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なんとなく vol.14

現在

 見事な青空だ。春を感じるあたたかい日差しに少し冷たい風が心地いい。
 ああ、気持ちいいなあ。野外イベントは晴天に限る。ライブハウスとかの屋内の仕事も楽しいけど、野外イベントの仕事はこれがたまらない。開放感とわくわく感が合わさり、いつもよりテンションが上がってしまう。
 PAの仕事に就いて七年。バイト時代も含めれば十一年。なんとなく正しいと思って進んだこの道は、間違ってなかったと思ってる。もちろんうまくいかないことも、悩んで落ち込んだことも、辞めようかなと思ったこともあった。だけど諦めないで必死に縋りつき、今日まで全力で走り続けてきた。俺は今、この仕事が大好きだ。
 それにしてもほんとにいい天気だなあ。奏でられた音と歓声が混ざり合って広い空に溶けていく。晴れてよかった。雨は雨で盛り上がるけど、やっぱり青空の下が一番だ。そういえば昨日、裕吾から来週帰ると連絡があった。どこに飲み行こうか。今日みたいに天気がよければ、またあそこに行こうかな。
 世界に飛び立った裕吾は三年間一度も日本に帰ってこなかった。帰って来た時には大男じゃなくて、真っ黒になっていて俺は大笑いしたが、たしかにでかい男になっていた。
 裕吾は今、山岳写真家として活躍している。世界を周っていた三年間、出会った人たち、目に映る景色を写真に残し続けてきた。隠された才能だったんだろう。裕吾が撮る写真はどれもあたたかくて優しくて、まるで自分がその場にいるような感覚に陥るほど、心に迫るものがあった。三年間撮り溜めた写真が評価され、写真家としての道を歩みはじめた裕吾はまた世界へ飛び出した。そうして世界を周っているうちに、旅先で一人の登山家と出会って仲良くなり、登山に同行した裕吾は山に魅了された。今でも世界の景色、出会った人々を写真の中に残しているが、一年の半分以上はどこかの山にいて、息を呑むような写真を撮り続けている。
 俺も裕吾も一生もんの仕事、特別を見つけて手にすることができた。だから俺も裕吾も全力で、死に物狂いで、真っ正面から逃げずに向き合いながら、忙しい毎日を送っている。だけど、必ず酒を酌み交わす日がある。
 将太の命日だ。どんなに忙しくても、その日だけは絶対に忘れない。将太と裕吾と俺、三人で酒を飲み、なんてことのない、相変わらずくだらない話をする。将太を喪った日から、叶わぬ願いだとわかっていても願わずにはいられなかった。でもその日だけは、その願いが少しだけ手に届く。将太が笑うんだ。あの笑顔で、あの明るい声で。
 どんなときも、どこにいようと、将太と裕吾がそばにいてくれた。いつだって俺らはそばにいる。俺らが最高の一生の友達であることは、この先もずっと変わらない。絆は変わらない。
 そしてもう一人。決して変わることのない想い。
 先生とは十一年間、もちろん会えてないし、声も聴いていない。ただ、先生たちのバンドのことと、先生たちの音楽は耳に入ってくる。なぜなら、世界中で爆発的な人気を誇っているから。
 先生が日本を出てから四年、じわじわと人気は広がり、六年が経つ頃には世界中にその名が知れ渡った。今では、CDが出ればどこの国でもバカ売れで、ライブのチケットは即完売、入手できたらそれは奇跡だと言われている。先生たちの音楽は世界中の人たちを虜にしたのだ。そりゃそうだよ、だってめちゃくちゃかっこいいんだもん。
 それだけの人気があるのに、先生たちは世界の人たちから首を傾げられている。まず、ライブは街の中にあるような、丸さんとこみたいなライブハウスでしかやらない。次に、音楽番組はもちろん、音楽雑誌などのメディアに一度も出たことがない。日本人であることは知られているようだが、それ以外の情報は皆無と言っても過言ではない。
 でもそれは、日本にいるときからのこと。余計なものはいらいない。先生たちはあくまで、自分たちの音楽を届けたいだけ。その想いが世界中の人に伝わったんだと思う。
 もちろん日本での人気も相当なもので、日本でのライブを望む声はかなりある。だけど、先生たちが日本に帰ってくることはなかった。十一年間、一度も帰ってきていない。
「凌さん」
「うん?」
「こっちもう大丈夫なんで、休憩してきてください」
「俺は後ででいいよ。よっちゃん休憩行ってきな」
「いえ、凌さん先行ってください。申し訳ないなって思いながら休憩したくないんで、先に行ってきてください」
「あはは!その気持ちわからなくはないけど」
「はい、なので俺のためにも休憩してきてください」
「うん、わかった。じゃあ飯食ってくる」
「はい、ゆっくり休んできてください」
「うん、ありがとう」
 ブースから出たとき、横から声が掛かった。
「Hi Ryo!」
 声のほうに顔を向けると、何度か一緒に仕事をして仲良くなったマイクが笑顔で立っていた。わお、ひさしぶり!
「Hi Mike! What are you doing here?」
「The next band to play is my friend. I came to hear their performance」
「I see. I'm glad to meet you」
「Me too. Oh! I have something to talk about. Can you talk later?」
「Of course」
「Thank you. Actually, I was in trouble. You should be able to help me」
「All right. If you don't mind me, I'll be happy to help you」
「Thank you! That would be great! Then I'll come back later」
「Ok, I got it」
 ハグをしてマイクと別れ、休憩室に向かおうと足を踏み出したとき、また声が掛かった。
「凌」
 その声に、身体が勝手に反応して熱を持つ。
 それでも聴き間違いかと思った。幻聴かと思った。だってその声は、ずっと聴きたかった、愛しい人の声。
 信じられない思いで、信じたい思いで、ぎくしゃくと振り返る。
 いる。
 そこに。
 想い続けてきた人が、そこにいる。
 嬉しさよりも驚きが勝り、立ち尽くした。これは幻なんじゃないかって、近づいたら消えてしまうんじゃないかって、でも、たしかにそこにいる。
 ポケットに突っ込んでいた手を出して、わずかに広げる。見惚れるほど優しく微笑む顔は、おいでって言ってる。
 ずっとずっと、会いたいって思ってた。触れたいって思ってた。聴きたいって思ってた。見つめられたいって思ってた。「凌」って、いつもみたいに呼んでほしかった。その声で。
 それが今、すぐそこにいる。
 少しずつ心が追いついて、溢れる嬉しさと喜びは涙に変わった。泣きべそかきながら広げられた腕に向かって歩き出す。すぐに辿り着いて、俺も両腕を広げた。
「先生――」
 でこぴんされた。
「いてっ」
「約束忘れたのか」
「……あ」
「やり直し」
「えええ?感動の再会なのに!」
「凌が悪い」
 泣きべそのまま額を擦る。
「…………大」
 ああ、恥ずかしい。だって十一年ぶりだよ?先生って口にしたのも十一年ぶりだよ?それをいきなり呼び捨てって。おかしいな、こんなはずじゃなかったのに。
「もう一回」
 くそっ。なんも変わってない。
「相変わらずいじわるですね」
「あ?」
 悔しいから、なにも言わずに抱きついた。だって我慢できない。ぎゅうって抱きしめると、「仕方ねえな」と笑う声が耳元で聴こえて、やっと抱きしめてくれた。
 そう、この温もり。この匂い。首筋に顔をうずめて大きく息を吸い込む。言葉にならないほどの安堵感が俺の中に充満していった。
 幸せだ、なんて思ってる場合じゃない。ここじゃまずい。いろんな人に見られてるじゃないか、恥ずかしい。
 離れたくないけど身体を離す。
「せんせ――」睨まれた。「あの、俺これから休憩なんで、休憩室行きましょ。そのほうがゆっくり話せますし」
「俺入っていいの?」
「もちろんです」
 るんるんるん。夢見心地ってのはこういうことを言うんだな。まだ信じられない。これは現実だろうか。ほんとに夢じゃないんだろうか。でもいる。先生がほんとにここにいる。ああ、ほんとにいる。
 少し歩いたところで、龍河先生が俺に訊いた。
「英語、勉強したのか?」
「え?」
「さっき話してただろ」
「ああ」あれ聞かれてたのか。「はい。あ、でも勉強っていうか、自然と覚えられました」
「ん?」
「大学一年の夏休みに俺も一人で海外に行ってみたんです。そこでカナダ人の子と仲良くなって、そんときは結局最後までカタコトでなんとかするしかなかったんですけど、頻繁に連絡取り合ってたら少しずつ英語にも慣れてきて、そしたらタイミングよくうちの大学にイギリス人の留学生が来たんです。せっかくなら仲良くなりたいなと思って、そんときもまだ全然話せなかったんですけど、思い切って話しかけてみたらほんとに仲良くなれて。それからどんどんその二人から輪が広がって外国人の友達も増えて、気付いたら話せるようになってました」
「へえ」と嬉しそうに笑ってくれる。
「それに、なんとなく必要な気がしたんです。英語を話せることが、なにかに繋がる気がして」
「ふうん。じゃあ問題ねえな」
「え?」
 俺の問いかけには答えないまま、龍河先生はやっぱり嬉しそうに笑ってる。なんだろうって思ったけど、休憩室に着いてしまった。
 敷地面積の広い公園だからか、立派な事務所が公園内に構えられいて、部屋もいっぱいある。そのいくつかが俺らスタッフの休憩室。誰も使ってない休憩室に入り、邪魔されたくないからそのへんにあった紙に『重大会議中!立ち入り禁止!』と書いて、ドアの外に貼る。念のため鍵も掛ける。
 ほっと息をついて振り返ると、龍河先生は長机に尻を乗せて俺を見ていた。そこで気付く。
 さっきは驚いて嬉しくて、それどころじゃなかった。でも今はもうだいぶ落ち着いてきた。だから心にも余裕がある。そして思う。
 ちょっと待って。え?
 すっっっごいかっこいいんですけど!え、なに、さらにかっこよくなってるんですけど!この世のものとは思えないぐらいかっこよかったのに、こうなっちゃあもう訳わかんないんですけど!吐きそうなぐらいかっこいいんですけど!体形は変わってないし、髪の長さもほとんど変わってない。だけど大人の色気っていうか、男の色気っていうか、とにかくとんでもなくかっこいいんですけど!どういうこと?あれ以上にかっこよくなれるの?どこまでかっこよくなるの?
 風丘凌、混乱しております。
 ちなみに今日の龍河先生は、チャコールグレーのトレーナーに黒のチノパン。裾からは下に着ている白Tがチラ見えしている。
 ああ、やっぱり絶妙バランス。え、っていうか待って。今、三十九だよな?え?え?今年四十には見えないんですけど!色気が増しただけで老いをどこにも感じないんですけど!かっこよすぎてやばいんですけど!
 ああ、この感じ久しぶりだ。しばらく出番のなかった俺の心臓兵たちよ、用意はいいか?出番だぞ。
「凌、なにしてんの。こっち来て」
「……はい」おい、すごい緊張するぞ。
 近づくたびに心臓の鼓動が速くなる。龍河先生は長机の端に尻を乗っけてるから、俺は龍河先生の前に立つしかない。少しだけ距離を置いて立つと、龍河先生は俺の左手を手に取って引き寄せた。一歩、前に出る。龍河先生は顔を少し上げ、手を握ったまま俺を見上げた。何度も見つめられたその瞳を見つめ返すうちに、不思議と鼓動が落ち着いてくる。
「すげえ会いたかった」
「俺もです」
「いい男になったな」
「そうですか?」
「相変わらずモテんだろ」
 いじけた口調で言う。その口調と懐かしさに笑みが零れる。
「モテないですよ。そもそもがモテないです」
 龍河先生からも笑みが零れた。左手を握った指で、俺の手を撫でる。
「外見だけじゃなくて、一人の人間としていい男になった」
「え?」
「凌がPAになったことは二年前に知った」
「え、どうして」
「辰さん、世話になってるだろ?」
「はい、俺の師匠です」
「偶然街で会ったんだ」
「ああ……そういえばその頃、仕事で海外に行ってました」
「それだな。まさか辰さんと会えるとは思ってなかったから嬉しくて、その日一緒に飯食って話をしてたんだが、なんかの話の流れで、すげえ優秀なPAがいるって話になったんだ。そしたら辰さんがそのPAを『凌』って呼ぶから、まさかと思いつつ苗字を訊いたら『風丘』だって。辰さんが写真も見せてくれて、間違いなく凌だった。マジで驚いたし、ずっと会いたいって思ってきた凌の姿を見て、すげえ心が掻き乱された。おかげで動揺を隠すのが大変だった」
 俺を少し責めるような口調とは裏腹に、その表情は優しい。
「だが、嬉しかった。あの辰さんが褒めるぐらいだ。相当努力して、負けじと踏ん張って、そうやって凌はちゃんと自分の道を見つけたんだって知って、凌が約束通り、全力で生きてるって知って、ほんとに嬉しかった」
「いえ、みんなのおかげです。俺自身もがむしゃらに走ってきましたけど、支えてくれたみんなのおかげでここまで走れました」
「凌はどうしてPAを選んだんだ?」
 握られた手を握り返す。
「それ、俺もずっとなんでだろうって思ってたんです。もちろん面白かったってのもあるんですけど、でもそれだけでこの道に進んだとは思えなくて、ずっとわかんなかったんです。でも、やっとわかりました」
「ん?」
「先生と、同じ世界を見たかったんです。立つ場所は違うけど、音楽を作るっていう同じ世界を見たかった。先生と一緒にいたかった。それが理由です」
 龍河先生は微笑みを笑みに変え、見上げていた顔を下げた。視線を少し落としたままなにかを噛み締めるようにして、もう一度俺を見上げる。
「凌」
「はい」
「また先生って言ったな」
「あ」
 可笑しそうに笑って、さらに俺の手を引く。半歩前へ。
「凌」
「はい」
「俺たちの専属PAになってほしい」
 思考が停止した。息することさえ忘れるほどに、信じられなくて、まっすぐ俺を見つめるその目を見つめ返した。
「……え?」
「俺たちのバンドの、専属PAになってほしい」
 ……専属PA?
 俺が?
 俺が先生たちの専属PA――。
 そんな夢みたいなこと。
 ずっと夢見てきたこと。
 言葉の代わりに、涙が溢れ出る。
「返事は?」
 そんなの決まってる。一つしかない。
「はい!なります!」
 ほっとした表情を見せる龍河先生が滲んで見えなくなる。よくそうしてくれたように、大きな手で頬を包み、涙を拭ってくれる。
 俺の大好きな手が、ここにある。
「凌」
「はい」
「俺は凌を愛してる。昔も今も、これからも。凌への想いはなに一つ変わらねえ。俺は凌と生きていきたい」
 新しい涙が次々と零れてく。拭っても拭っても、頬を濡らし続ける。
 何度呼んでくれたかわからない俺の名前を、龍河先生はもう一度呼んだ。
「凌」
「はい」
「もう一つ、願いがある」
「はい」
「俺の恋人になってほしい」
 溢れるほどの幸せと喜びが俺を満たし、唇を噛み締めて、肩を震わせて、握られた手を強く握り返した。
 心から、愛してる。
 誰よりも、愛してる。
 龍河大を、愛してる。
「返事は?」
 そんなの決まってる。一つしかない。
「はい!喜んで!」
 十一年前の卒業式に見た笑顔。顔いっぱいに笑顔を咲かせて、龍河先生は俺を抱きしめる。ぎゅうううっと、きつくきつく、もう離さないと言わんばかりに抱きしめる。
 いつものように、大きな手で頭を包んで、頬を摺り寄せて、こめかみにキスを落として、耳元で囁いた。
「やっと迎えに来れた」
「ずっと待ってました」
「待たせて悪かった」
「大丈夫です。いつもそばにいてくれたから」
 腕に力がこもる。
 髪に、こめかみに、耳元に、キスが降り注ぐ。
 その溢れる愛情に、溢れる想いは自然と零れた。
「大、愛してる」
 さらに力がこもって、小さく笑う。
「やっと言ってくれたな」
「何度でも言います。世界中の誰よりも、俺は大を愛してる」
 震える吐息。
 少しの沈黙。
 微笑む音。
 そして聴こえたのは、愛する声。
「凌は俺のもん」
 首筋に雫が落ち、胸のコインが熱くなる。
 希望は光になった。まばゆい光を放つ、大きな大きな光になって、これから二人で歩む道を照らしてくれる。
 二人の未来が、明るく輝く。
 だから、なんとなく正しいと思って進んだ道は間違ってなかったって、俺は今、たしかにそう思うんだ。

おわり

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