見出し画像

<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第三回 ワイルドサイドを歩け

少女売春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。
芸能事務所に偽装した会社に南方から仕入れた少女を連れてくる。

あらすじ

Chapter 2 ワイルドサイドを歩け

 この街は総合的だ。
 世界有数の企業が管理する工場群、そしてオフィス街。リニア鉄道が走り、国際空港や大規模な湾口もある。ホワイトカラーも汗にまみれたブルーカラーも汚職役人もサイコパスもホームレスも売春婦までなんでも。
 そして土地は大部分が埋立地だ。
 夕方から夜に騒ぐ鳥たちは、この街が海に沈みつつあることを知っているのだろう。街のどこにいても海水が染み込んだアスファルトの生臭さが湿り気と一緒になってまとわりつく。
 沈下気味な地盤に反して地価上昇率は国内有数だ。値上がりの中心の中央駅付近はかつて赤線、国が売春の胴元だったころの売春公認区だった。
 売春が一応は禁止されると、「飲食店の女給と客の自由恋愛」という建前が流行った。
その時代に建てられた一階を飲食店風にして二階で客を取らせる典型的な造りの建物は今では住居兼店舗として活用されている。
その中に場違いなオブジェみたいにマンションやオフィスビルが生えている。こんな場所にあってもマンションの一部屋は冗談みたいに値上がりしている、所有者は誰一人として住んでいない。所有者はどこかの不動産会社に賃貸管理を委託して、それがどこかの会社に移ったりトランプのゲームみたいに流れる。
 俺の会社のオフィスはその中の一つにある。芸能プロダクションとして登記もしてある。
 マンションの前で女と車を降りて田中と別れる。飯でも食べろと札を何枚か渡した。
 道を挟んで反対側は市内で最大の公園だ。虫の匂いと草いきれが漂っている。夜中は野良猫や野良の人間の住処だ。公衆便所が薄暗い電灯に照らされてぼんやりと見える。
 マンション入り口の操作盤に電子キーを差し込むと木目調のドアが開きエントランスに入る。入り口脇のスペースにはゴムの樹の鉢とソファが置いてあるが、誰かが座っているのを見たことがない。
 ここに入居してすぐの頃は観葉植物が物珍しく、たまに水をやっていたが。合成ゴムでできたまがい物だと気付いたのは、何日たっても一向に枝も葉も変化しなかったからだ。  
 丁寧なことに「ゴムの樹」という札までついていた。ダブルミーニングのつもりなのかと考えたが馬鹿馬鹿しくなって今ではゴミ箱代わりにしている。
 エレベータの呼び出しボタンを押してからポケットを探ると女の鞄についていた機内預かりのシールとなんとか太郎の包装紙があった。ちょっとごめんと女に断り入り口脇に戻り捨てた。戻ると女が少し怪訝な顔をしていた。ちょうどエレベータが来た。乗り込み8階を押す。
「なんでわざわざ捨てたの?」
「そのままクリーニングに出すと面倒だからね」
しかしこの女のほうから口を開くのは少し驚いた。車内でもずっと黙って通していたのに。
「今から行くのはうちの事務所兼、寮みたいなところだ。疲れただろうから、女の人もいるし、しばらくはそこで休むといい」いつもの口上を言う。8階についてエレベータを降りる。奥から2番目が事務所だ。電子キーを差し込みドアを開ける。すぐに奥の扉が開いて安藤が出てきて出迎える。
「いらっしゃい」
 にっこりと笑った。安藤には事務と女達のケアを任せている。
 俺を通り越して、やってきた女に向かって微笑みを強くする。よく訓練された表情だ。相手の警戒や不安を解きほぐす。安藤は社内では珍しい大卒で、カウンセリングを専攻していて資格も持っている。ここで思いがけない笑顔に面食らって泣き出す女もいるほどだが、後ろにいる女の反応はわからない。
 安藤はそのままたっぷり1秒は笑顔をキープしてから言葉を続けた。
「私のことは安藤さんでも、ミーコでも好きに呼んでね。ここでね、これからのことが決まって落ち着くまで暮らすの。でも怖がらなくても大丈夫だよ。しばらくは休む期間もあるし、私もいつもいるからね。なにかあったらいつでも言ってね」最後に駄目押しのように笑顔を強める。こいつの笑顔には俺でも気圧される。
 さあ上がってと促されて部屋に入る。奥の事務所に入る。
「ご飯は食べさせたんですか?」安藤は俺に訊いた。
「ああ、途中で軽く」
「軽くって?」
 俺を責めるような語気を込めることで女側だぞというスタンスを取る。いつもの手順だ。
「サンドイッチとカフェオレかな。俺の分まで食べたよ、この子」
 俺に批難めいたことを口にしてから女に言う。
「ちょっとしたものだけど、ケータリングで用意するからたくさん食べてね。私のおすすめのお店。結構おいしいよ?」お気に入りの化粧品をすすめるようなちょっと秘密めかした態度だ。
「その間、お風呂に入っておいてきたら。長旅で疲れてるでしょ。着替えとタオルは用意してあるから使ってね。あ、お風呂の使い方説明するね」
 ソフトな口調だが有無を言わせず女を風呂場で連れていく。
 二人がいなくなると俺は自分のデスクのパソコンを立ち上げる。メールを開くと未読メールが溜まっている。
 メディカルチェックの報告。提携しているクリニックから在籍している女の定期診断の結果。入院させている桜子の経過報告。
 所轄署内の協力者からの報告。署内人事や取り締まり情報だろう。
 備品の卸業者からの伝票と請求書。
 写真屋から出来上がりの連絡。ある事情からうちの会社では未だに画像データの
管理はデジタルではなくフィルムを使っている。
 そしてボス、俺の雇い主からの呼び出し。最優先だ。
 
 何通か返事を書き、スケジュールをリマインダに登録する。バスルームの戸が閉まる音がして安藤が戻ってきた。湯の使い方を説明したのか袖をまくっている。そのままの格好で煙草を吸い始めた。俺は安藤を見やり換気扇をつけるよう顎で促した。換気扇が回り出す低い音がする。オフィス内は禁煙にしていないが俺は煙草が苦手だ。しかし田中も安藤も喫煙者だから仕方ない。作り置きのコーヒーを注ぎながら安藤は言った。
「あの子、名前どうします?」
「任せるから適当につけといて」
「じゃあ小夏でいきましょうか」安藤はふうと煙を吐きながら言った。
「いいんじゃない。いかにもってかんじで」
 安藤が俺のデスクに寄ってきたので顔をパソコンからあげる。正面か見下ろされる形。安藤はかなり背が高いから少し怖い。
「しばらくここで預かるんですよね?」安藤の細い鼻の穴から煙が出る。
「社宅、まだ整理できないから、できるまではそのつもりだけど」
「私、まだ休みとれてないんですけど。ここで預かるとなると私が詰めてなきゃいけないし」
「わかってるよ。早めに整理させるし、手当に色つけるからさ」
「それならいいです。早めにしてくださいね」
 言質をとると安藤は満足したように煙草を深く吸って吐いた。
「そういえば、あの子どう?」
「まあ愛想のいい子ですよ。結構売れるんじゃないですか?」意外な答えだ。安藤はキッチンに戻っていく。「美容師と宣材撮り、手配しときますね。いつものでいいですか?」
「美容師は任せるけど、写真屋に会う用事があるからついでに宣材撮りも打ち合わせしてくるよ」
「用事?」
「写真ができてるから取りに来いって」
「今更ですけどいまだにフィルムで管理するってアナログですよね」
「まあボスがいうから仕方ないよ」
 燃やせば灰になる。複製もデジタルよりはされにくい。
 パソコンの電源を落とすとそれを持って、俺専用の個室の奥の金庫に向かう。パソコンも金庫に保管するのがボスの命令だ。金庫にキーを挿し込み、静脈認証パネルに手のひらをのせる。数種類の書類、現金が少々、クリアファイルに入れた写真とネガが目に入った。陰毛の生えそろっていなそうな女に太った中年がペニスをくわえさせている一枚が一番上にあった。当然隠し撮りだ。これも色々と使い道がある。俺はその上に手早くパソコンを置き金庫をロックして部屋を出る。
 
 ふと気付いて安藤に尋ねた。
「小夏って名前、何人目だっけ?」
「さあ、いましたっけ」
 俺はやや呆れつつオフィスを出た。写真の女の名前も小夏だったはずだ。

第四回へ続く
隔日更新予定
まとめ読みは↓のマガジンからどうぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?