えて、相手の性欲を満たす。連中がそそられる要素を持った女に、そそられる服装をさせて、刺激する態度をとればいい。
 一般的な売春、というよりもセックスと変わりはない。数回ねじ込まれたら学習する程度のことだ。3回目もやればあとは20回も200回もかわらない。
 
 信号が青になり、地下道に車を進める。地下道の途中、よく見なければわからない従業員用通用門の入り口が左手にある。そちらに乗り入れてゲートの前で車を停める。
 防災センターと白くペイントされたアクリル板の隙間から寝ぼけた顔の警備員が顔を見せる。出入り業者用の通行パス見せるとゲートが開く。がらんとした地下駐車場に入ると右手側の隅の柱の陰にとめる。ハンドブレーキを引き小夏に目で降りるように促す。車から降りる。小夏も降りてきた。小振りな赤いアーガイル模様のキャリーケースを引いている。衣装や小道具が入れるために安藤が用意したものだ。
 守衛室を見やる。先ほどとは違う白髪の警備員がカウンターの内側で退屈そうに雑誌をめくっていた。深夜に未成年者を連れてやってくる車は不審でしかない。職務に忠実な警備員なら面倒なことになるだろう。しかしこのビルの管理している会社にも既に根回しはしてある。通用パスもその成果だ。外部から派遣されてきている警備員にも申し送り済みで、呼び止められたことはない。職務に忠実なのだ。
 こちらに気付いた警備員が会釈をよこす。俺も会釈を返す。壁際の従業員用エレベータへ向かう。エントランスを通らず各階へ直接行ける。呼び出しボタンを押すと、かなり上部階を示していたランプが下がってきた。キャリーを引きずる音が後ろで止まった。
 階数表示がどんどん降りてくる。
 20、18、15、13、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、B1、B2。
 ドアが開く。後ろを見る。
 小夏が笑っていた。箱内の照明をうけて緑がかって、楽しみで仕方ないような笑顔だ。年相応な少女に見えた。すぐに俺の脇をすり抜けて箱に乗り込む。
 「部屋はわかる?」
 行き先パネルを操作するために振り返った時はいつも無表情だった。
 「54階の11号室」
 すぐにドアが閉まった。

第九回に続く
隔日更新予定
まとめ読みは↓のマガジンからどうぞ。


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