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人を大切に出来なくなることでの後悔はしたくない。

成人の日で連休なので、朝起きたとき珈琲を飲みながらDAISO出版の絵本朗読サイト(日本語・英語)を聴いてました。
保育士なので仕事で子供達に朗読することはあっても、大人の自分が朗読してもらうことは滅多にないので聴いてると癒やされました。
DAISOに売ってる絵本を、なんと日本語・英語で朗読してくれてるので、言語を選んでダウンロードできます。

DAISO絵本(2か国語)の朗読サイトがあることは、去年の夏に一緒にDAISOに絵本を買いに行った人から年末に教えてもらいました。
私がそういうのが好きなことを知っているので、仕事が忙しくて毎日疲れて帰る私がよろこぶと思って教えてくれたのだと思います。

なのに、その時の自分を思い出し、めったに後悔しない私がいま激しい後悔と申し訳なさを感じています。

年末は園で複数の感染症が流行ってました。
毎週どころか毎日、突然高熱を出して倒れる児童や先生が相次ぎ、最後には3人の先生で1〜5歳クラスや学童をみるという、とんでもない事態に…

倒れた先生達も、倒れなかったけど具合の悪いのを無理されてた先生達も何も悪くないし、むしろ普段どれだけ大変かを身近に見ているので「お願いですから身体を休めて下さいっ!」という気持ちでした。
必然的に全員が人数以上の負荷の仕事を背負って12時間近い長時間労働が毎日…という悪循環。


仕事中は仕事だから(あと、子供達や一緒に働いた先生達の笑顔で)頑張れても、体力や集中力ではとっくにいろんな限界を超えているので、私はも帰ったときには買い物した店でおつりを忘れても3回に1回は気づかないくらい、バッテリーが切れたように疲弊してました。

その状態で料理や家事を毎日やり、すべてが終わると早朝出勤まで大体3〜5時間の爆睡。
そこからまた10時間前後の長時間労働の繰り返し。
他の先生達は私よりももっと大変だったし、もっと睡眠時間も少なかったと聞いてます。

保育士というのは家に帰ってからも仕事の準備が沢山ある仕事なので(書類や保育の計画・レッスンや行事の準備と作り物・音楽レッスンのピアノの練習や歌詞カード作成・使えそうな絵本や材料集めや必要な勉強や調べ物など。)、寝てる時以外はプライベートも基本仕事とつながってます。

たとえば配偶者や恋人や親友や仲の良い姉妹兄弟が保育士だと、休日出かけたら百均に保育や工作(製作)の材料探しにつきあわされ、毎日子供達が面白いことをした話を1年中1日中聞かされると思ってまず間違いありません。

それはさておき、絵本のサイトのことを教えてもらった日も先生が足りずに早遅の長時間労働が私も他の先生達も連日続き、私も限界を超えてくたくたの所に沢山のタスクを抱えてました。

せっかく大好きな絵本や朗読を楽しめるサイトを教えてもらったのに、それをゆっくり聴ける時間や余裕がその時にはなく、教えてくれた人にものすごく申し訳ないことをしてしまいました。

いろいろひと段落し、今朝やっとゆっくりそのサイトで朗読を聞いて味わえる時間と余裕ができ、いろんな童話を日本語と絵本で楽しんでます。
(楽しみながらも、仕事目線でいろいろ分析したり計画を考えたりもしながら…)

バイリンガル保育園の職員である私にとっては、まさに仕事の役にも立つし、プライベートの趣味としての心身の栄養や癒しにもなることを知り、そこまで考えて教えてくれたであろう人に心から感謝しました。

そして、教えてもらったリアルタイムのときには余裕のなさから感謝を行動や態度で表せなかったことに心が痛み、心底申し訳なく思いました。

人間が人間性を欠くほどの荷重労働をしてはいけない理由は、こういうことだと思いました。

疲れが限界を超えてしまうと、こうやって人の優しい気持ちを拾えなくなったり、せっかく自分のことを考えてやってくれたことに対して余裕がなくて後回しにし、傷つけるようなそっけない態度をとってしまったり。

場合によっては、それが致命的なすれ違いや関係の亀裂になってしまうこともあるでしょうし、相手が子供の場合は一生消えない傷を心につけてしまうこともあるはず。

ひどい場合は、人間としての質がおちてしまっていることにも、自分でも気づけなくなるでしょうし。

自分で自分の機嫌をとることは、人は仕事中なら仕事だから大体出来たり、プライベートでも負荷がキャパを超えてなくて余裕のあるニュートラルな状態でなら多分出来る人は多いと思います。

「よくそんな状態で笑って子供を笑わせて楽しそうに明るくしてられるね」
みたいなことを私も昔からよく言われたり、
「普通なら不幸に絶望するようなときにも楽しそうだからムカつく!」
…と言う謎すぎる理由で同性からのいじめに遭ったことも多かったから、おそらく私は平均よりも機嫌がいい人なのかもしれません。

幼少から思ったことが100%顔に出てしまう単細胞なので、細工とかする器用さはないのですが。
なんで楽しそうかというと、昔から興味のあることや好きなものしか視界に入ってこないので、明るくしてるのではなく、その時ほんとに私も楽しんでたからそう見えただけだと思います。

だけど、それが出来ないほど体力気力が限界を超えてしまった場合は、仕事中には出来てもそこでエネルギーのすべてを使い果たして家に戻ったときには本当に難しい。
完全に休んで体力気力を回復させてからでないと難しい。
ということを、去年はカオスの中で学びました。

極限状態では人間の本性が出るといいます。
ある意味、去年後半は私にとって極限状態だったのかもしれませんが、そこで身近な人の優しい気持ちを汲み取れなくなる=人を大切に出来なくなるようでは、私もまだまだそんなレベルの人間なんだなと思いました。

そのことを真摯に受けとめ、人間としてのステップアップを目指すか。
疲弊する環境や習慣を改善したり取り除いていくか。

そのどちらか、むしろ両方が今年は必要だと感じます。
こういう後悔は、なくしていきたいですから。





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