カテゴライズ
普段からみんなカテゴライズしている。
自分もしている。
日本人はみんなカテゴライズが好きらしい。
カテゴライズしたがるし、されたがる。
自分が(自分に)カテゴライズされたがるのは、自分がそのカテゴリーらしさに近づくことが出来るから。
自分{男性、大学生、釣りが趣味、HSP}
これだけのカテゴライズで、自分をどんな立場か、ステータスかとかを確認し、それを誇って(または恥じて)ふるまえる。
よく遊んで、バカ話もしていた仲なのに、出世したとたん遊ばなくなる。上品ぶってバカ話しなくなる。(どこかで聞く話ですね)
なぜ若者がクラブに行きたがるか?という話で、{そこにいる人たちと一緒にいる自分}というステータスを確認するために通う。
という話をきいたことがある。
または自分が昇進し、上の立場になったものの、どうふるまっていいかわからない。だから、自分の立場をカテゴライズして、それに見合う振る舞いをする。(こうやって日本の正解主義が出来上がる)
これらが自分が(自分に)カテゴライズされたがることのメリットなのかなと思う。
じゃあ逆にカテゴライズしたがる人(自分はこっちが多いかも)
なんで、カテゴライズしたがるのか、
それは、相手を自分知識の中に収めて、相手の正体を知り、安心したいから。
要するに、不安だから相手をカテゴライズして安心したいのだ。
心配性な自分の性格からもこれは納得がいく。
(おっと、またカテゴライズしてしまった)
相手をカテゴライズすると、相手にそれ相応の言動を期待する。
その期待した言動は、今まで自分が(正解主義の中で)経験してきた中での正解であって、その正解を求めてしまう。
正解を求められた大概の人は、正解を実行してしまう。
(またここでも日本の正解主義が出来上がる)
カテゴリーを重視しすぎて、その中にいる個人を尊重できていない。
ずっと思っていたが特に最近、日本人がすごく生きづらい生き方をしていると思う。(多分、みんな思っている)
その原因はこのカテゴライズなのではないかなと、思っている。
(日本人ならば)外国人の人はすごく心がおおらかで、個人を大切にしているイメージがある人が多いんじゃないだろうか?
日本を見下すわけではないけど、外国人のようになりたいと思うことがある。
出来ることからやるとすると、
まずは、カテゴライズをやめる。具体的には、自分を含め周囲の人の個々を大切にする。
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(隣人愛を唱えてる人ほど隣人を愛せていないことが多い。それは、ほんとの隣人は近すぎてうざったらしいからである。)
わ、わかる~!(汗)