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『シアタースピリッツの魔物』その4


とある劇場に立つ芸人の話です。全5話の短編小説です
感想などいただけたら幸いです

※過去の話はこちら


     7


九月になり夜の風が心地よく、虫の音も騒がしくなってきた。この日もおれと俊介は劇場に集まり、せっせとネタ作りに励んでいた。単独ライブをやろうと決めてからほぼ1カ月、こうやって毎日のように二人で深夜に劇場にやってきては朝まで会議を続けている。
 

このころになると、魔物の存在なんてすっかり忘れていた。
やはり小野さんの言うとおり、一生懸命ネタを作って努力をすることがこの世界で売れていく一番の近道なのだ。


少し古くなった蛍光灯が薄暗く灯る楽屋。誰かが忘れていった舞台衣裳のジャージから、汗とほこりの入り混じったなんとも言えないイヤなニオイが立ち込めている。
できるだけ口で息を吸いながら俊介とおれは、単独ライブに向けて侃々諤々と意見を戦わせていた。


せっかく久しぶりに行う単独ライブなのだから、今までにやったことのないネタをたくさん試していこうと話し合い、様々な設定のコントを二人で笑いながら作っていった。また二人がこだわったのは設定だけではなく、見せ方にも頭を使った。


テレビで見るコントはカメラワークがある分、表情などで笑いを取ることができるが、舞台でやるコントは客席から少し離れているため表情だけで笑わせることはなかなかの技術が必要だ。
ならば少しでも派手に見えるような演出やゲストを入れることで、舞台の良さを引き出していこうということになった。


そうしておれたちが考えたコントはこのようなものだ。

ドラゴンクエストのような世界観で勇者が旅立つ日のこと、その村に勇者が前々から楽しみにしていたサーカスがやってくる。勇者はサーカスが見たくて仕方ない。あらゆる言い訳を使って、どうにかして旅立ちを先のばそうとするが長老から早く旅に行くよう促される、という内容のコント。


このコントでは盛大なパレードで送り出されたほうが、より「出発しなきゃいけない感」が出るのでは? という俊介のアイデアで、知人の紹介でブラスバンドのサークルに出演交渉をしている。


ほかにはこんなコント。

実家に10年も帰っていないという青年の元にある日、母親からビデオレターが届く。懐かしいと思い、それを見てみるとそのビデオに映る母親の後ろであり得ないものが次々に見切れるというコントだ。


ホスト風の若い男がシャワーから出てきたり、新宿のロボットレストランのロボットが通り過ぎたり、物凄い銃撃戦が突如始まったり、と滅茶苦茶な展開のビデオに俊介がつっこんでいくというショートスタイルのコントだ。


これに関しては実際に映像を使って見せたほうが絶対にウケるという意見から、先輩からビデオカメラを借りておれの実家で撮影もした。ついでに先輩の知り合いのフリーのディレクターに力をお借りして、編集までしてもらった。


プロの手が加わったCG満載のVTRが出来上がり、最初に見た時はその素晴らしい完成度に鳥肌がたった。


ちなみにビデオレターに出てくる母親役には実際におれの母親に演じてもらった。初めは嫌がっていたものの後半にはノリノリで演じ切り、アドリブまで飛び出すほどだった。まったく血は争えないものだ。 


そんな感じで今までやったこともなかった大きな演出や、ネタの方向性をいろいろと試していくことになった。


こんな風に俊介と真剣に向かい合って意見を交わすのは、一体何ねんぶりになるだろうか。本来ならずっとこうして膝を突き合わせて意見交換をしていかなければならなかったのに、おれたちはどこかでサボることを覚えていた。そのツケが今のおれたちの現状だ。


「エキストラで本物の女の子に演じてもらったほうが、このネタはウケるんじゃない?」

あるコントを作っている時だった。俊介が右斜め上を見ながら提案してきた。俊介がこの方向を見ている時は、その映像が完全に脳内で再現されている時だ。

新婚旅行に向かうラブラブの若い夫婦。飛行機に乗り込み、これからハワイへ向けて出発、という時になぜか二人の間の座席にモデルみたいな可愛い女の子が座る。航空会社のミスだとあきらめつつ、旦那がだんだんその子にちょっかいを出し口説こうと必死になる。次第に妻のことがうっとうしくなっていきお互いに離婚を突きつける、という設定のコントだ。


ボケ役のおれが旦那、俊介が妻としてツッコミをいれていく。最初はマネキンを置こうかと考えていたが確かに本物の女の子がいて、受け答えをしてもらったほうがはるかに面白いかもしれない。


「誰か女の子で知り合いいる?」

一瞬美咲のことが頭によぎったが、美咲には客席から見てほしかったのでその考えはすぐに却下。


「誰かにお願いしてみようか?」

俊介が携帯を取り出し、早速誰かにかけはじめた。「なんとかなりそう」電話を切ると親指をたててニヤリとする俊介。やる気スイッチが入ると仕事も早い。


こんな感じで毎日を過ごし、その後もおれたちは新しいアイデアを出し合い、足りない部分があると二人で解決していった。やがて徐々にではあるが、単独ライブのネタが出来上がっていった。


めまぐるしく時は流れ本番まであと一週間を切った。原付に乗る時には長袖が必要になっていた。


今日も夜中からライブの稽古があるが、その前に技術スタッフを呼んで通し稽古をすることになっている。シアタースピリッツがライブの公演中なので、場所は西新宿にあるレンタルスタジオ。夜7時に集合だ。


通し稽古とはライブでの音響や照明のキッカケを確認していきながら、本番さながらに最後まで演じていくことだ。
 
ネタはほとんど完成しているのだが、エキストラの方や映像を交えてネタをやるのは今日が初めて。つまりその出来によっては変更する箇所もでてくるかもしれない大事な日である。


レンタルスタジオにつくと俊介の姿が見当たらない。スタッフはみんな集まっているというのに。


「俊介どうしたの?」
おれたちのライブを担当してくれている若手の作家に聞いた。
「なんか電車が人身事故とかで遅れるって連絡ありました」


仕方がない理由ではあるが、こんな大事な時に遅れるなんてと少しイラつく。
「で、俊介さんからの伝言なんですけどエキストラの方を駅まで迎えにいってほしい、だそうです」


小さい男に思われたくないので舌打ちを我慢する。仕方なく新宿駅西口まで迎えにいくのだが、このことがキッカケでまさかあんなことになるとは、この時のおれは夢にも思っていなかった。
 

 
     


深夜12時、渋谷。終電時間が間近にせまり、駅へ向かう人たちの数もまばらになってきた。酔ったサラリーマンたちが声をかけてくるのを無視して、私は駅とは反対方向を目指していた。


東急ハンズを少し越えたところで私は身を潜めた。台風が近づいているせいか、少し生ぬるい風がカーディガンの隙間を縫うように吹いている。時計を見てそろそろ来る頃かなと思い、少しだけ緊張してきた。

裕香の言っていたことがどうかデタラメであってほしい。そのことがわかれば十分だった。
 

三日前、風呂上りに缶チューハイを飲みながらテレビを見ているとスマホが震えた。画面には『裕香』の文字。


「どうしたの?電話なんて珍しいじゃん」
裕香と私は、電話をかけるよりもLINEのほうが多い。


「ごめんね。忙しい?ていうかさ……。あのさ……。言おうか言うまいかずっと迷ってたんだけどさぁ……」
嫌な予感がした。

「真悟君ってさ、いつも渋谷で稽古してるんだよね?」
 

真悟たちがライブを行うのは、彼らが出演しているシアタースピリッツだ。渋谷にある。真悟の説明ではそこでいつも朝まで稽古をしているというから、渋谷で稽古をしているということになる。


「この前、見ちゃったんだ。新宿で。女の子と一緒に歩いているのを」
心臓の音が自分で聞こえるくらいに早くなった。予想していなかった言葉を耳にして思考が固まってしまった。


「なんか楽しそうにしてた。もしかしたら浮気相手なんじゃないかな」
やっぱり浮気していたんだ。もしかしたらと思っていたけれど、実際にそんな言葉を突きつけられると胸が痛い。スマホに耳を当てながら言葉を詰まらせた。


「人違いだったらいいんだけどね。よく似てる人もいるし、それに本人でも仕事の人と一緒って可能性もあるじゃん? でも、一応美咲には言っておこおうかなと思って。黙ってたほうがよかったかな?」


天罰だ。いくら真悟を売り込むためとはいえ、井手さんに体を許してしまった。その天罰が下ったんだ。自分のしたことがとんでもない間違いだったことに、初めて気づいた。今さら反省しても遅すぎる。本当にバカだった。


「でもさ、本当に勘違いかもしれないから確認だけしといたほうがいいよ」

その後の裕香との会話はほとんど覚えていない。何か励まされていたような、煽られていたような。どっちにしてもその真偽を自分の目で確かめる必要があった。


そして今、私は深夜の渋谷に来ている。


さっき真悟に連絡した時は12時頃に渋谷に行くと言っていたから、もしそれが本当ならそろそろ姿を見せてもいい頃だ。
彼が本当に劇場に現れたら、そのまま黙って帰るつもり。変に疑惑の目を向けられたら真悟だって嫌な気持ちになって、稽古にも身が入らないと思う。でも、現れなかったら……。私はどんなことをしてしまうのか、自分でも想像がつかない。


「これって、もうストーカーの要素を十分満たしてるよな」
自嘲気味につぶやく。どこかで空き缶の転がる音が聞こえた。


やっぱりこんなことするの、おかしいよな。真悟のことをもっと信じてあげないとダメだ。私が過ちを犯したからって、真悟が浮気するとは限らないし。私がしたことは、やっぱり彼のためで、それは絶対に分かってもらえるはず。


行ったり来たりしながら夜風にさらされていると、その時は突然やってきた。真悟がコンビニ袋を提げて歩いてくる姿を確認したのだ。


よかった! やっぱり真悟は毎日深夜から朝までライブの稽古をしていたんだ。裕香が見た相手は単なる人違い。頭のなかのもやもやが晴れ渡る思いになった。しかし、喜んだのもつかの間、ある疑問が浮かぶ。


原付は?


真悟の移動はどんなに遠い場所でも、交通費を削るため先輩から譲ってもらった原付でするのが基本。それなのに駅の方から歩いて来てる。なぜ?


「もうすぐだから!」
真悟が後ろを振り向いて誰かに話しかけている。


誰? 柱に隠れて、身を潜めながらその姿を確認する。女の子だ。一瞬しか見えなかったけど、モデルみたいに可愛い女の子。
さっきまで晴れ渡っていた頭のなかに一気に暗雲が広がり、目の前が少しだけグニャリと曲がる。


やっぱり浮気だ。クロだった。真悟は私にウソをついて他の女の子と遊んでいたんだ。何も考えずに私は後をつけて歩き出していた。行く先はシアタースピリッツだ。彼が稽古をしていると私にそう言っている劇場だ。

 

つづく

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