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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第六回 死んだ猫と苺のショートケーキ


少女売春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。鈴木は貧富、人種によってニシとヒガシに分断された街の境界を歩く。事務所に戻った鈴木は商品である少女に猫が飼いたいとせがまれる。

こいつは死骸の始末をしないから気が楽だ。
小夏の年齢はせいぜいあと1年で消費期限だ。国に帰るか別の会社に移籍したとしても連れて行けないだろう。
しかし15の子供にペットの飼う責任とか命の大切さを説くのは管理売春組織の中間管理職の仕事ではない。小夏が俺を見る。初めて意思らしいものがこもっている表情だ。
「わかったよ。ちゃんと世話しろよ」

あらすじ

Chapter 5 死んだ猫と苺のショートケーキ

 ケーキ屋で並んでいた間も地上の花火と歓声は聞こえていた。梨のタルト、チーズケーキ、オレンジピールを添えたショコラ、ベイクドプリンを手早く選んで会計を済ませる。甘いものは別腹だ。
 ケーキの箱を下げて地上に出ると人通りはさらに増えていた。車道へはみ出る群れも多く、クラクションがひっきりなしになっている。線路の下を潜る地下道に入る。雑踏をかわして地下道へ入る。ここはいつも古い公営住宅の匂いがする。ドブを消毒したような匂いだ。頭上からひっきりなしに電車の振動が聞こえる。
 西側へ出る。出てすぐのところにある交番で立哨をしている若い警官が俺を睨む。ドン、その顔も花火の色に染められる。目線の外し方を間違えると連中はめざとく寄ってくる。「ちょっといい?どこ行くの?鞄の中見せてね」こんな具合だ。
 ちょうど信号が変わりかけたので小走りで視線から逃げる。
 見上げるとビルの窓にへばりついたり、ベランダに出て花火を待っている様子があちこちに見える。しかしそのビルは東側のよりも明らかに小さいし汚い。ひび割れた壁面にあちこちに簡易宿泊所やマッサージの看板が見えるが、どれも一様に剥げている。
 真新しいビルは安さしか取り柄のない総合量販店と、偽大理石と金メッキで飾られた新興宗教の地方本部ビルだけだ。
 その間の道に入る。年中が夜市のようだ。酔っ払いと屋台の呼び込みが騒がしく、花火が爆発する度にざわめきが起きる。
 この街に住み着いた様々な国からの住民ががそれぞれの母国料理を売っている。一番の多数派かつ古株はは旧植民地時代に移入してきたグループだ。そして俺の母親がそうであるように、円が強かったころに入ってきた後発グループも一定いる。
 聞こえてくる言葉も明らかにヒガシとは違う。ニシでは日本語をベースに各国語の語彙が混ざった独特なものだ。ヒガシの住民はこの言葉をしゃべる連中を隠さずに軽蔑する。
 境界の線路は結界だ。
 少年が花火を見上げていた。狭い路地に丸椅子と机を並べた飲み屋の前だ。その浅黒い顔も花火で染められている。俺と目が合うとサイズの合わないシャツとサンダルを引きずるように走り去った。
 事務所へ向かう途中で何度かすれ違いったり追い抜かれたりする時に箱にぶつかられて、俺はほとんどケーキを抱きかかえるような格好で歩くはめになった。
 マンションの前の公園には夕涼みや花火見物でいつもよりざわついている。
 エントランスの観葉植物にいつものようにケーキ屋のレシートと糸くずなどを捨てた。肥料だからいいだろう。
 インターホンを鳴らしてから鍵を開けた。
 リビングに入ると安藤が煙草を吸いながら除光液でマニキュアを落としていた。煙草とシンナーと安っぽいシャンプーとAO機器の匂いが混ざる。除光液に引火して焼死する安藤の姿を想像した。
「あれ、どうしたんですか」安藤が爪をいじったまま言う。
「ちょっと近くに寄ったからさ。それよりケーキ食う?」
「いいですけど、でもなんか気持ち悪いですよ」
「いや、休み返上の安藤を労わろうと思ってね」
「労らなくていいから休みをください。社宅の片付けはどうなってるんですか?」
「明日か明後日には田中にやらせるからさ」安藤にケーキの箱を渡し、ソファに座る。 
 部屋の隅に小夏用に買ってきた生活用品や衣類が並んでいる。ヘアカラーに消毒液、薬局にも行ったのだろう。なぜかペットのトイレ砂がある。別に社宅はペット禁止ではないが、小動物ならともかく犬や猫を飼う女はいなかった。
 安藤はキッチンに行き湯を沸かしながらケーキの準備をする。
「桜子、様子はどうでした?」
 田中の制裁を受けて入院している女だ。昼過ぎに様子を見に行った。俺が話しかけても何の反応もしなかった。舌にピアスを刺されたんだから喋りたくても喋りにくいだろうが。
「あまりよくないね。まあしばらくは面倒頼めないかな?」
 安藤が眉をしかめて見せる。
「もちろんもう少し入院させるからその間は休みでいいから」
 取り繕うように言った。
「逃げようとしたってどこに逃げるつもりだったんでしょうね、まったく」
 安藤が呟いた。
 桜子は小夏と違い日本人で、他地方のニシのようなスラムの生まれだ。毎晩父親やその酔っ払い仲間がペニスをぶらつかせて近寄ってくる家庭なら父親を花瓶で殴って逃げ出したくなるのもわかる。しかし逃げたところでどこへも行きようがない。無知な子供にも特に。しかしここならやってることはちんぽの世話でも滅多に殴られないし金にもなる。
「ここじゃなきゃどこでもいいって喚いてたな」
 俺と田中が踏み込むと桜子はそう叫びながら暴れた。桜子の逃亡のパートナーに選ばれた小太りの中年はパンツも履かずに立ちすくしてそれを眺めていた。
 安藤は鼻から煙と一緒に溜息か嘲笑を吐き出した。
「とにかく悪いけどしばらく面倒頼むよ。自殺でもされたら面倒でしょ」
 小夏を呼んでくると言い残して安藤はリンビングを出た。
 
「なんでニヤニヤしてるの?」
 俺の顔を見るなり小夏は短く言った。
「え?そんなことないと思うど」
「今日はボスと会ってきたんでしたっけ?」安藤が言う。
「色々報告して、飯食ってきたけど、それが?」
 いえ、なんでもと安藤はキッチンで茶の準備を始めた。
 小夏はローテーブルを挟んではす向かいに座る。会話に興味をなくしたか、初めからなかったような顔で俺に言った。
「ペット飼ってもいいでしょ?」
「この子が猫を飼いたいって言ってるんですよ。別に禁止はされていないけど、鈴木さんに許可とってからねって話なんで」
 安藤がキッチンから言い添える。安藤は以前にペットを飼うのは精神衛生上のメリットが期待できると言っていた。ただ女が去った後に残される干からびた小動物の死骸を片付けたのは一度や二度ではない。
「ちゃんと面倒見れるの?」
「いいじゃないですか。私も猫好きだし」
 こいつは死骸の始末をしないから気が楽だ。
 小夏の年齢はせいぜいあと1年で消費期限だ。国に帰るか別の会社に移籍したとしても連れて行けないだろう。まあ、そうなったらマンションの前の公園に逃がしてやればいいのか。公園にいる近所の猫好きや浮浪者に餌をたかってあそこの野良猫はやらた太っている。俺もたまに猫缶をやっている。ただ猫好きでも猫をいたぶるのが好きな猫好きもいて、尻尾や首を切られた死骸を何度か見た。
 しかし15の子供にペットの飼う責任とか命の大切さを説くのは管理売春組織の中間管理職の仕事ではない。
 小夏が俺を見る。初めて意思らしいものがこもっている表情だ。
「わかったよ。ちゃんと世話しろよ」
 好きにすればいい。せいぜい公園でサバイブできそうな丈夫なやつを選べ。
 湯が沸いた。安藤がポットに紅茶の葉を入れて勢いよく熱湯を注ぐ。盆にポットとカップ、ケーキを載せてソファーセットへ持ってきた。
 ドン、とまた爆発した。この部屋は防音性であまり気にならなかったが、爆発はずっと続いている。
 小夏は構わず梨のタルトを選んだ。安藤はショコラ、俺はプリン。それぞれのカップに紅茶を注ぐ。2人は猫の入手方法について話し合っている。ドン、と一際大きな爆発音がした。一瞬、黙る。
「花火、どこでやってるの?」小夏が誰となく聞いた。
「さあ、どうだろう。この時季は毎週末どっかでやってるからね」
 小夏は関心をなくしたようにケーキをつつきだす。
 それからしばらく爆発は続いた。雨が降り始めたのはもう少し後だった。

第七回に続く
隔日更新予定
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