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"良い偶然"を引き寄せる習慣

僕のこと

僕は今二つの会社で仕事をしています。
どちらも大好きな仕事だし、生き生きと仕事をさせてもらえていると思っています。

しかしこれらの仕事を始めた経緯を振り返ると、当初の「やりたいこと(やりたかったこと)」を実現させた結果ではありませんでした。
その時々の人との出会い、そこで必要とされていたことに自分のできることを提供した結果、今に繋がっています。
そして今、それらの仕事を楽しくやらせてもらっています。

思い返せば僕の人生は常に、偶発的な機会によってもたらされたものでした。
子供の頃からエアラインパイロットになりたかった僕は、高校の時分からパイロット養成の専門課程がある学校を選んだものの、色弱という遺伝性のハンデゆえにその道を断念し、メカニカルのエンジニアの専攻へ。
新卒で入った会社では、当初まったく興味のなかった設計エンジニアの部署に配属されました。
それでも、クビにならないように、使えない奴と言われないように、なんとか役に立てるように、自分の貢献できる領域を探して毎日必死でした。
そうこうしているうちに、自分の得意分野が業務に生き、必要とされ、それによって自分自身も仕事が楽しくなるというポジティブスパイラルができていたように思います。

2009年、部署移動のタイミングでサラリーマンを辞め、海外起業を目指し、アメリカロサンゼルスに単身で渡りました。
当初やりたかったアウトドアアクティビティを専門とする新しいツアー会社の運営に苦戦している途中、あるツテから日本の大学のアメリカでの教育プログラムのコーディネートの依頼を受け、それを成功させたことがきっかけで、今も11年運営している国際教育/海外研修事業を続けています。
その過程で、起業の聖地シリコンバレーの事業開発ノウハウ/サイエンスに触れていたことや、起業家育成をしていたことに興味を持ってくれた現師匠から声をかけていただき、企業の新規事業開発、組織変革を支援するデザインコンサルティングファームの取締役/ビジネスデザイナーを兼務するようになりました。
今から4年前のことです。

キャリアは「計画的偶発性」によって決まる。

ご存知の方も多いかもしれませんが、「計画的偶発性(Planned Happenstance Theory)」というキャリア理論があります。
これは、米スタンフォード大学の教育学/心理学のジョン・クランボルツ教授の調査結果から明らかになった「キャリア形成のきっかけは80%が「偶然」である」という理論です。

終身雇用が一般的であったような、旧来の産業組織論を前提にすれば、自身のキャリアを「ありたい姿」から「現在の姿」にバックキャスティングすることでキャリアの道筋をある程度描くことができ、忠実無難に仕事をしていけばおおよその通りの人生・キャリアが実現できた時代もありました。

ところが今日、人間の寿命は100年時代へ、労働年数は60年を超えると言われている一方で、企業の寿命は平均20年。
どう考えても、一つの職業/キャリアで人生を全うすることは不可能な時代になってしまっています。

そこで改めて考えたいのが、「計画的偶発性」の是非です。

前述のクランボルツ教授は、「キャリアは偶発的に生成される以上、中期的なゴールを設定して頑張るのはナンセンスであり、努力はむしろ「良い偶然」を招き寄せるための計画と習慣にこそ向けられるべきである」と主張しています。

昨今のような、人の労働年数よりも企業の存続年数が圧倒的に短い時代にあっては、教授の言うように、ゴール前提のバックキャスティングによるキャリア設計は全く意味のないものになってしまう可能性が高いと考えられます。

ではどうすれば良いか、クランボルツ教授は以下を、"良い偶然"を引き寄せるための重要なファクターとして提唱しています。

1.好奇心
2.粘り強さ
3.柔軟性
4.楽観性
5.リスクテイク

1.好奇心

ある領域において長く身を置けば、そこで頑張れば頑張るほど自ずと自分がいる領域以外の物事への関心は薄れていってしいまいます。
日本の企業のような縦割り前提の組織にいればなおさらのこと。

我が国では、ひとつのことを徹底して突き詰めることが美徳とされ、俗にいう"複数の名刺を持っている人"は、ある種「地に足がつかない人」として敬遠されるような側面もあるように思います。

しかし、様々な物事に興味を持ち、たとえ片足だけでも突っ込んでおけば、何かのきっかけでその領域に関われるチャンスが訪れることもあります。
つまり、いろんな畑に少しずつ種まきをしておくことがとても重要です。

もちろん、何かひとつのことに長けていることは重要な武器になりますが、これからの多様で不確実な時代においてはむしろ、専門性を持ちつつも幅広い知見と経験を持つジェネラリスト(T型人材とも言われます)が重宝されるようになることは間違いないと思います。

2.粘り強さ

当然ながら、物事を成し遂げるにはそれなりの時間がかかります。
近年は、長らく続いたゆとり教育の影響もあり、若い人たちが「好きなことを仕事にしよう」「ストレスのあることは避けよう」的な良くも悪くも”ゆるい”思想のもとに、困難からすぐに逃げてしまう傾向があるようにも思います。

但しこれはなにも、不得意なこと、嫌なことも我慢して耐えようという意味ではなく、むしろ、自分の信念を持ち、積極的に前向きに突き詰める粘り強さが必要だと僕は思うのです。
僕自身、飽きっぽく落ち着きがない性格なのですが、信念をベースに粘り強くやっているという自負があります。

若干手前味噌で恐縮ですが、僕自身は、仕事の内容を微妙に変えながらも常に「世界を舞台に新しい価値を創出する起業家であり続ける」という信念をベースに11年間起業家を続けています。
これはもはや個人的な意地でしかないという話でもあるのですが、これを続けてきたことで、様々なチャンスを掴んできたことは実感しています。
まさに、「継続は力なり」はこのことではないでしょうか。

3.柔軟性

信念は持ちつつも、心にある程度のあそびを持つこともとても重要です。

かのアインシュタイン先生は「人間は18歳までの経験をベースに常識が己の中に定義され、35歳を超えると固定概念が定着し、その常識は変えられなくなる」ということをおおよそ言っていますが、前述の好奇心にも関連して、人は得てしてひとつの領域での経験が長くなれば、また歳をとればとるほどに、"良い偶然"を引き寄せる柔軟性を失ってしまうものです。

確かに、ある領域、ある物事について確固たるこだわりや信念を持つことは重要ですが、時代によって変わる物事の常識に追いついていくためには、異質を受け入れる柔軟性が不可欠になっています。

適度に頑固で、適度に適当なことが大事なのかもしれません。

4.楽観性

「塞翁が馬」が示唆するように、物事はいつどのように転じるかはわかりません。

今目の前で自分に起こっていることを楽観的に捉えて行動するか、悲観的に捉えて閉じこもるかで、その後の人生・キャリアは大きく変わることになります。

前述の通り、僕はある事情から、子供の頃からの夢を諦めて今の仕事に就いた経緯があります。
あの時つまづいたことを悲観的に思い続けた人生だったら、今のキャリアを形成するには至らなかったと思います。
これは僕が適度に楽観的(良い意味でバカ)だったからなのかもしれません。

5.リスクテイク


2000年代に、ウォークマンが一掃されてipodになったように、ガラケーが一掃されてスマホ市場が急速に普及したように、ここ2、30年日本企業がGAFAMを代表する海外の企業に圧倒的に負けている理由は、著しい経済成長期の成功体験を捨てられず、リスクテイクをしてこなかったことに大きな要因があります。

積極的にリスクを取りにいき、長らく親しんでいる居心地の良い状況に揺さぶりをかけることはとても重要です。
但しここで勘違いしていけないのは、何の目論見もないままイチかバチかのギャンブルをすべしという意味ではありません。
計算された一定の範囲内で計画的にリスクを取る必要があるということです。

リスクをとった結果は良い意味で必ず自分に返ってきます。
たとえ経済的に失敗したとしても、そこには何よりも貴重な経験値が着実に残った状態で再度やりなおすことができるのです。
一定の常識をもって日本人として日本に住んでいれば、餓死するまで貧困になることはまずありません。
そんな恵まれた国に住んでいながらリスクを取らないことは、もったいないと僕は思います。

おわりに

僕は、人生とはその人なりのドラマの制作過程だと考えています。
一度きりの大切な人生が、予定調和で平凡なドラマであったら、もちろん、それをささやかな幸せとして肯定する考えもあって良いと思いますが、なんだかつまらないなと思います。

人は本来新しいことに挑戦して世界広げていくことに喜びを感じる生き物。
赤ちゃんから立てるようになったとき、会話を覚えて人と話ができるようになったとき、逆上がりができたとき、、、本来、できなかったことができるようになることは、子供さえも本能で認識している、人生における大きな喜びであるはずです。
大人になればなるほどそれを忘れてしまうということは、非常に悲しいことだと思います。

ほぼ確実に訪れる人生100年時代。
限られた領域に固執して生きる人生と、"良い偶然"を引き寄せるために積極的に生きる人生、どちらが幸せでしょうか?

僕は後者だと思っています。


"Stay hungry, Stay foolish"
-スティーブ・ジョブズ-

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