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わたしの、じまんの教え子。

結婚するまで、ピアノ講師をしていた。
キャリア15年、コンクールに挑戦したい生徒たちを指導したこともある。

自慢できないけど、音大受験を目指す生徒も、
教えていた。


彼女は、この春、大学生になったばかりだ。


県内の音大受験のために2浪したすえ、
県外にある、私大の保育学科に進学した。


彼女の浪人生活が始まるタイミングで
わたしは結婚、そして退職。
海外の音大で学んだ、指導熱心な先生に、
彼女をお任せすることになった。


その先生に

「県内の音大にこだわるな!」

と喝を入れてもらったのをきっかけに、2浪目は県内の音大受験をあきらめ、ご縁のある県外の大学にめぐり逢えたそうだ。


よって、彼女を合格させたのは、
わたしではない。


だから、そこは「自慢できない」



それでも、彼女は「自慢の元・生徒」である。






なにが自慢なのかというと、その人柄だ。


コンクールで結果が出なくても、音大に受からなくても、泣いたのは「その日」だけだった。

次の日には、もう何もなかったかのようにケロッとして、楽しそうにピアノを弾いていた。


4姉妹の長女で、妹たちの面倒をよく見ていた。


彼女の指導にあたったのは、彼女が中学生になったばかりの頃だった。

中学生といえば、息を吸うように親や先生に反抗して、目の前にいるのが大人だとわかったとたん、ナイフのような視線を向ける……。

そんなイメージを、根底からくつがえしたのが、彼女だった。



当時はたらいていた教室の隣には、保育所があった。そこには彼女の、まだ5歳だった妹が通っていた。

彼女は、教室に行くまえに、末の妹を保育所へ迎えにいってから、そのまま一緒に来て、


「妹も、レッスン室に入れていいですか?」


と、必ずと言っていいほど聞いていた。


なので、妹が幼稚園に上がるまで、彼女は、
妹同伴でレッスンを受けていた。



それだけでなく、いつもレッスン時間を守り、
遅れそうなら連絡する。そんな当たり前のことを、当たり前にしてくれていた。


わたしの住んでいる県は、「時間にルーズ」に定評のあるところで、30分しかないレッスン時間に、なんの連絡もなく15分以上チコクしたり、無断で休んでは「来れる日」にフラッと教室に現れる生徒が、たくさんいた。


そのことを、生徒本人はもちろん、親御さんも、教室のオーナーでさえも、悪いと思っている雰囲気は、みじんもなかっただけに、彼女の「レッスンに対する姿勢」は、わたしを心から嬉しくした。


どんなに部活が忙しくなっても、バイトが忙しくなっても、テスト期間中でも受験勉強が大変になっても、彼女のその姿勢は変わらず、怠けず練習に励む姿を、頼もしく思った。




練習にいそしむなかで、妹の面倒を見たりして、家族を助ける彼女。「ピアノ漬け」にはならないけれど、彼女の演奏はどんどん良くなった。


音が遠くまで伸び、ピアノを歌わせることができるようになった。

きらきらしたクリアな音色が、教室のすみずみまで響くようになった。








高校生になり、「音大を目指す」と決めても、学校の勉強や部活、そしてバイトなど、「ピアノ以外のこと」も、けっして手を抜かなかった。


それでも、ピアノはメキメキ上達していった。


県内の大きなコンクールで入賞したり、1位なしの2位になったりするなど、音高で学ぶ生徒とひけを取らない演奏をするようになった。



普通高に通う彼女の、そんな姿を見るたびに
胸が高鳴った。




家庭が裕福ではないため、稼いだバイト代は、
レッスンの「お月謝」と、コンクールの「受験料」に消えていった。



進路を「音大」に決めたのなら、バイトする暇もないほど、ピアノに明け暮れるところだ。

けれども、家にピアノが入る余地もない小さなアパートで、家族5人、身を寄せあって暮らし、県外へ出稼ぎに行った父親の帰りを待つという家庭環境で、それを叶えるのは難しかった。




そのことで、彼女が愚痴をこぼしたこともなく、わたしも、そこを指摘しなかった。



代わりに、出勤前後の時間、休日、コンクール前日の週末。いくらでも彼女の補講レッスンを入れた。


はたから見れば、特別扱いもいいところだって感じだったろうけど、そんなの関係なかった。


この子の頑張りに応えるため、
少しでも環境を整えるんだ。

あるのは、その気持ちだけだった。






彼女は高3になり、いよいよ音大受験の年を迎えた。

いままでどおり、コンクールにどんどん挑戦させるかたわら、音楽理論やソルフェージュなんかも、できる限り指導した。


そのなかで、ふと、気になることがあった。



「音大受験するなら、そこで教えている先生に習わせたほうが、いいのかな」








わたしも、高校のころ音大を目指していた。
ピアノではなく、声楽専攻で。


いざ、受験の年を迎えるころ、そのときに師事していた先生が、わたしに言ったのだ。


「音大の先生と、コンタクト取れるよ」


コミュ力ほぼゼロなので、先生の言っている意味が、長いことわからなかった。


その言葉を受け流して、受験に向かって練習を重ねるなかで、わかったことが、ひとつあった。

どうも、そこの音大の先生に習えば、合格する可能性がグッと上がるらしい。

受験前の年末あたりまでに、まわりの音大受験生たちが、こぞって音大の先生の個人レッスンを受け始めるのを見ているうちに、そのことが、ありありとわかってきた。


しかし、そんなに差し迫った時期になると、もう今さら感が満載で、音大の先生にもつきたいと、お願いする気持ちも起こらなかった。


いっぽうで、そうするよりも、ふつうに受験して受かったほうがいいな、とも思った。


結局、ふつうに受験して受からなかったので、
じぶんの考えの甘さを知ることには、なった。


だからといって、そこの音大の先生に習ってまで浪人する気にはなれず、音楽とは関係ない私大に入ったが、後悔はなかった。





だって、フェアじゃなくない?


そんな思いが、ずっとあった。


音大に受かりたかったら、
そこの音大の先生に習うべし。


それを、わたしは勝手に
音楽以外の学科に当てはめてみた。


受験のために評判のいい家庭教師をつける。
その家庭教師が教鞭をとっている大学のほうが受かりやすいから、その大学を受験する。案の定すんなり入れる。入学したら、大学の授業以外でも「個人的に」勉強をみてもらえる。



ちょっと待って。


こんなの、一般の大学受験だったら
即アウトなんじゃないの?


生意気にも、ずっとそう思っていたので、彼女には、どうしても言えなかったのだ。



「音大に受かりたかったら、そこの先生に習うといいよ」なんて。



けれども、一緒に頑張ってきた仲間たちは、
「その方法」で合格している。

おなじく声楽専攻の子も、作曲専攻の子だって。

みんな、受験を見据えて、「その音大」の先生にできるだけ長いこと師事して、本番を迎えているのだ。


何百年も受け継がれていく「クラシック音楽」という「伝統」を、次世代に継承していくには、これが、いちばんいい方法なのだろう。


だから、彼女にも、伝えなければならなかった。


音大に入ったら、その「伝統を継いでいく」覚悟を持って学ぶこと。そして、その「覚悟」は、早くから「音大で教鞭をとる先生」につくことで、育つものだと。



わたしが、それを懇々と話せず、そこの音大で後進を育てる先生方とのご縁を結べなかったばかりに、彼女は2浪する羽目になってしまった。


そのことを、人知れず悔やんだ。








ところが、この春、目標をピアノの「演奏」から「指導」に変え、めでたく大学生になった彼女の状況を聞いて、わたしは目を丸くした。




県外の、ある大学に進学した彼女。保育を学ぶ学科に籍を置いたら、ともに学ぶ仲間たちは、ピアノの初心者ばかりだった。


面倒見の良さが生きたのか、彼女は、仲間たちにピアノを「教える」ようになった。


たちまち「ピアノのうまい子が来た!」と話題になり、彼女が練習室でピアノを弾くと、入り口の前に人だかりができるようになった。



そこに目をつけたのが、学科内の先生方だ。


「ドビュッシーのアラベスク、今度の実技試験で弾いてみない? みてあげるから」

週に1回の器楽のレッスンで、彼女だけ特別に、クラシック音楽を指導してもらえるようになった。


いまでは、大学の図書館にある、ポップスのピアノアレンジ譜を次々に弾きあさり、仲間たちに「ミニ演奏会」を披露しているという。




わたしは、目がまわりそうなくらい嬉しくなったし、なにより胸がすく思いだった。




「自慢の教え子」が、わが道を切りひらいた。



その道は、偉い先生が目星をつけて舗装までした道じゃなく、彼女が自分で見つけて、耕しながら進む道である。





うん、そうだね。
それで、いいよね。

それ「が」のほうが、いいかな。





遠まわりさせてしまったけど、いま、こうして「自分で見つけた居場所」で彼女は輝いている。










わたしは人知れず、大学を出たあとの、
彼女の未来を思った。


もしかしたら、子どもたちと一緒にピアノを楽しむかたわら、どこかで演奏会を開いているかもしれない。


みずから掴んだご縁で、日本全国を、
ピアノと共に、飛びまわっているかもしれない。


いろんな会場で、クラシックもポップスも、とにかく「ノージャンル」で、いろんな曲を自由にのびのびと、彼女は弾きこなしていくのだろう。



その活躍が、地元でも認められて、
凱旋のコンサートが行われる……。



そうなったら素敵すぎる。


もしも、それが叶ったら……。


わたしは会場で目をまわして、
倒れてしまいそうだ。











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