見出し画像

裸のまんま。で書いたら、書くことが少し楽しくなりました。

しばらく文章を書いてなかったら書けなくなりました。

読書はたくさんしてるんだけど、文章は書けないらしい。
これもやっぱり慣れですね。
いつもやっていることは大抵、力を入れなくてもスムーズにはじめられるし、はじめてからの集中力の持ちがいい。

ぼくは筋トレが大好きなんだけど、筋トレなんて力を入れなくてもはじめることができる。
みんなに「よく筋トレ続けられるね♪」って褒められるんだけど、これは頑張っているといいうより、習慣化してしまっているため、しないほうが気持ちが悪い状態。
ちょっとした病気みたいなもの。

だからぼくは文章が書けなくなった病気というより、書く習慣がなくなったため、文章が書けなくなったのだ、って思っています。

ただ、もともとblogとかも書いていなかったし、書くことに慣れていないんだ!と開き直ってもいる。

でもね、この前救世主があらわれて、ぼくにこういうことを言ってくれたんだ。

「自分を極限まで透明にした状態で書いてみたら」

「new journalism by ourselves。裸。ありのままで」

ニュー・ジャーナリズム(英: New Journalism)は、1960年代後半のアメリカで生まれた新たなジャーナリズムのスタイル。従来のジャーナリズムにおいては何よりも客観性が重視されていたが、ニュー・ジャーナリズムでは、敢えて客観性を捨て、取材対象に積極的に関わり合うことにより、対象をより濃密により深く描こうとする。
ニュー・ジャーナリズムの形成に大きな影響を与えたとされるのは、1966年に出版されたトルーマン・カポーティのノンフィクション・ノベル『冷血』である。当時普及の始まっていたテープレコーダーをあえて使わず、一年半かけた訓練の記憶力テストが95%以上の正確度に達したところで取材を行う方式によって、「フィクションの技術を駆使した物語風の構成でありながら、中身は完全な事実という形式」を完成させた。-wiki

裸のまんま。
ありのままでいいのか。
なんて考えていたら、少しだけ文章を書きたくなってきた。

今回はまずは書いてみる!ということで、まずは書いてみた。
中身はとくにないのだけど、書くことに意味があると思って。

人生は長いし、そのときの気分や感情にだって意味があると思ってる。
やる気のないとき、がんばれないとき、どーでもいいやって思うときもあっていいって、最近になって思う。
「がんばることが正だ!」みたいなことがよく思われているけど、「がんばらないことも正」、まあらしくいこうやって最近が思えるようになった。

やっとぼくもやる気が出てきたので、また挑戦モードで進んでいこう!って思う。ほどほどにがんばる。これが最近のぼくのテーマ。

裸のままで。これは案外、いや普通に難しかった。これを書くのも3回やりなおしました(笑)
やっと少しは素直な気持ちで書けたかな?

みなさん、ぼちぼちやっていきましょう!

画像1

#日記 #人生 #生きる  

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?